揮刀如神 陸
紅の花園に、冷たい雨がぱらぱらと降り注いだ。
これは天の涙だろうか。見渡してみれば、無数の刀たちが花園の地面に突き立っていた。
千本とも、万本とも、歴史の中に埋もれていった刀剣たちが、まるで刀哉の下に集うかのようにそこにあった。恐らくは、あの雑兵たちだろう。
もはやそこは花園ではなく、剣の山だった。
刀哉は薄暗い空を見上げたまま動かない。動くことが出来なかった。
顔を滴る雨粒にまぎれて、熱い涙が溢れ出る。
嗚咽すら、漏れた。心が締め付けられる。
刀たちの声が聞こえてくるのだ。
刀たちもまた、泣いている。布都御魂でさえ、悲しげに輝いていた。
戦は終わった。彼らが抱いた夢も、彼らが望んだ晴れ舞台も、降り注ぐ雨と共に流れ去っていく。
ふと、雲間の彼方を見ると、眩い黄金の朝日がこぼれていた。
夜明けだ。その輝きの中から霊夢たちが飛んでくる。
脳裏に厳かな声が聞こえた。
「謝す」
と、ただ一言だけ。刀哉は自らの半神に涙ながらに笑いかけた。
「なんの」
と、こちらも一言だけ。
真っ先に刀哉の前へ着地したのは魔理沙だった。箒をそこいらへ放り、慌てて駆け寄ってくる。
「刀哉! だ、大丈夫か? 生きてるよな? 死んで無いよな!?」
「ああ……勝ち戦だ」
にこりと満面の笑みを浮かべると、続いて降り立った霊夢が刀哉の身体を見て呆れたように唇をとがらせる。
「何が勝ち戦よ。あんた、傷だらけじゃない。早く帰らないと死ぬわよ?」
「はは……そりゃぁ、参ったな――」
刀哉は糸の切れた人形のように魔理沙の胸元へ倒れた。
「お、おい! しっかりしろよ! 霊夢! まさか本当に!?」
「ただ気絶しただけよ。とっとと里に戻るわよ」
刀哉が霊夢と魔理沙に運ばれていく背後、花園に突き立っていた無数の刀たちは何時の間にか、全て消え失せていた。
人里を包囲していた武者たちも姿を無くし、後には刀だけが地に転がっていたという。
瀕死の刀哉が運ばれるや否や永遠亭から駆けつけた八意永琳の治療を受けた。
再び彼が瞼を開いたのは、それから五日後のことである。
温かな布団に包まれた刀哉の視界に見覚えのある自宅の天井が映り込み、白い寝間着を纏う身体を起こすと妙に動きにくく、ふと懐を伺えば、身体のほとんどが白い包帯で巻かれていた。大仰なことだと苦笑を浮かべていると、傍らに幼い無邪気な気配が現れる。
「……ルーミア、か」
「大丈夫なのかー?」
四つん這いになって刀哉の顔色を覗きこむルーミア。
彼はそんな彼女の髪を優しく撫で回し、微笑んだ。
「見舞いか? ありがとうな」
「トーヤのおかげで、森も元に戻ったの。それに、お友達のお見舞いは普通なの。でもそろそろ人が近づいてくるから、私は帰る~」
ルーミアは小さく手を振って闇に溶け、森へ去った。
ここのところ見かけなかったので安否が気になっていたが、無事な姿を見てホッとしていると、部屋の障子が開き、桶に水と手ぬぐいを浸した慧音が入ってきた。
「ああ、気がついたのか。具合はどうだ?」
「節々が痛む。この大仰な包帯は何?」
「体中が刀傷まみれだったんだ。瀕死だったのだぞ? 何か欲しいものはあるか?」
「ああ、特に無いが……少し喉が渇いた。白湯が欲しい」
「分かった」
湯呑みに注がれた白湯を啜り、ついでに慧音が作った粥を食べた刀哉は寝間着から普段の道着と羽織を纏い、離れの外に足を運んだ。すると、寺子屋の前に大勢の人だかりが出来上がっており、刀哉の姿を見るなり、皆が次々に種々の品物を差し出してくるではないか。
一体何事かと困惑する刀哉に、慧音が肩を叩いて、皆、刀哉の見舞い客だと告げた。
すると里人の一人が、刀哉が目覚めたので勝ち戦の祝宴を開くと言い出し、見舞い品を半ば押し付けるように刀哉へ託した彼らは、あっという間に方方へ散っていった。
まるで嵐のような一件に口を開けたまま固まる刀哉を慧音は手を叩いて笑い、一先ず散歩をしたいという刀哉の意を汲んで品を預かり、見送った。
最初に訪れたのは稗田邸だった。門を叩いて女中が出てくると、すぐに応接間に通されて阿求と面会する。
「ご壮健なご様子で、お慶び申し上げます」
「阿求殿には世話になりっぱなしで、此度の一件も思えば俺が発端だったこと。まずはお詫びしたく参上した次第」
「何を言うのですか。刀哉さんのおかげで、私たちの里は救われたのです。皆さん、刀哉さんにはとても感謝していますよ? もう外来人ではなく、里の一員だと」
「それは、有り難い」
「ふふ。今宵の宴が楽しみですね」
和やかな懇談を終え、稗田邸を後にした刀哉をカメラのフラッシュが眩ませる。
バサリと背の翼を広げ、其の手に一眼レフを携えるは御存知幻想郷の文屋こと、射命丸であった。傍らには椛の姿もあり、ぜひとも刀哉の武勇伝を聞かせて欲しいとせがんだ。
無論記事にするためであるが、先の一件を思い出した刀哉が苦い顔を浮かべると、今度ばかりは本気で書くと平身低頭で頼まれた上に、椛もしっかりと監視するという約束の下、人里の茶店にて応じることになった。
新商品の桜団子を食べながら質問に答えていると、何やら店の奥の方が騒がしい。ふと様子を伺ってみれば、桜団子の皿を山のように積み上げる幽々子と、傍らで財布の中身を必死で確認する妖夢の主従がいるではないか。
一旦取材を中断させて近づくと、涙目であった妖夢がハッと眼を丸め、すぐに姿勢を正して立ち上がり、深々と頭を垂れた。
「こ、こ、この度は! 刀哉お兄様に於かれましては、勝ち戦を収められたる旨、心底より賀詞申し上げます!」
「あらあら、妖夢ったら畏まっちゃって。そんなに固くならなくても、一言で済むのに。ご無事なようで何よりだわ、刀神様」
「刀神なんて、やめてくれ。俺は人間であろうと心に決めている」
「ふふ。無欲なのねぇ。普通なら、人か神か選べと言われれば答えは見えていると思うのだけれど、そこがあなたの善いところかしら」
クスクスと笑う口元を扇で隠す幽々子と、しげしげと席に戻る妖夢の姿に、背後から激写を繰り返す射命丸は口から涎を垂らすばかりに喜んでおり、まもなくカメラを椛に取り上げられたという。
一同と別れ、里の通りを歩いていると、門下生の子供たちがしきりに懐いてくる。
また、刀哉に剣を習いたいと口々に言っていた。子供だけでなくいい年をした大人までもが弟子入りを乞う時もあった。
これから忙しくなると胸を高鳴らせ、里の郊外に出ると、そこには小さな塚が築かれていた。線香の煙が立ち上り、花が添えられている。
此度の戦で亡くなった里人のものかと思ったが、聞けば、あの刀たちの無念を鎮めるために作られたものだという。
刀哉は無言で手を合わせた。
「果たして、彼らは安らかになれたのだろうか?」
「分からないわ。物の気持ちなんて。でも幻想郷は彼らをも受け入れる。いえ、受け入れてみせるわ。それが、私の役目ですもの。もちろん、あなたのこともね」
背中合わせに刀哉と八雲紫は言葉を交わした。
やがて日輪が西の彼方に隠れ、里は提灯の灯りに彩られ、至る所で飲めや歌えやの大騒ぎとなった。幾多の異変が幻想郷を襲い、博麗の巫女が解決してきた中において、人里による勝ち戦はなかった。
故に、人間も妖怪も別け隔てなく盃を交わし、存分に語らってる。
刀哉は里人たちと適度に杯を交わした後、ひっそりと博麗神社に向かった。
鳥居の前の石段に腰を下ろし、夜空に花開く花火を眺めていると、境内から霊夢と魔理沙が近づき、隣に腰を下ろした。
「宴だってのに、何辛気臭い顔しているのよ。そら、飲みなさいって」
「つまみもあるぜ? 今夜はとことんやるからな、付き合ってくれよ?」
「ああ。俺も、あの喧騒の中よりは、ここで静かに飲みたかった」
グイッと一息に飲み干した刀哉は深く息を吐く。
「なんだよ、溜息なんて。悩みがあるなら聞いてやるぜ?」
「いや、悩みというわけではないんだが……少し、気が抜けただけだ。次は、一体何をすべきなのか、と。自分自身を取り戻すことも出来た。使命も果たせた。その次は、何を求めればいいのだろうなぁ」
しみじみと言う刀哉の肩を霊夢が叩く。
「何を言ってんのよ。あんたは自由になれたんだから、自分の好きなことをすればいいの。悩むだけ時間の無駄よ。とにかく今は……この一杯を楽しみなさい」
「そうそう、霊夢の言うとおりだぜ。みんなも集まって来たみたいだからな、静かになんて言わずにパーッとやろうぜ!」
気づけば、気心の知れた者達が集まっていた。
慧音と早苗は早速人数分の弁当を広げ、輝夜と妹紅が場所を取り合い、それを永琳が宥め、鈴仙と因幡てゐもまた餅を配り、神奈子や諏訪子に引っ張られて皆の和に入った。
皆、思い思いに騒ぎ、食べ、そして飲んだ。
刀哉は自分を恥じた。一体何を悩んでいたのだろうか。何故一人になりたいと思ったのだろうか。こんなにも温かく迎えてくれる者たちがいるというのに、自分のことしか考えていなかったことを悔いた。
ゆえに、刀哉は笑った。心底から笑った。
新たな故郷の仲間たちと共に、その身に刀剣たちが抱いた幻想を宿して――。
稗田邸の私室にて、幻想郷縁起を書き終えた阿求は小筆を置き、自らが書いた内容を噛み締めるように見なおした。
あれから月日が流れ、これといった異変も無く、里は平穏な日々を送っている。本来の里長の体調も回復し、代理の任を解かれた阿求は、本業である幻想郷の歴史を書き綴る作業に戻ることが出来た。
軽く手足を伸ばして欠伸を一つ漏らし、気分転換に屋敷の外へ出た。
少し日差しが強い。もうすぐ夏が始まろうとしている。
そんな蒸し暑い中でも、子供たちは書物と竹刀を抱えて寺子屋へ走る。
今日も、かの剣客から稽古を受けることだろう。
明日も、そのまた、明日も――。