揮刀如神 参
「っ!? 諏訪子……今のは、私の気のせいではないな?」
「うん……一瞬だけど、凄い気配だった。雲の上だね」
「山の中も騒がしくなった。いや、幻想郷全体に異様な気配が溢れている」
「異変……だね」
妖怪の山に佇む守矢神社。その屋根に立つ二柱が、黒い雷雲に覆われた幻想郷の空をジッと睨む。
只事ではないことが起きている。早苗はそんな二柱のことを気にしつつ、干していた洗濯物を取り込んでいた。
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経津主神――日本書紀にその名が見られる、この世全ての剣たちを司る刀神にして、かつて名高き雷神を従えて天から地に降り立ち、葦原中国を平定したと伝えられる武神。
流石に並の霊力ではなかった。
幽々子が張った結界が悲鳴を上げて軋む。明らかに器の容量を凌駕していた。
空気を入れ過ぎた風船のように結界全体が膨張し、今にでも破裂して白玉楼が暴風と雷電に飲み込まれかねない。
「霊夢!」
「わかってるわよ! 二重結界ッ!」
博麗の符が祭壇の四方に貼り付けられ、さらに強靭な結界が覆い被さる。
如何に巨大な霊力が溢れ出たとしても経津主神とて本気で放っているわけではない。
ただ魂が引きずり出されたことによる、肉体との摩擦が起きているだけだ。
紫の組んだ腕に力が篭る。やはり妖怪と神では桁が違った。
備蓄した妖力の三割が一瞬にして吹き飛ばされ、残る力も徐々に青白い輝きによって浄化されていく。
一方、人間である魔理沙は神々しい威圧こそ感じるものの、どちらかと言えば眩しいくらいにしか影響を受けておらず、刀哉から現れた経津主神に食って掛かる。
「やい! 神様だかなんだか知らないけどなぁ、刀哉に乗り移って何をしようっていうんだ! 答えによっちゃぁ、ただじゃ済ませないぜ!」
「止めなさい魔理沙。あれが彼の魂そのものなのよ。この地に流れてきたのも、これからこの地で起きることも、全てはあの神と幻想郷の意思……けれど経津主神サマ、私たちもこの世界に生きる者。そして彼は理由を知る権利があるはずでしょう? 敵の目を欺くために無名の剣客をその手で殺め、志半ばで息絶えた彼の肉体に乗り移ってまでこの地に来たのだから」
「な、なんだって……?」
「彼に生前の記憶が無いのもその所為よ。だって彼自身の魂は外の世界で既に転生してしまった。彼はただの器に過ぎない。神に……いいえ、この世の全ての刀剣たちに選ばれた半人半神。彼らが等しく抱いた理想の使い手。まさに、幻想の剣客ってところね」
淡々と語る紫の言葉に魔理沙の四肢から力が抜け、妖夢と同じく座り込んでしまった。
肩を震わせ、何度も、何度も、地面を殴りつける。
「なんだよそれ……じゃあ、あいつは……始めっから希望なんて無かったんじゃないか!」
「どちらにしても同じよ。過去を知ったからといってどうなるというの? それに、その残酷な過去を追い求めていたのも彼……大切なのは今、そしてこれからよ」
「我は古より剣の御魂鎮め、我もまた剣として天下を守護したりき。然し剣どもの無念と怨嗟極まり、我は此の地に逃れた剣どもの御魂鎮むる為、此の人の子の前へ降り立ちき。彼は我のあらまし聞き届け、其の身体我に捧げし……」
「刀哉がそれで良いって言ったのか!?」
「彼、天命を得たりと我が刃に伏せり…………そして俺の肉体に経津主が憑依し、黄泉比良坂から結界を越えて、この幻想郷にたどり着いた。結界が最も薄く、黄泉の国に最も近い、あの花園に」
瞼を閉じ、俯いたまま沈黙していた刀哉の唇が開き、頭の中に流れてくる経津主神が見た光景を言の葉に載せた。脳裏に故郷の姿が浮かぶ……日ノ本東西南北を渡り歩き、幾多の強者を討ち、やがて不治の病に蝕まれ、死に場所を求める長い旅の末に経津主神と出会い、満足そうに笑いながら布都御魂で自分の首筋を斬る姿が……。
親の顔も、友の顔も、結局は思い出すことができなかった。
所詮この記憶も、経津主神が刀哉と出会い、今際の際を迎えるまでの姿を描いたものに過ぎない。だとしても、何と晴れ晴れとした気持ちだろうか。追い求めていたものが自分の胸の奥に有ったのだ。
たとえこの身が抜け殻なのだとしても、単なる神魂を受け止めるだけの器なのだとしても、彼は何ら不満は無かった。
己の魂が無事に転生を迎えることが出来たのならばそれも良し。
奇妙な感覚だが、彼は遠い地で生きる我が生まれ変わりの幸福を祈り、晴れやかな顔色で目の前に浮遊する布都御魂に語りかけた。
「経津主神よ……俺に生きる機会を授けてくれたこと、感謝する」
「我は常に汝と共に有り。何卒太刀剣どもの無念、汝に託しはべる」
「承知した」
剣を手に取り、ゆっくりと鞘に納めた。すると四肢から放たれていた輝きも背後に浮かんでいた経津主神の影も消え失せ、結界から出た刀哉は皆の前で深々と頭を下げる。
「皆々のおかげで、俺は自分自身を見つけることが出来た……ありがとう」
「普通ではないと思っていたけど、まさかあんたが神様だったとはねぇ。紫がちょっかい出していたわけだわ」
「あら霊夢、私はただの傍観者よ? ただし、白状するとね、ちょっとだけ手を出させて頂いたの。彼が幻想郷にたどり着く間際にね。経津主神といえば天津神の中でもそれなりの神格。たとえ人の身体を借りたとしても、それがそのまま幻想郷に来れば、さっきの輝きによって全ての妖怪たちが死滅してしまう。よって、彼と経津主神の間に境界を作らせて頂いたってわけよ」
「成る程、それで俺は此処へきた理由すら分からなかったというわけか……魔理沙? どうかしたのか?」
震える魔理沙はキッと刀哉を睨み、その胸ぐらを力なく震える両手で掴み上げる。
「お前は……お前はそれでいいのかよッ! あんまりだと思わないのかよ!」
目を赤く充血させ、胸に顔を埋めて肩をふるわせている魔理沙を、刀哉は静かに抱きしめた。
「なっ……なんだよ、やめてくれよ……恥ずかしいだろ……」
「魔理沙が俺に名前をくれたこと……今でも嬉しく思っている。俺は、刀哉だ。今も、これからも、それだけは変わらない。だから魔理沙もいつものように笑ってくれ」
「わ、分かったから! 頼むから抱くのを止めてくれっての! ああ、もう! 恥ずかしくて怒る気が失せちまったぜ……お前らもニヤニヤ笑ってんじゃねぇよ!」
大きく頬を緩め、二人の熱いやり取りを眺めていた紫や幽々子に魔理沙の怒号が飛び、二人共ご馳走様と言わんばかりに視線を泳がせる。妖夢に至っては顔を赤らめてモジモジと指を弄り、霊夢は下らなさそうに鼻を鳴らす。
「あ~、暑苦しいったら無いわ。で、あんたはこれからどうするつもり?」
「使命を果たす。経津主神は俺に第二の人生を与えてくれた。その願いに報いる」
「はぁ、相変わらず律儀な奴。でもこれが幻想郷に関わることなら、博麗の巫女として黙っていられないわ。仕方なく、手伝ってあげる。魔理沙はどうするの?」
「はっ! 決まっているだろうが。ここまで来て私だけ仲間はずれなんて許さないからな? 久々に、派手に暴れてやるさ!」
「わ、私も! 微力ながらご同行させて頂きます!」
此処に四人の仲間が集い、紫は大きく頷いてスキマを開く。
「さあ、行きなさい。剣たちの悲しみを、刀たちの無念を、その霊刀で鎮めるために。それから、これをあなたに渡しておくわ。きっと、あなたを守ってくれるはず」
紫が刀哉に差し出した、四枚の符。
スペルカードと呼ばれる幻想郷の切り札。
「かたじけない」
「ご武運を祈るわ。経津主神の加護があらんことを」
四枚のスペルカードを懐に仕舞い、刀哉ら四人はスキマに飛び込んだ。
見送る幽々子は紫の肩に手を添える。
「良かったの? このままだと、幻想郷の妖怪たちが沢山死ぬわ」
「いずれはこういう日が来るものよ。それが幻想郷の意思ならば、尚の事。それに彼らの場合、ただ忘れ去られた妖怪よりも恨みは深いことでしょう。あれもまた、八百万の神の一角と言えるわ……」
「泣いているの?」
「違うわ。ただ、哀しいだけよ。時の流れというものが。それに、泣いている暇なんて無いもの。早速始まったわ。妖怪の山の方ね。それと、人里にも迫っている」
紫がスキマを開いて幻想郷の様子を伺い、人里の上空に視線を移すと、闇に包まれた森の奥から無数の鎧武者たちがその手に刀を握りしめて進軍していた……。