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幻想剣客伝  作者: コウヤ
妖怪の山
17/92

妖怪の山 質

 天魔は続いて刀哉たちに視線を向けた。


「然らば此度の一件は射命丸の責任……こちらで厳罰に処す故、手を引いては貰えまいか?」


「不躾ながら、一つ天魔殿に尋ねたい。なぜ手打ちという手段を選ばれた? 俺は見ての通り、ただの外来人。天狗から見れば何ほどのことも無いはず」


 全く物怖じを見せない刀哉の質問に、天魔は歯ぎしりをして怒りをあらわにした。


「そうだとも。我らから見ればそち如きなど、取るに足らん人間に過ぎぬわ! 何故、我が一族の者が頭を垂れておるのか……無論、恥辱に打ち震えるそちの怒りは尤も。だが最大の理由は、幻想郷の意思より命じられたからである」


「幻想郷の意思?」


「いかにも……幻想郷の意思を知る、妖怪の賢者の指図だ。だがそれだけではないぞ。我が右腕たる鞍馬大天狗、そして我が目にして耳である白狼天狗の小娘の懇願によって、今こうして言葉を交わしておるのだ。天狗が人間に頭を下げるなど、未だかつて無く、未来永劫二度と訪れぬであろう! 小僧、手打ちとせよ! その首……まだ惜しかろう?」


「……俺の首など惜しくは無い。まだ射命丸から、慧音に対する謝罪の言葉を受けていない」


「刀哉! もうよせ!」


 必死の形相で刀哉の道着を掴む慧音を振り払い、天魔の前に布都御魂を叩きつけた。


「さあ首を取るがいい! 俺の首と慧音への謝罪と交換だ! さもなくばこの生命燃え尽きるまで斬り結び、射命丸の首を取る!」


 場が静まり返った。


 ある者は驚愕のあまり言葉を忘れ、ある者は人間の挑戦に怒りに震え、ある者は感嘆の吐息を漏らしている。ついに天魔がその巨体を持ち上げ、刀哉の前で仁王の如く踏み出した。


 すぐに神奈子と諏訪子が立ち上がり、一触即発かと思われたその時。


「すみませんでした! お二人に謝ります! ごめんなさい! ごめんなさい!」


 射命丸の涙声が全員の視線を集めた。


「私が悪かったんです! だから双方とも止めて下さい! 争いになるくらいなら、謝ったほうがマシです!」


「射命丸……そちは……」


「天魔様、恐れながら申し上げます。全ては私の捏造記事が招いたこと。刀哉さんは私の取材に誠意から答えてくれました。だから私が謝るのは当然のこと。どうか怒りをお鎮め下さい!」


「天魔様、この鞍馬からもお願い申し上げる。射命丸の申す通り、此度の一件は天狗側に負い目が御座る。此の場で小僧の首を取るは容易なれど、幻想郷の意思ならば如何ともし難いと存ずる。そも、こやつ天狗を怖じぬ肝っ玉といい、その清流の如き魂といい、殺すには惜しい。こういう者が居てこそ、幻想郷の秩序も保たれるというもの」


「……小童、否、刀哉とやら。直ちに里へ帰るがよい。二度とその面を我が前に晒すな」


「御免。慧音、帰ろう」


 刀哉は慧音の手首を掴み、そのまま神奈子と諏訪子も引き連れて天狗の里を後にした。


「この……馬鹿者!」


 山の中、慧音の平手打ちが頬に鈍く痛む。理由は十分に理解していた。

 自分でも、なぜあそこで引き下がらなかったのかと思う。

 何よりも今、慧音に涙を流させてしまったことが胸に痛かった。


 神奈子も諏訪子も何も言わずに歩き続けていたが、平手打ちの音を聞きつけて、神奈子が先に口を開いた。


「刀哉……少し、気になることを尋ねる。もしやそなた……最初から自分の命が人生の勘定に入っていないのではないか?」


 刀哉は答えない。その沈黙が肯定を示していた。

諏訪子はキュッと唇を噛み締め、絞りだすように言う。


「記憶を失うということは……詰まるところ、自分自身を失うということ。だから刀哉は、まだ自分のことを理解出来ていない。むしろ、自分自身を実態の無い幻想と思い込んでいる。そうでしょう?」


「そうだ……そうだとも! では問おう! 俺は一体誰だ! 俺は何者だ! 名は? 故郷は? 親は? 兄弟は? 友は? 俺が一体何をした! どうして俺はこんなところにいる! ふざけるな、何が幻想郷の意思だ! こんな残酷な仕打ちがあるか!」


 初めて、人の前で涙を流した。滝のように、泉のように、頬を滴り落ちていく。


 刀哉は全てをぶちまけた。孤独感も、故郷への哀愁も、そして自分自身への渇望を全て言葉に乗せて吐き出した。厳しい目でそれを受け止める神奈子と、哀れみを顔に浮かべる諏訪子と違い、慧音は強く刀哉を抱きしめた。


 震える手で刀哉の髪を優しく撫で、慧音の鼓動が聞こえる程に、その柔らかな胸が刀哉の顔を包み込む。


 情けないと思った。


 しかし、慧音の母性が刀哉の意地を凌駕した。


 堪えきれずに嗚咽した。足から力が抜け、地に膝を着けて、慧音の胸の中で泣きじゃくる。彼女も何も言わず、ただ刀哉の悲しみも寂しさも受け止めて、彼を抱き続けた。


 時は流れ、刀哉は目も鼻も真っ赤に染めて慧音に謝る。


「ごめんなさい……」


「もういいんだ。私も、少し怒りすぎた。実を言うとな、嬉しかったのだ。確かにあの記事は私にとっても悔しかった。人里での目線も痛かった。しかし、いつものことだと諦めるつもりだったのだが、まさか刀哉がここまで私のことを考えてくれているとは……なんてな」


 すると急に森の中に突風が吹き荒れ、上空から射命丸と鞍馬天狗、そして椛がやってきた。


「あややや! 皆様方、先程はどうも!」


「射命丸……」


 反射的に刀哉が視線を鋭くすると、射命丸は両手を左右に振って後退する。


「ま、待って下さい! もうお二人の記事を書くつもりはありません! ただ、ちゃんとお詫びをしたくて……」


「カッカッカ! というわけじゃ。小僧、お主も男ならば、もう水に流してやらんか」


「刀哉さん、私からもお願いします。文さんもすっかり反省していますし」


 上目遣いで刀哉を見つめる射命丸の顔を見ていると、あれほど燃え盛っていた怒りも徐々に冷め、刀哉は彼女に手を差し出した。


「仲直りだ」


「は、はい!」


 刀哉の手を握り返した射命丸。互いに笑顔を交わし、皆を引き連れて守矢神社に戻ると、境内を掃除していた早苗とにとりが出迎えてくれた。


 早苗は刀哉の姿を見るや、手にしていた竹箒を捨てて駆け寄り、その逞しい胸に飛び込む。


 その後は当然の如く酒盛りが始まった。刀哉と射命丸、そして慧音が和解の盃を交わすところから始まり、神奈子も諏訪子も、そして鞍馬天狗さえもうわばみのように大酒を飲み明かす。一番下っ端の椛は早苗と共に給仕に従事していたが、酔っ払った射命丸に絡まれた上に諏訪子にも捕まってしまった。


「カッカッカ! いやぁ、愉快じゃのう!」


「鞍馬殿、此度のこと、礼を申す」


「なぁに、拙僧もお主のことを買っていたのでなぁ。昨晩の剣舞は愉悦の極みじゃった」


「流石に源氏の子を弟子にしていただけのことはあります。鞍馬天狗殿は、人間に対して寛容なのですね」


「応とも。上白沢殿とて分かろう? 人間とは誠に面白い生き物よ。鞍馬山にて拙僧の道楽で鍛えてやった鼻垂れ小僧が、いつの間にか源平の戦にて武功を立ておった。名も無き平民の子が、天下を統一した時もあった。世は諸行無常なれど、人間の面白さだけは不変のものよ。お主を見て、それがよぅく理解出来た」


「俺を?」


「うむ。拙僧も随分と永いこと天狗をやっておるが、天魔様に楯突いた人間なぞ初耳じゃわい! 人間に出し抜かれた天狗は少なからずいるがのぅ。隠れ蓑を盗まれた間抜けが良い例じゃ」


「しかし、天魔が言っていた妖怪の賢者とは?」


 刀哉の疑問に慧音が答えた。


「何処に住んでいるのか、何時現れるのか誰にも分からないが、少なくともこの幻想郷で最も力を持っている大妖怪のことだ。名は、八雲紫」


「八雲紫……」


「不気味で、胡散臭いと評判だ。実は、人里での宴にも現れていた。酔いつぶれた刀哉を寝床へ運んだのも八雲紫だ。随分とお前のことを知っている風だったが、何処かで会った記憶は無いか?」


「ああ、そういえば魔理沙の家で不思議な妖怪に会った。此処に来た最初の日だ。長い金髪に、扇を持ち、白と紫の衣を纏っていた」


「やはり、か。どうもあのスキマ妖怪が一枚噛んでいるように思える」


「カッカッカ! 小僧、物事には順序というものがある。向こうがお主に興味を抱いておるのならば、いずれ相対することもあろう。それよりもどうじゃ? 拙僧の弟子にならぬか?」


「鞍馬殿、の?」


「うむ。お主はまだまだ修行の余地がある。いっそ、天狗の仙術も含めて伝授してやろうか? 我が弟子の如く」


「剣術だけでなく仙術までも教えていたのですか?」


 呆れた風に慧音が問うと、鞍馬はさも自慢げに胸を張る。


「当然じゃ。でなければ八艘飛びなどという馬鹿げた技など出来るものか」


 この提案がどれほど魅力的であったか。仙術はともかく、鞍馬天狗の剣術を伝授出来るものならば学びたい。しかし、既に刀哉にはやらねばならないことがあった。


「人里にて、道場をせねばなりません。子供らに剣を教えてやる約束があるのです。しかし、いずれはその技を学びたいと考えています」


「ならば致し方なし! じゃが、いずれにせよお主は拙僧のもとへ来ることになろう。幻想郷にはお主など物の数ではない猛者が多い。連中を相手にするならば、人の技を超えねば始まらんのじゃ。それにしても巫女のお嬢、この肴は絶品じゃのう!」


「ふふ、ありがとうございます。刀哉さんも沢山食べて下さいね」


 存分に食べ、存分に飲み、存分に語り合った。


 射命丸との確執もすっかり消え失せ、刀哉を将棋で散々に打ち負かし、逆に射命丸は囲碁で散々に打ち負かされた。神社自慢の温泉でも、女性陣らは華やかに湯浴みを楽しみ、刀哉と鞍馬天狗は腕を組み、頭に手ぬぐいを乗せて厳かに身を清める。


「よいか、小僧! 風呂はのぅ、生きている内で数少ない素っ裸になる機会じゃ! ゆえに身も心もすっかり清め、俗の垢を落とさねばならん! しかし、お主のナスビは剣の腕前に比べて随分と小さいのぅ」


「……ほっとけ」


 守矢神社の灯りは夜更けになっても消えることは無く、朗らかな笑い声が、いつまでも妖怪の山に響き渡っていた――。


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