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幻想剣客伝  作者: コウヤ
忘却の剣士
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忘却の剣士 弐

 明らかに生活に要さないものばかりだ。


 玄関の隣に設けられた食卓に移動した二人は、アンティークな椅子に腰掛けて甘い香りのする緑茶を啜る。台所も玄関同様に様々な物が置かれていた。特に料理に関する本が山積みになっている。


 温かな飲み物を味わった時、不覚にも眼が潤った。


「にしても珍しいことがあったもんだなぁ。あの妖怪どもの巣窟から生きて出てくる人間がいるなんて……刀を差しているってことは、あんた侍か?」


「知らない。目が覚めたら刀も一緒にあっただけだ。ルーミアという幼怪のお陰で森から脱出できたけど……」


「ルーミアだってぇ!? あの人喰いが? あんた本当に人間か?」


「そう信じたい。記憶の手がかりは何も無いけど。情けないよな、名乗りたくても名前が無いなんて」


「名前なんて適当に付ければいいと思うぜ? 何なら私が付けてやろうか? そうだなぁ……刀哉とうやなんてどうだ? 剣客にはピッタリの名前だぜ」


 即席の名前だったが、彼は暫しその名を繰り返し呟く。

 成る程彼女の言うとおり、名前などその人間が認識出来れば問題ない。自分の正体は分からないが、少なくとも刀を持っていたということは剣士であったようだ。


 刀哉という名前は確かに相応しかった。


「じゃあ……有り難く名乗らせて貰う。刀哉だ。君の名は?」


「私か? 私は霧雨魔理沙、普通の魔法使いだぜ」


 果たして魔法使いを普通と呼んで良いのか甚だ疑問ではあるが、ルーミアのような妖怪や神々が住む土地ならば、魔法使いの一人くらいいても良いのではないかと彼は徐々に考えを改めた。いつしか日も傾き、カラスたちの鳴き声が夕焼けに響き始める。


「お、もうこんな時間か。よし! 晩飯にしようぜ? 和食でいいよな?」


「俺も頂いていいのか?」


「当然だろ? まさか森の中に放り出すわけにもいかないって。あ~、でも、手伝ってくれるのは大歓迎だ。剣客なら刃物は使えるだろ? 野菜切ってくれよ」


 魔理沙から包丁を受け取った刀哉は、綺麗に洗われた菜っ葉や根菜を手際よく切り分けていく。干した川魚を焼き、米を炊く釜から炊煙が立ち昇る。ぐつぐつと煮詰まっていく根菜の煮物の香りが眠っていた食欲を駆り立てた。魔法使いらしいアンティークな雰囲気の家にしては、この純和食は中々浮いて見える。


 が、兎にも角にも腹ごしらえだ。


 出来上がった食事をテーブルに並べ、二人は向かい合う形で椅子に腰掛け、手を合わせた。

 光り輝く銀シャリの、何と甘いことだろう。


 食事を続けながら今後の行動を話し合う。

 ひと通りの説明はルーミアから受けたものの、詳しい地理はまだまだ無知だった。


 魔理沙曰く、この森を出て少し歩いた先に人里があるという。


 そこはいわば人間と妖怪の中立地帯で、ある程度妖怪も出歩いているが幻想郷の掟によって人間は決して襲われないとのこと。そして、その人里に博麗の巫女という人物がいるらしい。彼女は幻想郷と外の世界を隔てる結界を管理し、人間を襲う妖怪を退治していると魔理沙は言う。


 その巫女ならば、あるいは自分の正体を知っているのかもしれないと淡い期待を抱いた刀哉は微笑み、味噌汁を飲み干した。


 食後の団欒になる頃にはふたりともすっかり打ち解けていた。


「へ~、襲ってきた妖怪をバッサバッサとねぇ。やっぱり元々は侍だったんじゃないのか?」


「もしそうなら、仕えていた主人の下へ戻りたいものだな。ま、今は一宿一飯の恩義がある魔理沙が主人みたいなものだけど」


「な、何言ってるんだぜ! 小っ恥ずかしいから止めてくれよ。さあ、とっとと風呂に入って寝ようぜ。シャワーの使い方教えるから、先に入ってくれ」


 魔理沙は急に声を荒げて立ち上がり、強引に刀哉の腕を引っ張って台所に隣接した浴場に案内した。桃色のカーテンで仕切られた浴槽にシャワーが備え付けられており、石鹸とシャンプーの在り処を教わった刀哉はふと疑問を抱く。


「なあ、これってどうやって湯を沸かしているんだ?」


「魔法だぜ」


「……面妖なことだ」


 半ば呆れつつもバスタオルを借り受けた刀哉は纏っていた道着を脱ぎ、熱い湯を頭から浴びる。

 洗面台に掛けられた鏡に自分の顔が映ったのを見た刀哉は、ふと可笑しくなった。

 別に顔が奇妙だったわけではない。短い黒髪に整った顔は中性的で、黒い瞳に凛とした光が宿っている。体は痩せているが筋肉質で引き締まっており、自分で見ても以前から鍛えていたことが理解できた。


 あの刀もそう軽いものではない。


 何しろ鉄と鋼を打合せた両手武器なのだから。


 それを縦横無尽に振るい、敵を斬り伏せたことは何かの間違いなのではないかとすら思えてならない。妖怪たちの返り血で汚れた体を花の香り漂う石鹸で洗い、黒く染まった髪を清めた刀哉は白い湯気が立ち込める天井を見上げる。不意に深い溜息を吐いた。



 一体何を憂いているのだろうか。あるいは記憶を失った己自身なのかもしれず、あるいはこの先に待ち受ける長く険しい道なのかもしれず、はたまたあるいは、この幻想郷に流した運命そのものなのかもしれない。


 刀哉は浴槽に溜めた湯で顔を洗い、思念を振り払った。


 迷いは隙を生む。この世界で隙を見せることは死に繋がる。


 これ以上迷うのならばさっさと出てしまおう。


 風呂から上がり、タオルで体を拭いていると、先ほどまで籠に入れてあった道着が姿を消し、代わりに紺色の寝間着がたたまれていた。おそらくは魔理沙が用意してくれたのだろう。血なまぐさい世界とばかり思っていたが、中々どうして温かい人間もいてくれる。


 寝間着を着込んだ刀哉が居間に戻ると、魔理沙が刀哉の刀をジッと眺めていた。


 刀身を鞘から抜き、その透き通るような白刃と、薄い蒼が混じった波紋に視線を釘付けにしている。


「刀が珍しいか?」


「うわっ! び、びっくりさせないでくれよぉ」


「悪い悪い。ただ、あまりにも無防備だったものだから……何か思うところでも?」


「いや、質屋に持って行ったらどのくらいになるかな~ってな」


「勘弁してくれよ。俺の大切な相棒なんだ。それに、どうせ二束三文にしかならんよ。返してくれ」


 刀哉の少し語気の強い頼みに圧された魔理沙は、渋々と刀と鞘を差し出した。

 カチンという音と共に刀身を鞘に収め、風呂と寝間着の礼を言った刀哉は道着の行方を尋ねた。魔理沙は道着が汚れていたので洗うつもりだったとのこと。さらに礼を言おうとした刀哉だったが、魔理沙が足早に風呂場へ消えていったため、出しかけた言葉を飲み込んで席についた。


 ふと窓の外を見れば、夜空に煌々と白い月が輝いている。


 自然と足が家の外に出ていた。吹き抜ける夜風が生ぬるく、満天に光る星々に思いを馳せていると――。


「あまり夜風に当たっていると、風を引くわよ? 剣客さん」


「っ!」


 一体いつの間に現れたのか、咄嗟に背後の上方……魔理沙の家の屋根を睨むと、そこには長い髪を風に揺らす大人の女性が刀哉を見下ろしていた。手に持つ扇で口元を隠しているので表情は分からなかったが、少なくとも眼は人を小馬鹿にしたような笑みを秘めていた。人でないことは、明らかだった。雰囲気が今までの連中とは桁が違う。


 すると彼女はさも可笑しげに笑った。


「ふふ、そんなに警戒しないで頂戴。別に取って食おうなんて考えていないわ。少しあなたとお話をしたいと思っただけ。この幻想郷に流れ着いた数少ない人間ですもの」


 彼女はふわりと宙に浮き、刀哉の隣へ軽やかに着地した。

 試しに刀の柄に手をかけてみたが、彼女が持つ扇が手の甲を叩き、そこからぴくりとも動かす事ができない。まるで手が石になってしまったようだ。


「あまり物騒な真似は好みじゃないわね。それに、今の貴方では、私に刃を掠めることもできないわ」


 手の甲を押さえていた扇が離れ、刀哉は刀の柄から手を引いた。


 穏やかな大人の女性だった。白と紫を貴重とした衣を纏い、月明かりを反射する紅い口紅がなんとも艶やかだ。刀哉は彼女の余裕を受け流しつつ思うことを尋ねる。


「俺のことを知っているのか?」


「知らないわ。だから会いにきたのよ。興味本位でね。あるいは、暇つぶし」


「妖怪か?」


「ええ。この世の陰に潜み、人間たちから畏怖される存在よ。といっても、あの森の中にいるような連中と違って、私は人間に寛容な方だけど。だから貴方が妖怪たちを両断したことを責めるつもりは無いし、特別な感情を抱いているわけでもない。彼らは弱かった。ただそれだけよ」


「……本当に暇つぶしなんだな?」


「あら、戯言はお嫌い?」


「歯がゆいのが嫌いなだけだ。愚弄されて喜ぶ人間なんてそうそういない」


「それもそうね。なら、言いたいことだけ言って消えるわ。ただし、しっかりと肝に銘じることをオススメしておく…………幻想郷はすべてを受け入れる。人も、妖も、そして神でさえ、この世界は森羅万象の全てを受け入れる。勿論貴方のことも。だから覚えておきなさい。この先、自分が何者で、どういう運命を辿ることになっても、幻想郷は貴方を否定したりしない……言いたいことはそれだけよ。じゃあ、湯冷めをしないようにね。またいずれ会うことになると思うわ。果たして今日のように穏やかに済めば良いけど――」


 一瞬風が強く吹き抜け、刀哉が瞬きをした後には影も形も消え失せていた。

 首をかしげる刀哉の耳に、屋内から自分の名を呼ぶ魔理沙の声が聞こえる。


「お~い! そんなところにいたら湯冷めをするぜ! 早く入ってこいよ」


 緊張の糸が切れた刀哉は深く息を吐いて踵を返した。


 魔理沙の寝床は屋根裏部屋にある。屋根裏といってもきちんと整理された広い空間で、玄関のちょうど真上に彼女が魔法を研究するための机があり、無数の魔術書が山のように積み上げられており、台所の真上にベッドが置かれていた。


 さて、問題は刀哉の寝床である。


 まさか一つのベッドで眠るわけにもいかず、何処で寝させたものかと悩む魔理沙に刀哉がにべもなく言う。


「場所が無いなら、一階の床で寝る。今宵はそれほど寒くはないから、枕となる物があれば十分だ」


「それだと体が痛くなっちまうぜ。いいから私に任せとけって。確かこの辺りに――」


 魔理沙は部屋のクローゼットを開けて中を徹底的に漁り始め、何の用途に使うのか分からない奇妙な道具をかき分けて、目当ての物を発掘する。


「おお! あったあった!」


「何を見つけたんだ?」


「へっへっへ。結構前に実家から持ちだした寝袋だぜ。これなら床で寝るよりはマシになる。遠慮せずに使ってくれよ? あと、別に一階に移らなくてもいいんだぜ?」


「本当に良いのか? 男と女が同じ部屋で眠っても」


「ま、せっかくだからな。眠るまで喋るのも乙ってもんだろ? そうだ、寝酒に付き合ってくれよ。いい酒があるんだ」


 まるで子供のようにはしゃぐ魔理沙は戸棚から一升瓶を取り出し、紅い絨毯に腰を下ろして二杯の盃に注いでいく。刀哉も胡座をかいて、とくとくと小気味の良い音が響くのを楽しみ、透明な清酒が注がれた盃を受け取った刀哉はグイッと飲み干した。スッキリとした後味と芳醇な香りがなんとも言えない。


「おお! 刀哉って意外とイケる口だな!」


「酒なんて生まれて初めて飲んだ……と思う。案外、美味いな」


「そうだろう? なにせ大吟醸だからな!」


 と、刀哉が舐めるように美酒を味わっている合間にも、魔理沙はグイグイと三杯目を干していた。頬が微かに桃色に染まり、さも愉快げに笑って盃に酒を注いでいく。


 刀哉はそんな彼女をいたく冷静に見つめつつも、何やら心が暖かくなり、笑みを惜しみなく顔に浮かべて同時に杯を傾ける。時は流れ、草木も眠る丑三つ時を過ぎた頃には、二人分の穏やかな寝息が部屋の中に響いていた。



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