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つきのないよる。

作者: あおいの


 夜の海。


 何も光源がない海は、ただひたすら真っ暗で、聞こえてくる波が岩場に当たる音と潮の香りが、私は海にいるということを教えてくれていた。


 振り返ると、ずっと遠くに見える小さな外灯がひとつ。民家や建物はひとつもない。舗装されてからずいぶんと経ったのか、いたるところが穴だらけで、でこぼこになっている道がかすかに照らされている。人も滅多に来ることがないのだろう。無造作に捨ててあるコーヒーの缶は、もう完全に錆びてしまっていた。数年前に発売されて、今じゃ見かけなくなったラベルだ。


 ここだけ、時間の流れが遅くなっているような、そんな錯覚を感じる。


 星ひとつ見えない空に、真っ暗な海。誰の気配も感じず、自分がそこに立っているという実感すらなくなっていくような、まるで不安定な夢を見ているかのような、そんな感覚。


 いける、と思った。


 躊躇いや恐怖は、もちろんある。けれどそれすらも押さえ込んで、今ならやれると思った。一歩前へと踏み出す行為。すべてのしがらみから抜け出し、自由を手に入れる大きな前進。


 私は、死のうと思った。


 元からそのつもりでこの場に来た。つらい現実なんてもうたくさんだ。生きていても何も楽しいことなんてありやしない。ちょっとあったとしても、そんなのはすぐに消えてしまうものだ。生きている中で、つらいこととうれしいこと、どちらが多いかと聞かれたらそれは間違いなくつらいことだ。私だけに限ったことじゃない。生きるってことは、つらい目に遭うってことだ。ほかの人たちは、そのつらいことを、楽しいことやうれしいことで上書きできるだけ。先にある良いことを糧に、今のつらいことを耐えることができるだけ。……つらいことのほうが多いのにね。


 私には、そのつらいことに耐えられるぐらいの楽しいことが、ないわけで。毎日が本当に耐えるだけ。苦しいだけ。ゴールが見えないマラソンなんて、誰が好き好んで走るというんだろう? 仮に見えたとしても、それが真っ暗でどん底で、希望なんてひとつもないようなゴールなら、誰がそれを目指すんだろう?


 だったら、耐えることなんて無意味で、走り続けることなんて無意味で、生きていることだって無意味で、


「死ぬしか、ないじゃない」


 私は死にたいわけじゃない。死ぬしかないのだ。別に死後の世界を信じているとか、生まれ変わりたいとか、そんなことはない。無意味なことならやりたくない。つらいことなんて体験したくない。でも、生きていたら逃げられない。今の生活から逃げても同じだ。本質的につらいことには何も変わりない。


 だから私は、死逃げするのだ。


 私は真っ黒い世界を見た。あそこに一歩踏み出そう。それで、後は何もしなければいい。向こうで勝手に私を殺してくれる。何も難しくはない。抵抗さえしなければ、意外とあっさり人は死ねるんだ。死にたくない人だって死んでしまうような世界だ。死にたい私が死ねないわけがない。


 ほら。


 一歩。


 ただ、足を前に出せば。


「おーい、あんた」


 突然背後から男の声がして、私はびくりと反応してしまった。振り返ると、そこにはさっきまではいなかった人の影があった。暗くて顔まで良く見えないが、私よりも明らかに背が高くて、手にはなにかビニール袋みたいなものをぶら下げていて、


「死ぬんだろ? さっさと死ねよ」


 とんでもないことを、言った。





 『 つきのないよる。 』





 一度突き放すような言い方をして相手の心を揺さぶるとか、そんな甘いことは少しもなかった。彼は完全に、完璧に、私に「死ね」と言った。理由は単純明快で、いつも彼が独占している場所に私が突っ立っていて、私が死ぬとか死なないとか呟いていたからだ。


「え? なに? もしかして誰かに止められようとしてるの? 止めてくれるのを待ってるの? だとしてもさ、ここじゃないとこでやってくれねぇかな。そこ、俺の場所だから。いつまでもうだうだと立ってられると邪魔なんだよね」


 私は唖然として、彼の影を見ていた。現実はドラマや映画とは違うことは分かっていたつもりだったけど、まさかこの場面で、こんなことを言われるなんて想像もしていなかった。唖然としていた気持ちは、すぐに彼に対しての怒りに変わり、私は体ごと振り返った。


「ここはあなたの所有地なの? お金でも払って使ってるの? そうじゃなかったら、あなたにどうこう言われる筋合いはないわ」


「いやでも、死ぬんだろ? だったらさくっとやっちまえばいいじゃねえか。死んだら終わりなんだぜ? 何をためらってるのか知らねぇけど、死んだら意味なくなるんだからよ。時間の無駄じゃねーか」


 彼は淡々とそう言った。怒っているわけでも呆れているわけでもないようで、ただ本当に思ったことを言っているみたいだった。今まで生きてきた中で酷い人間はたくさん見てきたつもりだったが、ここまでの奴はそうそういない。


 でも、彼の言うことにも一理あった。確かにこれから死ぬのなら、この場に立っている行為そのものが無駄だ。こんなことを考えている暇があれば死ねばいいのだし、考えたからって何かを残せるわけでもない。誰にも伝わらない思考は、本人の意識が途切れた時点で無いのと一緒になるのだから。


「あ、そうだ。ここの下の海って意外と浅いからさ。溺れ死ぬっていうより、海底か岩に直撃した衝撃で死ねるかも知れないぞ? 頭から落ちればたぶん一発だな。そんなわけで、即死したいなら頭からがおすすめ」


 ……なんだ、こいつは。


 止めてほしい、とは思わない。けれど、これが死のうとしている人間を目の前にした反応なのか? いつから人類は、死に向かう人の背中を軽く押すようになったんだろうか。人口があまりに増えすぎて、おかしくなってしまったのかも知れない。


 彼は黙り込んだ私を見て、ふ、と息を吐いた。肩をすくめたようにも見えた。すごく馬鹿にされた気分になり、ぶん殴りたくなったが我慢した。


 持っていたビニール袋にがさがさと手を突っ込んだ彼は、中から何かを取り出す。暗くてよく見えないが、その取り出したものを口に持っていくようなしぐさをして、パリッ、という音がしたので気が付いた。


 こいつ、おにぎり食べてやがる……。


「……ん? なんだ、やらねぇぞ」


「いらないわよッ!」


「おおコエー。ヒステリックな女ってめんどくせーよなぁ。てか、ほら、早く死ねっつーの。俺がそこに座れねえじゃねーか。そこで飯食うんだよ」


 こいつは、私が死んだ後に、その場で晩御飯を食べるつもりらしい。もう私を止めるとか止めないとかのレベルじゃなくて、こいつは根本的からオカシイやつだと私は認識した。


 ぱりぱり、と海苔の音がする。そういえば、私も今日一日は何も食べていなかった。空腹感なんて全然感じていなかったのに、人が食べている気配を感じるだけで、一気にそのその思いが膨れ上がる。


「……おなか、へった」


「だからやらねーって言ってんだろ。死ね。死んだら腹減ったとか関係ねーから死ね」


 そのとおりだった。今から死のうって人間が、お腹すいたも何もない。死んだら、そのとき空腹だろうか満腹だろうが、結局は同じことなのだ。死ぬ直前までの気分は変わるかもしれないけど。


「……ん、なんだあんた。もしかして」


 ひとつを食べ終わったんだろう。彼はパンパンと手を叩くと、ビニール袋を足元に置くと、


「死ぬ勇気がないから、突き飛ばしてもらいたいのか」


 両手の指を組んでポキポキと鳴らしながら、一歩こちらへと歩み寄ってきた。でももう私は驚かない。彼はそういう奴だって、ついさっき認識したのだから。


 それに、彼が言っていることだってすべてが間違っていたわけではない。自分の意思で死ぬよりも、他人の意思によって殺される方が、きっとずっと簡単だ。他人が明確な殺意をもっているとするならば、自分がいかに抵抗しても殺されてしまう可能性がある。自分の意思ならば、いつどのタイミングでも、止められる。


 彼は私を、殺してくれるという。なら私は、殺されればいいのだろう。背負わずともいい私の死を背負ってくれるというのだから、感謝こそすれ文句など言えるわけもない。


「なぁあんた、遺書とかそういうの書いたか?」


 こちらに近づいてきながら、彼がそう聞いてきた。私は首を振って答えたが、考えてみるとこの暗闇では首を振ったって気づかないかもしれない。


「……書いてないわ、そんなもの」


「どうして?」


「ずいぶんと面白いことを聞くのねあなたは。さっき自分で言ってたでしょ。死んだら関係ない、ってね」


 遺書というのは、死んだ後のことを考える人間が残すものだ。死んだら終わりっていうのなら、残すことにどれだけの意味があるというのだろう。残された人のため? 自分を死へと追いやった人物、事柄に復讐するため? くだらない、実にくだらない。遺書を書くぐらいなら死ぬなと言いたい。もちろんこれは、自殺、に限った話ではあるけれど。


「そりゃそうだ。死んだらもうこの世界がどう移り変わろうとも、関係ないな。感じ取れないなら、それは無いのと同じだ。あんたが死んだってこの世界は存在し続けるが、でもあんたが感じ取れる世界は終わる。だから、あんたと一緒にあんたの見てる世界は死ぬんだ」


「面白い考え方ね。どこで教わったの?」


「持論だって。これでも俺、頭の回転は良い方なんだぜ? 言うだろ? テストで良い点数が取れるのと、頭が良いというのは違うってよ」


 それはそうだ。テストの点数と、頭の良さは違う。いくら成績が良くても馬鹿はたくさんいるし、成績なんか悪くても世渡りがうまい、頭の良い連中もたくさんいる。言わせてもらえば、テストの成績で優劣を決めようとする人物こそ大馬鹿で、物事の本質が見えていない。


「だけど、テストの点数が悪い人が言うと、その台詞もただの負け犬の遠吠えに聞こえるけどね」


「言うねあんた。でも、そうだな。悔しかったら良い点数を取ってみろって話だな」


「ちなみにあなたはどうなの? あまり成績は良くなかったみたいな話だったけど」


「中の下ぐらいだよ。教師に文句をつけられない、ぎりぎりのあたりだな。あんたは?」


「毎回補習を受けるぐらいね」


「ブッ! なんだよそれ、馬鹿じゃん」


「だけど頭の回転は良いと思うわよ?」


「くくくっ、はいはい負け犬の遠吠え遠吠え」


 思わず私も笑ってしまった。今から死ぬとか殺すとかいう状況なのに、いったいなんの話をしてるんだろう。頭が良いとか悪いとか、そんなことはどうでもいいはずなのに。


 彼は私の目の前までやってきた。後は押すだけだ。


「じゃあ……そうだな。言い残すことも何もないよな?」


「そうね。何を言っても、それを聞くのがあなたじゃ特に意味がないわね」


「あんたの即死、祈ってるよ」


「そう。ありがとう」


 ドンッ!


 呆気なく、彼は私を突き飛ばした。それは優しくもないし、強くもない。ただ前に手を突き出す感じだった。私の足が地面から離れる。宙を舞う。いや、落ちる。暗いから、ここがどれぐらい高い場所なのか分からないけれど、彼が言うには頭から落ちれば即死できるかもという話。それなりに高いはず。なら落下までの時間、走馬灯が思い浮かんだりするんだろうか。そもそも走馬灯っていうのは死ぬ前に頭をよぎるっていうけど、それって脳が死ぬことを覚悟したってことなんだろうか? 死ぬ直前ですら、死ぬということは確定していないはず。でも走馬灯は死ぬ前によぎる。じゃあやっぱゴッ!



 …………。



 なにこれ、すごくいたい。いたい。アタマからおちるのにしっぱいした? 右ウデから叩きつけられたかんじがする。へんなほうこうにマガってたりするのかな? くらいからよくミエナイ。あたまもブツケタし、チも出てるのかな。みみがきーんってしてる。


 ザクッ、というおとがした。なにかがとなりにおちてきた……?


「これで、あんたは死んだ」


 カレのこえだった。


「あんたに何があったのかなんて全然、これっぽっちだって知らねぇし、知ろうとも思わねぇ。生きてくのが嫌になった理由なんて、他の誰かに話したところで理解なんてしてもらえねぇからな。だからあんたは死んだ。この俺が殺した。あんたはもう、あんたとしては終わってる。もっと別の何かだ。見えるか、地面が。見えるか、空が。見えるか、世界が。その全部がもう、新しく生まれ変わったんだよ。さっきまでとは違う」


 彼は、何を、イって……


「ようおはよう。いやぁ、このクソッタレな世界へようこそ。俺はあんたを歓迎するぜ。犠牲者はひとりでも多い方が気が楽だ。この世界に食いつぶされて、汚れながら消えていく運命からは誰だって逃げられねぇ。生きてる限りな。だから俺を恨めばいい。お前をこの世界へ呼び寄せた俺を恨め」


 私は芋虫みたいに惨めに体を動かしながら、ゆっくりと、よろよろと立ち上がった。右腕に激痛がある。だけど動かせるから、どうやら折れてはいないようだった。頭がふらつくのは、落ちた瞬間に地面に打ちつけたからだろう。でも、正常な思考で物事を考えられている。血は出ているのかもしれない。けれど、致命的な傷ではない。


 ……私は、死んでいなかった。


 私が立っていたあの場所から、海へと落ちるまでの途中に出っ張りがあって、そこに落ちたのだ。高さは3メートルもないだろう。


「……あなた、知ってたわね」


「さぁて、なんのことだか。運が良かったんじゃねえの? あんた」


 しれっと彼がそう言った。でも私は怒る気にもなれず、崖になっている部分へ背中を預ける。空は相変わらず真っ暗で、海も真っ暗で、なんにも変わってなんかいない。


「なぁ、あんた」


「…………なによ」


「やってみろよ」


 彼は、『何を』とは言わなかった。ただ、やってみろ、と私に言った。


「死ぬのなんていつでもできるだろ。あんたはもう、全部やったのか? やり尽くしたのか? やりたいことはもうないのか? それが終わってから死んだって、全然遅くねえだろう?」


「私の何が分かるって言うのよ……あなたなんかに!」


「あ、俺その台詞大嫌い。知るわけねーだろ、あんたのことなんて。誰が分かるって言うんだよ、あんたのことなんて。誰もいやしねーよ。自分のことを分かってやれるヤツなんて、自分自身だけだっつーの。いいか、勘違いしないようにこれだけは言っておくけどな。俺はあんたに死ぬなって言ってるわけじゃねえ。死ぬならどうぞ、この先に飛び降りたら今度こそ確実に死ねるぜ? どう足掻いたって生き残れる高さじゃねぇからな。ただ俺は、やれることが残っているのに、簡単に俺の前で死のうとするのが気に食わなかっただけだ」


「……私だって、もうやれることは全部」


「じゃあどうぞ。この先へ行っちまえ。でも今度は俺は背中を押さねぇ。自分の最後のケツぐらい、自分で拭け。はい、さようなら」


 私は。


 私は、崖から背を離して、歩き出そうとして、足を前に出して……。



 心の底から死にたくて自殺する人なんて、たぶん、いない。



 ただ、現状に耐えられないから、我慢できないから、もうつらくてどうしようもないから、死ぬ以外ないから、自らの命を絶つのだ。もし自殺以外の解決方法があるならそれに飛びつくだろう。死ぬなんて選択肢は、一番最初に除外する。特に理由も無く死にたい人間なんてのは、狂っていると思う。


「なぁ」


「……なによ?」


「生きてみろよ。この世界で。あんたは死すら覚悟したんだ。怖いもんなんてあるのか? 安心しろって、いざとなったら死ねばいいだけ。最大にして確実な逃げ道があるんだ」


「…………」


「やってみろよ」


「…………うん」


「生きてみろよ」


「…………うん」


「よし」


 そう言った彼は、笑っていると思った。暗くて見えなかったけど、たぶん歯を見せて、ニカッて感じで笑ったんだと思う。


 彼は私の頭をぽんぽんと叩くと、手に持っていたビニール袋を私に差し出してきた。コンビニのビニール袋だろうか、まだ重いから、中におにぎりとか入っているのかも。


「やるよ。俺からあんたへの餞別だ。感謝しながら食えよ。俺の今の全財産で買ったんだからな」


「ふふ、これで全財産? ずいぶんと軽いけど……よっぽど貧乏なのね」


「うるせー。俺だっていろいろあんだよ、いろいろ!」


「まあ、ありがたく受け取っておくわ。ありがとう」


 死なないって決めたら、さっきよりもさらにお腹がすいてきた。とりあえず崖の上に登ったら、あの薄暗い外灯の下あたりで何が入ってるかを確認して食べるとしよう。問題はどうやって上に登るかってことだけど……よじ登るしかないのかな、これ。


「ねぇ、ここから上に続く道って」


 言いながら振り返ったら、彼は私からはずいぶん離れた場所にいて、


「俺は、もうやること全部やったからよ」


 たぶん、ニカッて笑いながら、


「あんたはもう帰れよな! 簡単に負けんじゃねーぞ!」


 その姿を、暗闇の海に溶け込ませた。






 私は、しばらく呆然としていた。


 どれぐらいその場で硬直していたのか自分でも分からないけど、とにかく上に登らなきゃ、って思って、なんとか崖を上まで登って、あの外灯まで戻ってきた。相変わらず人の気配はなく、錆びた缶が転がっていて、時間の流れがおかしくなってしまったかのような錯覚に陥って、


「…………」


 外灯の目の前に、座る。彼に渡されたビニール袋を開く。


 おにぎりがひとつ。ペットボトルのお茶がひとつ。


 そして、白い封筒がひとつ。


 宛先も何も書いてないその封筒を、私はためらいもせずに開けた。彼が私に渡したビニール袋に入っていたのだ。私が読んでもいい、ってことなんだろう。


 ……それは、遺書だった。


 彼がこれまで辿ってきた人生、手に入れたもの、失ったもの、感じた絶望、気がかりなこと、そういったことが書いてあった。


 …………結局は、彼もここへ、死にに来ていたのだ。だけどあと一歩が踏み出せずに、ここへ来ることが習慣化していて、だけどいつ死んでもいいように遺書は持ち歩いていて、


 そして今日、私と会ったんだ。


「……なによ」


 私はおにぎりを手に取った。


「勝手に生きろって言って、自分は勝手に飛び降りて……」


 おにぎりのビニールを外し、海苔の上からかぶりつく。ぱりぱりという音がする。


「……遺書なんて、書いてさ。未練たらたらじゃないの。死んだら意味がなくなるんでしょ? だったらどうして書いたのよ」


 ついさっき会ったばかりで、顔もよく分からなかった彼。


「どうして、死んだのよ……」


 私を殺して、そして、生かした人。


「自分ばっかり、ずるいよ……」


 でも、私はもう死ねない。そう簡単には死んでやれなくなってしまった。やれることを全部やって、それでももうどうしようもないって状況になるまで、私は生き続けなきゃいけない。


 彼が私に投げかけた言葉を、無駄にするわけにはいかないから。






 …………。






 夜の海はやっぱり暗くて、月も出ていないその夜は、もう闇と言ってもいいような世界だった。ずっと見ていると吸い込まれてしまうような気がする。振り返ると、ほのかな光で地面を照らす外灯が、時折ちかちかと光を失っていた。そろそろ蛍光管の寿命なんだろう。でもこんなところの外灯、誰が交換するっていうんだ。消えてしまったらもう二度と光を取り戻すことなどないのかも知れない。


 私は穴だらけの道を進んでいく。真っ暗闇に向かって。道端に以前見かけた錆びだらけの缶はその姿を無くしていた。さすがに土に還ったわけじゃないだろう。誰かが拾ったのか、それとも風かなにかで吹き飛ばされたのか……まあ、なんでもいいか。そんなことは。


 少し進むとそこは海に突き出したような場所になっていて、日中なら眼前に広がる海を堪能できるような場所だ。今はただ真っ暗なだけだけど。私は手に持っているビニール袋を揺らしながら、その場所を目指す。


「…………」


 私は足を止めた。私が目指す場所に、誰かが居た。じっと立って動かない。きっと向こう……海の方を見ているのだろうけど、私に気づいた様子もない。こんな時間に、たったひとりで、人気のない場所に立ち尽くす人。普通ではなかった。って、私も人のことは言えないけれど。


 一言も会話してないし、顔も見えないから表情も分からない。男なのか女なのかも分からない。けれど、分かってしまった。だって私は、その場所に立っていたことがある。その人が、どうしてそこに立っているのか。何をやろうとしているのかを理解した。


「ねぇ?」


 私は話しかける。


 その人はびくりと体を震わせて、ゆっくりと振り返る。



「私が、殺してあげようか?」



 あのときの、彼みたいに。




これは結構昔に書いた作品です。


この作品を別サイト様に投稿させていただいたときに、「ある映像作品で同じストーリーのものを見た」というコメントをいただいて、自分の想像力、発想力のなさを嘆いたものです。


これなら読んでくれた方が驚いてくれるかな、って思いながら書いたんですけど……うぬぬ、まだまだ甘かったです。


へば、ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。


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