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幻想剣客伝  作者: コウヤ
月の名医と蓬莱の姫
22/92

月の名医と蓬莱の姫 伍

 瞼を開き、霞んだ視界が徐々にはっきりとしてくるに連れて、見知らぬ天井が目の前に広がっていた。畳の香りが鼻をくすぐり、白い寝間着を纏った四肢がふかふかの白い布団に覆われている。むくりと上体を起こして顔に手を当て、一体何が起こって此処にいるのか考えるが、どうにも頭に靄がかかって思い出せそうも無い。


 布都御魂も部屋の中には見当たらなかった。


「む?」


 ふと己の右手を見ると、清潔な包帯で巻かれているではないか。


 ますます訳がわからない。身体の節々も鈍く痛む。まるで全身を強く打ち付けたかのようだ。指は動くようだが強く刀を握ることは難しい。利き手だけに困ったと唸りながら寝床から這い出し、障子を開けて陽の光を浴びようと思ったのだが、偶然にも刀哉の部屋に入ろうとしていた鈴仙と視線が重なりあった。


 彼女は冷水が注がれた桶と手ぬぐいを持っており、互いに暫しの間、硬直してしまう。


「お、おはよう……?」


 時刻は分からないが、とりあえず挨拶を済ませておこうと刀哉が言の葉を吐いた途端、鈴仙はがたがたと小刻みに震えて桶も手ぬぐいも放り捨てて逃げ出す。


「いやあああ!」


 叫ぶこと絹を裂くが如く、逃げること脱兎の如く、彼女は縁側を駆け抜けて曲がり角の陰に身を隠した。頭から冷水を被り、手ぬぐいを拾い上げて顔を拭く刀哉は首を傾げて彼女を手招きする。


「逃げることは無いだろう? 取って食ったりしない。俺は人間だ」


「あう……ごめんなさい。少しだけ、トラウマになっちゃいまして」


 随分な物言いに刀哉の口元が歪む。一体己が彼女に何をしたというのか。

 眠っている間に随分といろいろなことが起きたようで、一旦寝室に戻った刀哉の額を鈴仙が冷たい手ぬぐいで汗を拭く。ぎこちなく、緊張している様子であったが、その手は実に優しかった。彼女の頬に貼られた絆創膏が気になる。もしや転んだのだろうか。


「ところで……」


「はっ、はいっ! 何でしょうか?」


 顔を拭き終え、手ぬぐいを絞る鈴仙に問う。


「此処は何処だろうか?」


「永遠亭という竹林の奥の屋敷ですよ。幻想郷の診療所も兼ねています」


「永遠亭……ハッ! しまった!」


 刀哉がいきなり立ち上がり、鈴仙は反射的にビクッと震えて身を引いた。


「ど、どうしたましたか!?」


「俺としたことが何たることだ! 人里に急病人がいる! すぐに診て貰わなければ!」


「落ち着いて下さい! 寺子屋で倒れたという半人半霊さんなら、私の師匠が診察して此処で安静にしてもらっています」


「む? 妖夢が此処に?」


「はい。入院……ってところです」


「重体なのか?」


「原因は師匠が調べています。それに、ええと……」


 鈴仙は刀哉の顔を伺いながら何か言いたげに身体を揺らしている

「刀哉だ。君の名は?」


「鈴仙・優曇華院・イナバといいます。それで話の続きですけど、刀哉さんも暫く安静にして頂きます。何せ全身打撲に加えて右手に穴が開きましたから」


「右手に……? 一体何があったんだ? 頼む、教えてくれ」


 鈴仙は震えながら事の次第を話した。狂気の眼と呼ばれる彼女の魔眼を見た刀哉は理性が崩壊し、鈴仙とその相方に斬りかかったのだという。幾多のウサギ妖怪たちが犠牲になったが、永遠亭の名医にして弓の達人である八意永琳と藤原妹紅のおかげで意識を失い、治療の末に今に至るという。


軽いトラウマになった鈴仙はそこから言葉を紡ぐ事が出来なかった。


刀哉は瞼を閉じて静かに聞いており、胡座から正座に座り直して、鈴仙に深々と頭を垂れる。


「すまなかった……深謝する」


「いえ、私こそ……つい魔眼を使ってしまって……」


 妙に重たい空気が部屋の中を漂い、互いに何を言うべきか分からずに口を噤んでいると、障子に一人の影が映り込んだ。


「お邪魔しても良いかな?」


「え? もしや、姫様ですか?」


「うむ。妾じゃ。開けてたもれ」


 鈴仙が慌てて立ち上がり、障子を開けると、そこには日本人形のように美しい黒髪の少女がいた。畳んだ扇で口元を隠し、梅色の雅な着物を纏っている。


 すると鈴仙が姫と呼ばれた少女に何やら耳打ちをしていた。


「いつもの口調はどうしたんですか?」


「あら、妾が姫らしい言葉を使ってはいけない? お客人の手前、少しは礼儀というものもあるでしょう? 見れば中々良い男のようだし、鈴仙には少し勿体無いかしら。それとも、既にしっぽりと食べられてしまったのかしら?」


「なっ……違いますよ! もう、知りません! 失礼します!」


 ドタドタと騒がしく出て行った鈴仙に代わって入室した黒髪の美女が、羽織りを手で払いながら腰を下ろす。高貴でありながら、強い好奇心も孕んでいる眼だった。


 何はともあれ淡々と挨拶を済ませる。


「我が名は刀哉と申す。外界より此の地に流れ、今は人里にて子供らに剣を教えている身」


「蓬来山輝夜と申す。永遠亭の主じゃ。皆からは、姫と呼ばれておりまする」


「輝夜……もしや、竹取物語の?」


「左様。まあ互いに不要な詮索は無しということで。されど貴殿の噂はかねがね聞き及んでおりまする。いと強き御仁であるとか」


「まだまだ修行の身。この神々が住まう土地においては、何ほどのことも御座らん。ところで俺の刀は何処へ?」


「あの霊刀ならば、此方でしかと預かっておりまする。傷が癒えた暁にはお返し致しまするが、此処は仮にも診療所。人の命を救う場なれば、人を殺める武具はお控え頂きます」


「承知致した。遅ればせながら、不本意なれど多くのウサギ妖怪たちを殺めた我が身を治療して頂いた件、感謝致す」


「なんの。妾としても是非貴殿とお会いしたいと願っておりました故。しかし天狗に謝罪をさせた剣豪というものだから、一体どのような者かと思っておれば、なんとも落ち着いた御方で安心致しました」


「落ち着く、というよりも……未だに我が何者であるか分からぬのです」


「ほう。記憶を失っているが故、と拝察致します」


「いかにも。常に我が心に問い続けている……我は誰だ? 汝は誰だ? 人か? 妖かしか? あるいは神か? 善人か? 悪人か? 答えの無い問を続ける間は、せめて、人としての道理に従って生きようと」


「ご立派な志……お美事」


「かたじけない。しかし俺は、あまりかような堅苦しい雰囲気は好みではない。姫君もどうぞ足を崩され、砕けた口調で」


「ふむ、そういうことならば猫を被るのも止めにしよう。単刀直入に言って、妾は刀哉に会えて嬉しい。とはいえ、此のような形で出会うとは思わなかったけれど。いずれは永琳に頼んで永遠亭へ招待しようと思っていたのだけど、まあ、結果は同じなので良いか」


 輝夜は楽に足を崩し、口調も家中の者と接する際のものへと変えた。

 まさかここまで砕けるとは思っていなかった刀哉は面食らうが、気にせずに自身も正座から胡座へ移る。


「して、俺を此処へ呼ぼうと思った理由は?」


「何のことはない。退屈しのぎよ。何せ数百年と生きていると暇つぶしの方法も出尽くしてきたところでのぅ。天狗の里に乗り込んだ外来人をからかってやろうと思っただけ」


「戯言は好まないな」


「真面目ねぇ。あるいはバカ正直と言ったほうが正しいかもしれない。成る程、あの永琳が刀哉の剣術を褒めていたのも理解出来る。狂っていながら理にかなった太刀筋か……そうやって、常に隙を無くしているの?」


「心がけているだけだ。眠る時は眠るし、緩む時は緩む」


「ふふ、確かに意識を失って眠り続けている刀哉の顔は可愛かったわ」


「勘弁してくれ……どのくらい、眠っていた?」


「丸三日よ。呑まず食わずで体力も衰えたことでしょう? とりあえず食事でも如何?」


「……頂こう」


 輝夜がパンと手を叩くと、ウサギ妖怪たちが薬膳を運んできた。

 同時に永琳も顔を覗かせる。


「あら、起きていたのね? 姫様まで一緒にいるなんて」


「ちょうどいい所に来たわね、永琳。紹介するわ。うちの名医、八意永琳。刀哉と半人半霊を治療したのも、彼女」


「随分と手間を掛けさせてしまったと鈴仙から聞いた。申し訳ない」


「お気になさらず。医者とは人の命を救うもの。そして人の命は食によって繋がれるものですわ。ささ、遠慮なく召し上がれ」


 促され、刀哉が箸を取ると、途端に胃袋が労働意欲を燃え上がらせ、粥の碗を掴んで音を立てて箸を動かす。右手が包帯に巻かれているので箸を左手で操るが、元々が右利きのために上手く動かせず、甘く煮こまれた筍や鹿肉も突き刺して口に運び、和え物の小鉢は口元で傾けて滑りこませた。


 輝夜も永琳もその食べっぷりに驚きながらも、どこか安堵するように微笑む。

 すっかり綺麗に膳を平らげた刀哉が箸を置き、両手を合わせて一礼する。


「ご馳走様でした」


「お粗末さまでした。うん、食欲があるのならもう大丈夫。右手の傷もすぐに塞がるわ」


「丸三日か……妖夢の具合は?」


「今は別の病室で眠っている。おそらく肉体的な疲労と、あなたの刀の霊力に触れてしまった所為ね。あの刀について、少し教えて貰えるかしら?」


「教えるといっても、その名前くらいしか分からない。山の神の受け売りだが、あれは神代に天上で創られた布都御魂という霊刀だという」


「ほう……」


 と、輝夜がただならぬ顔で息を吐いた。

 永琳も同様に眼を丸くして驚きを隠しきれず、同時に、妖夢が倒れた理由に確信が持てた様子だ。


「やはり、あの刀ね」


「そのようですわね。半人半霊とはいえ、あの刃に近づけば危ういようです」


「一体、何のことを喋っている?」


 永琳と輝夜だけが納得している様が歯がゆく、刀哉は質すと、永琳が咳払い混じりに告げる。


先述した通り、布都御魂はかつて神々が住まう高天原にて創られたもの。


 その名は物体を斬る際に鳴る布都という音と、穢れを持つ御魂を断つ意味が込められている。即ち、あの霊刀は元々悪しき神や怨霊を断つために創られ、やがて日ノ本を平定する運命を背負った男に授けられたという。


 勿論その男は既に世を去り、今となっては天界にて隠居しているのだと輝夜が付け加えた。


「要するに、あの刀によって妖夢が除霊されかけた、と?」


「端的に言えばそうね。生半可な霊ではあっという間に消滅してしまう。藤原妹紅の首が中々回復しなかったのも、恐らくは不死という穢れを魂が持った故にってところかしら。もしも首ではなく心臓を深く貫いていたら、それこそ魂ごと砕かれていたかもしれないわね。まさに、一撃必殺といったところね」


「おお、怖い怖い。妾も斬られぬように気をつけなくちゃねぇ」


「……益々分からんな。何故俺が、そんな凄い刀を持つことになったのか」


「妾が思うに、それは逆。何故刀が其許そこもとを選んだのか。先の永琳の話から逆算すれば、あるいは刀哉に穢れを祓わせようとしているのかもしれない」


「だから俺を選んだ? しかし、俺はそれだけの男だったのだろうか?」


「現に刀は其許を選んだ。うちの永琳を苦戦させるなんて大したものよ」


 控えていたウサギ妖怪たちが膳を下げ、用意した熱い茶を啜る輝夜が袖を振る。


「まあゆるりと養生しなさい。此処に来て休む間も無かったようだし、たまにはハメを外すのも悪くない」


「姫様はハメを外し過ぎです。けれど姫様の言うとおり。あなたはもう数日は此処でおとなしくしていて貰うわ」


「断れば?」


「あら、医者の言うことは聞くものよ? これは善意なのだから、反故にするのは道理に外れると思うけれど」


「……承知した。暫く、お世話になります」


「宜しい。何かあれば弟子の鈴仙を使ってあげて。妖夢の病室は、此処を出て突き当りを曲がった先よ。じゃあ、ごゆっくり」


 病室から永琳と輝夜が出て行き、静けさを取り戻した部屋の中、刀哉はごろりと布団に身を預けて天上を見つめる。過程はどうあれ、妖夢の治療が済んだのならば当初の目的は果たせた。しかし右手が使えない上に数日も養生するというのも辛い。


 恐らく鍛錬をしていても永琳に止められることだろう。


 思えば、幻想郷に来て暇を持て余すことなど無かった。


 いきなり訪れた休日に困惑してしまうというのもおかしな話だ。普通、人間は休みの日は喜ぶものだろうに。丸三日も眠りこけた刀哉は床に就いても全く睡魔が訪れず、右に転がり、左に転がり、立っても座っても全く面白みが無かった。


 別に人生に面白みを求めているわけでもないが、どうやっても落ち着くことが出来ない。


 永琳に書でも借りれば良かったと思いながら病室から出ると、庭先で餅をつくウサギ妖怪たちと、それらを束ねる因幡てゐがせっせと作業に従事していた。


 縁側に腰を下ろしてその様子を眺めていた刀哉であったが、彼の存在に気づいたウサギ妖怪たちが騒ぎ始める。


「あ! あいつ……人里の辻斬りだ!」


「げぇ! こっちを見ているよ!」


「どうしよう……あの人間に沢山仲間が殺されたんだよね?」


 陰口を叩かれていることを雰囲気から悟った刀哉は自嘲した。

 どうやら狂った己は考えていた以上に暴れてしまったらしい。

 これで辻斬りという渾名から逃れることはできなくなってしまった。


「お~い! お前たち、震えていないで手を動かすウサ!」


「で、でも、てゐ様ぁ。また襲われるようなことがあったら……」


「まったく仕方のない奴らウサ。ちょっと私が話をつけてやるから、待っていろ」


 刀哉に怯えて作業にならないウサギ妖怪たちに鼻を鳴らし、杵を担いでつかつかと刀哉に歩み寄る因幡てゐ。さて何を言われるのかと身構えていた刀哉に、てゐがつき立ての餅を差し出す。


「くれるのか?」


「さっさと食べるウサ」


 よくよく見れば、てゐの手も小刻みに震えている。

 刀哉は彼女の手から餅を受け取り、大きな口を開けて齧った。

 甘みの強いもち米の味が口いっぱいに広がり、不意に笑みが溢れる。


「美味い……美味いぞ」


「へへん。そうだろう? ウサギが作った餅は天下一ウサ!」


「すまなかった……部下を沢山殺してしまって」


「ああ、もう気にするな。お前は悪いやつじゃないようだし、何よりも侵入者と勘違いして色々と仕掛けたのはこっちウサ。下手すりゃお前も死んでたろうから、おあいこウサ」


「む? あの罠の数々はお前が仕掛けたのか?」


「惜しかったウサ。もう少しで串刺しに出来たのに」


「次はもっと上手に仕掛けるといいぞ。俺は二度と引っかからないけどな」


「ちぇっ」


 互いに笑った。気さくな笑いは周囲の緊張も緩め、怯えていたウサギ妖怪たちも恐る恐る刀哉に近づいてくる。皆が刀哉に餅を差し出していた。親分の真似をしているらしい。


 刀哉はそれらを全て譲り受け、屈託なく食べた。


 それが仲直りの印となったらしい。


刀哉としてはこちらがウサギたちを斬ったのだから、お詫びの品はこちらが出すべきと考えていたものの、これで彼女たちが納得してくれたようなので良しとした。


危うく喉に詰まりそうになったのをウサギ妖怪が持ってきたお茶で流し込む。


 慌てて飲んだため舌先が火傷してしまったが、彼は狼狽えることも痛がることも無く、ウサギたちと交流を深めた。


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