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幻想剣客伝  作者: コウヤ
月の名医と蓬莱の姫
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月の名医と蓬莱の姫 陸

 日は傾き、夕餉の時刻。


 神である疑いをかけられていることなど露知らず、刀哉は己の病室にて医者の言うとおりに“安静”に振舞っていた。左手だけで腕立て伏せを百回、腹筋を二百回ほどした後、坐禅を組んで瞑想を続ける。身体が鈍ってしまいそうだが、まずは身体を治さねば始まらない。


 刀哉は脳裏に浮かんだ雑念を振り払い、再び心を石のように静めて精神を研ぎ澄ませた。

 肉体の鍛錬は出来ずとも心は何時でも磨くことが出来よう。

 辺りの気配を探ると、どうやら鈴仙がこの部屋に近づいているようだ。

 急ぎ足ではなくゆっくりとした足取りだ。


 恐らくは夕餉を持って来たのだろう。身体を動かしていない上にウサギの餅を鱈腹食べたのであまり食欲は無いが、かといって断るのも申し訳ない。


 そうこうしている間にも夕焼けに照らされた障子に鈴仙の耳が映り込んだ。


「刀哉さん……起きていますか?」


「ああ。どうした?」


「夕飯が出来ました。開けても良いですか?」


「どうぞ」


 鈴仙が障子を開けると、たちまち鈴仙は頬を朱に染めた。

 刀哉は寝間着の上着を脱いでおり、引き締まった上半身を顕にして坐禅を組んでいたのだから。狼狽する鈴仙を尻目に寝間着を羽織った刀哉。


「どうした? 顔が赤いぞ?」


「くぅ~、今のは不意打ちだったなぁ。こ、こほん! とりあえず夕餉です。食べ終わったら縁側にお盆を出して置いて下さいね?」


「ありがとう。頂きます」


 鈴仙から盆を受け取ると、彼女は足早に部屋から出て行った。


 熱でもあるのだろうかと首を傾げる刀哉は箸を取り、漬物を咀嚼する。


 そういえば妖夢は目覚めただろうか? 


 昼間にでも見舞おうかと思っていたが、彼女も安静にしたおいた方が良いと考えを改めて遠慮した。しかし、気になるものは気になってしまう。夕餉を食べ終えたら様子を見に行くとしよう。


 手早く食事を胃袋に収め、暫しまったりと休憩して十分に消化した辺りで外へ出た。


 既に夕日も沈んで宵闇が空を染め、永遠亭の敷地内を灯籠の灯りが優しく照らしていた。

 確か妖夢の病室は突き当りの奥だったはず。あまり音を立てぬようにすり足で廊下を歩き、それらしい部屋の障子を少しだけ開けて中を伺うと、妖夢が刀哉に背を向けたまま正座をしていた。精神統一だろうか。ともあれ起きているのならば安心した。


 邪魔をしては悪いと思って障子を閉めようとした刀哉であったが、妖夢の声がそれを制する。


「お待ちを。刀哉殿、ですよね?」


「はは、気づかれたか。気配は消しておいたのだが」


「私ではなく、私の半霊です」


「む?」


 言われて背後を伺うと、白い尾を引く霊魂がふわふわと漂っていた。


「どうぞ。お入り下さい」


「良いのか?」


「今更遠慮することも無いでしょう。刀哉殿にやましい下心があるとは思っていませんから」


「ふむ……男としては嬉しいような、悲しいような、複雑になってしまうなぁ」


 苦笑しつつ妖夢の部屋の畳に腰を下ろす。妖夢の得物も永琳に回収されているようで、今では二人共丸腰だ。勿論争うつもりは毛頭ない。仮に素手でやりあったとしても、右手を封じられた今となっては赤子にも等しいだろう。出来るならば刀剣を交えて決着をつけたいところだが、それで妖夢が除霊されてしまっては元も子もない。


 さて、一体どこから切り出したものかと刀哉が頭を捻っていると、先に妖夢が深々と頭を下げた。


「申し訳御座いませんでした」


「何を謝ることがある?」


「全てです! 稽古の邪魔をし、刀哉殿に挑戦した挙句に倒れ、あまつさえ医者を呼ばれてしまうなど腹を切るに値する失態です……」


「はは、気持ちは分かる。だが俺は気になどしていないぞ? むしろ謝らねばならないのは俺だ。危うく妖夢を除霊してしまうところだった。あの刀の力を、俺は何も分かっていなかった。すまない。苦しい思いをさせてしまって」


「そんな、頭を上げて下さい! どの道、私は刀哉殿に敵いませんでした。一体何処であれほどの業を?」


「憶えていない。外界から此の地に流れてきたが、外界での記憶を全て失ってしまった。刀哉という名前も俺を助けてくれた魔法使いから貰ったもので、本当の名前も、親も師匠も思い出せない。剣術だって、ただ身体にまかせているだけだ。特に考えて動いているわけでもない。まるで俺ではない誰かが俺の中に入っているようだ」


「元の世界に帰ろうとはしなかったのですか?」


「一応霊夢には相談した。だが、俺はもう此方側の人間らしい。そも元の世界を憶えていない以上、何処に帰ればいいのかも分からない。最近は此方の居心地の良さにすっかり染まり始めてしまった。だが俺は諦めない。記憶を取り戻すまでは……生き続ける。邪魔をする者は斬り捨てるまでだ」


「刀哉殿は……まっすぐなのですね?」


「妖夢も大概だと思うぞ? 多分、俺達は似たもの同士なのだろう。仮に逆の立場だったとして、俺が人里で道場を見つけたら迷わず乗り込んでいたはずだ。剣士としての性なのだろうなぁ。妖夢と剣戟を交えている時、実に楽しかった」


「私は、大真面目でした」


「無論だ。ふざけた奴と剣など交えたく無い。ところで、具合は如何だ?」


「このとおり、すっかり回復しました。久々にゆっくりと休養を取れましたし、霊力も戻って何時でも剣を握れます。でも刀哉殿は右手に包帯をしていますね?」


「ああ。永琳に射抜かれたからな。大丈夫、一生剣が握れないことはない。すぐに良くなるとのことだ。決着は、竹刀で付けるとするか?」


「はい、その時は是非!」


 剣の話題になると途端に目を輝かせる辺りがいかにも妖夢らしい。

 そこに竹刀なり木刀なりあれば、すぐにでも表に出て試合を続行したいと言い出さんばかりの勢いだ。実に小気味良い。刀哉とて右手が万全ならばそうしたいところだ。


 それにも増して己の愛刀が気になる。


「あの、刀哉殿」


「どうした?」


「此度は、私が刀哉殿の道場に乗り込んでしまいました。そのお詫びに、次は私が住む白玉楼に来て頂けませんか? 幻想郷から少し離れた幽界にあるのですが、出来ればそこで私に稽古をつけて頂きたいのです」


「幽界? つまるところ、死後の世界ということか?」


「いえ。あの世とこの世の境目にある屋敷です。昔は結界で封じられていましたが、今は生者も訪れることができます。私がご案内致しますので、是非お願いします」


 そこまで願われては断るわけにもいかず、また断る理由も無かったので、刀哉は快く首を縦に振った。丁度良い。この世に記憶の手がかりが無いのならば、幽界だろうが海の底だろうが探しに行くだけだ。存分に言葉を交わし合った二人は夜が更けたこともあり、一旦別れることとした。


 妖夢の部屋の障子を静かに閉じ、己の部屋に戻ろうと縁側を歩く刀哉を白い満月の輝きが照らす。


「はぁい、剣客さん。お久しぶりねぇ」


「あんたは……八雲、紫?」


 月を見上げる刀哉の眼前に、スキマから八雲紫が現れた。


 金色の長髪と雪のように白い肌、そして艶やかな体つきは相手が恐るべき大妖怪であると分かっていても、美しいと思ってしまう。


 だが反射的に脳が警鐘を打ち鳴らし、無意識に四肢が防御の構えを取った。


「あらあら、魔理沙の家で会った時と少しも変わらないのね? 言ったはずよ? 物騒なのは好みではないと。それより、一緒に月見を楽しみましょうよ。今宵の満月は何時にもまして格別よ?」


 そう言って縁側に腰掛けた八雲紫が何処からともなく徳利を取り出し、二杯の盃に琥珀色の酒を注いでいく。


「これでも入院患者なのだが? 酒を飲んでいいものやら」


「少しくらいなら薬よ。百薬の長というでしょう? 堅苦しいことは無し」


 トントンと己の隣を指で叩いた紫に従って、刀哉も腰を下ろし、盃を取って彼女と乾杯した。


「ふはぁ。こういうお酒も乙なものね。あなたも随分と此処に馴染んできたじゃないの」


「あんたには聞きたいことが山ほどある」


「そうでしょうね。でも最初に言っておくけれど、あなたを此処に導いたのは私ではないわ。それだけは覚えておいて。で、何を聞きたいの? 大体の見当は付くけれど」


「ならば話は早い。俺は一体何者なんだ?」


「そうねぇ……端的に言えば、人にして人に非ず。物にして物に非ず。即ち人々が抱いた幻想にして忘却の彼方へ旅だった存在……とでも言っておきましょうか」


「答えになっていないぞ?」


「当たり前よ。そう簡単に答えを明かしても面白くないでしょう?」


「歯がゆい話と戯言が嫌いと言ったのを忘れたか?」


「ごめんなさいね。趣味なの」


「悪趣味だな」


「お酒の席なら悪くない趣味だと思わない? ま、この世界であなたは良く頑張っていると思うわ。まさか天狗の里に乗り込むなんて予想外だったけれど」


「天魔に告げ口をしたのもあんたなのだろう?」


「告げ口じゃないわ。提案よ。おかげで手打ちで済んだのだからいいじゃないの。少しは感謝して欲しいものねぇ。それに、あんなところであなたに死なれては困るのよ」


「何故だ? 何故俺に肩入れする?」


「あなたにではない。あなたが持つ神刀に……いえ、あなたに宿る魂に用があるのよ。でなければ私のねぐらに連れ去って食料か慰み者に――」


 酒の勢いか、あるいは食いついて離さない刀哉に苛立ったのか、紫は声を荒げて確信の陰を口走った。本人も言うだけ言った後に気づいたのか、両手で口を押さえている。


 刀哉はそれ以上問いたださなかった。初めて酒に口を付け、一気に飲み干す。


「なるほど。やはりあの刀を持っていたのは意味があったということか」


「高天原の神刀をただの人間が持てるわけ無いでしょう」


 自分の失態に苛立っているのだろうか。

 紫はムスッと頬を膨らませ、自棄気味に酒を煽っている。


「あなた……物の気持ちを考えたことがある?」


「なんだと?」


「物の気持よ。物に宿った魂の気持ち。例えば包丁は料理を作るために生み出されたけれど、それが人の命を奪う凶器として扱われた時、包丁は喜ぶかしら?」


「……無念だろうな」


「でしょう? 古代の人間は日々使う道具や自然に神を見出し、八百万として祀り上げた。善悪の概念も無く、ただそこに宿る魂を純粋に信仰した。すると、救われる魂もあれば無念にむせび泣く魂も現れる。文明が発展するに連れて淘汰されていった物たちの悲しみがどれほどのものか……考えたことはある?」


 刀哉は俯いたまま無言を貫いた。しかし、紫が何を言わんとしているのか段々と浮かび上がってくる。布都御魂は悪しき魂を斬るもの。つまりは、そういうことなのだろう。


 何を斬れば良いのかは、未だに分からないが。


「ところで、あなた白玉楼に行くんですって?」


「盗み聞きは感心しないなぁ」


「たまたま聞いただけよ。白玉楼には私の友人がいるの。彼女に会ったら宜しく伝えておいて。それと、白玉楼に行けばあなたに宿る魂が何者か……分かると思うわ」


「本当か!?」


「多分、ね。けれどそれを知った時、あなたは今までの自分を維持出来るかしら?

 徳利の酒が丁度無くなった頃、紫は物哀し気な微笑を刀哉に向けたままスキマの中へ消えてしまった。不意打ちではあったが大収穫といえる。


 いよいよ己が何者であるか分かるのだ。


 心を覆う闇夜に朝日の輝きが差し込んだかのような、晴れ晴れとした気分が彼を昂らせた。嗚呼、この手が憎い。もっと上手く立ちまわっていれば永琳に射抜かれることも無かったものを。否、鈴仙を脅すような真似をしなければ狂うことも無かったものを。


 傷が塞がるまでの時間が実に惜しい。


 とにかく一日でも早く過ぎ去って欲しかった刀哉は、さっさと寝床に就いて瞼を閉じ、醒めぬ興奮を胸に抱いたまま深い眠りに落ちた。


―――――――――――――――――――――――――――


 

 永遠亭から自らの塒である八雲の家へ戻った紫を、九尾の狐にして紫の式神である八雲藍が出迎えた。短い金色の髪に生えた狐の耳は白い被り物によって隠され、両腕を白い袖に納めて一礼する。


「宜しかったのですか? 彼にあのようなことを告げて」


「うん? ああ、白玉楼のこと? いずれにしても彼はあそこへ行くことになるわ。第一、無欲な彼があれほどまでに拘るのだから放っておけないじゃない。自らを探すためならば地獄の釜にだって平気で飛び込むわよ? だってそうじゃない。自分自身が無いのだから。まだ己のことを形の無い幻想と思い込んでいる……哀れじゃない」


「しかし紫様は、彼の魂こそが重要だと仰いました。ならば紫様の能力で、肉体と魂を切り離せば良いのでは?」


「無理よ。そんなことをしたら魂が黙っていないわ。あの刀も含めて、ね。肉体とは魂の器。肉体があるからこそ魂を制御出来るのよ。両者は一蓮托生。どちらが欠けても意味は無い。彼の場合、魂が別人というだけ。それもとびきり純度の高い高潔な御魂よ。だって彼は――」


 紫の口から告げられたその魂の名に、藍は全身の毛を逆立たせる程の衝撃を受けた。


「まさか……そんなことが? それが何故人間の肉体を?」


「それこそが御魂の意思なのよ。いいえ、それこそが、刀剣としての願いなのよ。ゆえに彼に扱えない刃物など無い。否、彼に逆らうことが出来る刃物など存在しない。彼がその柄を握りしめた時点で、たとえ主人を呪い殺し、その生き血を啜る妖刀であろうと彼に隷属する以外に無い」


「そのような人間が存在するなんて……」


「此処は幻想郷。古今東西ありとあらゆる幻想が集う場所。考えてもみなさい。現人神がいる、半人半霊がいる。ならば、半人半神がいたとしても、不思議では無いでしょう? それよりも……そろそろ動き出す頃よ。彼が斬るべき……宿命が」


 紫がおもむろに開いたスキマの先、鬱蒼と生い茂る魔法の森の奥底に蠢く黒い影が、徐々にその数を増していた。

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