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幻想剣客伝  作者: コウヤ
妖怪の山
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妖怪の山 肆

「あ! 刀哉さん、見て下さい! 流れ星ですよ! あんなに一杯!」


 どうしてこんなことになってしまったのだろう。腰掛けに座る刀哉は力なく俯き、ごしごしと早苗に背中を流されている。流れ星など今はどうでもいい。そんなことより、一刻も早くこの状況を脱したかった。


 別に早苗が嫌いなわけではない。決して無い。


 しかし、若い男女が一つの風呂で、しかも身にまとうのはタオル一枚というのは如何なものだろうか。もしも何かの拍子でタオルが取れ、その柔らかな肢体を目の当たりにしてしまえばどうだろう。あるいは刀哉のなまくら刀をいたいけな少女の前に晒すことはこの上ない恥辱だ。もしそうなったら腹を切る。介錯は神奈子にでも頼むとしよう。


 当然最初は断固として拒否した。


 湯煙の中に早苗の華奢な足が見えたときは思わず生唾を飲み込んだが、すぐに視線を背けて大声をあげる。


「何をしているんだ! はしたない! 自分の背中くらい自分で流す!」


「やっぱり、怒っているのですか? さっき、私が軽率なことを言ったから……」


「いや、そうではない! そうではないのだが!」


「私、刀哉さんの力になりたいんです! だって同じ外来人だから! 外の世界からこちらに流れてくる寂しさも、不安な気持ちも分かります。特に刀哉さんは外の世界の記憶すら無いんでしょう? そんなの、あまりにも酷いですよ……私はただ……同じ外来人として……」


 目の端に涙の粒を溜め、早苗は絞りだすような声色で彼に訴えた。

 何と健気なことだろう。一番寂しいと思っているのは自分自身ではないか。


 神奈子や諏訪子という家族がいたとしても、やはり故郷を離れれば言い知れぬ寂しさに襲われることがある。だからこそ献身的に世話をすることによって紛らわせていたのではないか。刀哉は早苗の真意を噛み締めるうちに、故郷も、友も、親すらも忘れた己の方が救いがあるように思えてならなかった。


「……背中だけ、だからな?」


「はい! お任せ下さい!」


 という経緯で今に至るわけであるが、早苗が桶に水を溜めて刀哉の背を流し、ようやく永遠とも思える時間が終わると、刀哉はホッと胸を撫で下ろした。天国のような地獄とはまさにこのこと。その後、刀哉と早苗は共に湯船に浸かって流星群を眺めた。


 無論身に纏うタオルはつけたままだが、すぐそこに裸の女人がいると考えるだけで顔が火照ってしまう。別に女が苦手なわけではないのだが、一体この緊張はどうしたことだろう。ふと早苗を盗み見ると、早苗もまた刀哉をちらりと伺っていた。


 二人の視線が重なり、途端にふたりとも視線を逸らす。


 妙な空気が辺りに漂った。


「もうひとつ、お聞きしてもいいですか?」


「何だ?」


「もし、刀哉さんが自分の記憶を取り戻したら……元の世界に帰りますか?」


 その問に答えるまで暫しの時間を要した。記憶次第にもよるが、聞いた限りでは今の外界に己の居場所があるとは思えない。一度はこの地に根を張ろうと決めたのだ。


 今はただ、自分が何者かわかればそれでいい。


 だが本当の記憶を取り戻した時、果たして己は今のままでいられるかどうか……それもまた彼が新たに抱いた不安の種だった。故に曖昧な答えしか出て来なかった。


「それはその時になって考えるしかない。記憶を取り戻した時、俺は俺でなくなるかもしれない。善人かもしれないし、悪人に成り果てるかもしれない。だから俺は今を大切にしておきたい。正直、早苗さんと風呂に入るのは小っ恥ずかしいところだが」


「私だって、男性とお風呂に入ったのなんて、赤ちゃんの頃にお父さんと入ったくらいです」


「それは数に入らないだろう。まだ男も女も関係ない時だ」


「もう! 私だって恥ずかしいんですからね! 茶化さないでください」


「はっはっは、すまんすまん。さて、明日は天狗の本陣に乗り込みだ。茹で上がらないうちに出るとするかな」


 と、半ば無理やりその場を締めて立ち上がった時、滝のように身体を流れ落ちる湯に押されて、刀哉の腰に巻かれていた手ぬぐいがはらりと取れた。


『あ……』


 同時に間抜けな声が出て、刀哉がしまったと後悔したときには既に遅かった。


 しかと刀哉のなまくら刀を刮目してしまった早苗はみるみる顔を赤らめ、頭からもうもうと湯気を吹き出す。否、実際は湯船から立ち上る湯煙だったのだが、早苗は叫ぶことも目を逸らすこともせず、そのまま目を回して顔から湯に倒れこんでしまった。


「早苗!」


 慌てて刀哉が湯に沈む早苗を抱き上げると、彼女は完全に伸び上がっていた。

 すぐに早苗を抱きかかえて着物を引っ掴みつつ飛び出した刀哉は、手早く彼女に浴衣を着せて居間に寝かしつけ、額に冷たい濡れタオルを乗せて、自身も早苗が用意してくれた浴衣を着込んだ。


 うたた寝をしているにとりに素っ裸を見られなかったのは僥倖ぎょうこうと言わざるを得ない。


 諏訪子と神奈子が戻ってきたのはその直後であった。


 早苗を団扇うちわで扇ぐ刀哉から事情を聞くやいなや、膝を叩いて笑い転げる。


「も~う! 早苗ったら慣れないことするからぁ」


「しかし、そなたも中々初心うぶではないか。てっきり手馴れているのかと思っていたぞ。それに、せっかくの据え膳を食わぬとは甲斐性なしと言われても仕方がないぞ?」


「勘弁してくれ……早苗には俺よりも良い相手がいるはずだ。それに、これは俺の不注意。俺にとっても早苗にとっても恥辱だ。神奈子殿、腹を切るから介錯を頼む」


「見上げた心意気だが冗談として受け取っておくぞ。それに、私はそなたが婿に来ても良いと思っていたのだが?」


「ちょっと神奈子! そういうことは二人で話し合って決めようって約束したじゃない!」


「では諏訪子は刀哉では不満か? 中々男気があるし、立派な跡取りを作ってくれそうじゃないか」


「そういう問題じゃないってばぁ!」


 果たしてどこまで本気なのか知れない神奈子に諏訪子が抗議していると、気絶していた早苗がゆっくりと瞼を開いた。


「あれ……? 私、どうして……はっ! え? ど、ど、どうして私が刀哉さんに介抱されているんですか!? あれ? 確かお風呂に入っていたはずなのに」


 慌てふためく早苗の肩に諏訪子が手を添える。


「早苗……知らなくていいことも、あるんだよ?」


「うむ。別に刀哉の一物を見たとて、早苗の貞操が奪われたわけではないのだからな」


「っ!?」


 早苗は逃げ出した。脱兎の如く、あるいは疾風の如く、脇目もふらずに自分の部屋へ閉じこもってしまった。今頃は恥ずかしさのあまり悶絶していることだろう。


「神奈子ぉおおお! そこは黙っておくところでしょうがぁああ!」


 小さな拳で神奈子の腹をポコポコと叩く諏訪子の拳を毛ほどにも感じていないのか、神奈子は腕を組み、胸を張って高笑いする。


「はっはっは! 慌てふためく早苗も中々可愛いからな。つい悪戯をしてしまった。ああ刀哉が気に病むことはないぞ? それよりも、重大な話があるからな」


 神奈子は手にしていた刀哉の愛刀を両手で差し出した。


「お返しする。そなたの過去は分からなかったが、この刀の正体は掴むことが出来た」


「この刀の……?」


「うむ。名を、布都御魂という。私や諏訪子と同じく、遥かな昔、高天原という天上で造られた霊刀だ。如何なる因縁によってそなたを主人と選んだのかは分からないが、その刃は総ての悪しき霊魂を祓うと伝えられている」


「では、俺が妖怪たちを相手に斬ることが出来たのも」


「そう。布都御魂の霊力によるものだ」


「ならば、この刀を持っていた人物が俺に繋がるのでは!?」


「落ち着いて。その剣は高天原……つまり、天津神あまつかみが住まう天界で造られたものだけど、私や神奈子は初めから地上で生まれた国津神くにつかみなの。だから、布都御魂のことは名前や霊力の程を伝え聞いているだけで、持ち主までは分からないの」


「そも、布都御魂は神のみが扱うことを許されたもの。しかし、そなたからは私たちのような神気が無い。ただの人間だ。故に、私達はそなたの正体について何も分からない」

 


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