Scene8 入れ替わり
11月、インビジブルマンの右前脚の腫れは治まり、調教を開始できる状態にまで回復した。
その知らせを聞いた求次は翌日の朝に家を出発し、電車を乗り継いで育成施設に出向いていった。
育成施設にはその日の午前中に到着した。
「本当に、ここまでありがとうございました。」
彼は馬を管理してくれた人達に深々とお礼をした。
「いえいえ。こちらとしてはやるべきことをやったまでです。」
「またレースに復帰して活躍してくれることを、心より願っていますよ。」
育成施設の人達は笑顔で返してくれた。
「はい。必ず活躍して、あなた達に恩返しをしたいと思っています。どうもありがとうございました。」
求次は彼らにお礼を言うと、インビジブルマンを栗東行きの馬運車に追加で乗せてもらえるように頼んだ。
彼は馬を乗せた車が去っていくのを見届けた後、近くの駅から電車に乗って、自らも栗東のトレーニングセンターに向かっていった。
栗東に到着した時、辺りは夕方になっていた。
育成施設を出発した時には晴れていた空は、西に向かうに連れて曇っていき、目的地に到着する時には今にも雨が降りそうな状態だった。
求次は馬運車の到着予定時刻に合わせてトレーニングセンターにやってきた。
しかし入り口の守衛さんが言うには、まだ到着していないということだった。
どうやら途中で渋滞に巻き込まれたようだった。
求次は早く到着してくれることを願いながら、相生厩舎と連絡を取った。
インビジブルマンを乗せた馬運車は、予定よりも1時間半以上遅れてようやく栗東に到着した。
しかし肝心の相生調教師と割出厩務員は、翌日(土曜日)のレースに馬が出走するため、競馬場に向けて出発せざるを得ない状況だった。
そのため、厩舎所属の野辺山高子さんという女性が対応をすることになった。
彼女は今年厩舎に入ったばかりの新人で、まだ調教にはほとんど乗らず、主に馬のえさやりや馬房の掃除などを担当していた。
「こんにちは、インビジブルマンの馬主の木野求次と申します。」
「野辺山高子です。こんばんは。ここまで長旅になったと思いますが、ご苦労様です。」
「まあ確かに長い距離を移動しましたが、僕も馬も無事にたどり着くことができました。でも遅れてしまってすみません。」
「木野さん、それは気にしないでください。こちらも先生と割出が出発時間の都合で出かけてしまって、すみませんでした。」
2人はあいさつが済むと、一緒に馬運車の荷台に乗り込み、一番後ろにいたインビジブルマンを降ろした。
野辺山さんは持っていた小型の懐中電灯をつけると、馬の右前脚を照らし、脚元に問題がないかどうかをチェックした。
「確かに脚元は問題ないですね。輸送の影響もなさそうですし、これなら調教を開始しても良さそうですね。」
「ありがとうございます。それを聞いて安心しました。」
「こちらこそ。私はまだほとんど競馬場に出向く機会がないので、あまりお会いできないかもしれませんが、今後ともよろしくお願いします。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
2人が会話をしていると、空からは雨が降り始めた。
どうやら寒冷前線でも通過したのだろう。雨脚はたちまち強くなってきた。
「いけないっ!早く馬房まで馬を運ばないと!」
野洲さんはそう言うと、慌てるようにしてロープを引っ張り、インビジブルマンを連れていこうとした。
「それじゃ、インビジブルマンをよろしくお願いします。」
「分かりました。責任持って管理します。」
野辺山さんは求次にそう言うと、雨の中を急ぎ足で厩舎の馬房に向かっていった。
一人になった求次は、手続きを済ませて帰路につこうとすると、偶然ストライキンバックの馬主である武並に出会った。
「おや、こんなところで会うなんて、意外ですね。」
求次が声をかけると、武並は驚いてこっちを向いた。
「これはこれは、木野さん。」
2人は雨宿りをしながら親しく会話をした。
「どうしたんですか、こんなところで。」
「実は、馬運車でここからストライキンバックを運搬しようと思いまして。ただ、馬運車の到着が遅れていたそうなので、早く手続きが済んで利用できる状態になればと思っています。」
「それってもしかして、インビジブルマンを乗せて先程到着した馬運車では?」
求次はその車の経緯を話した。すると、それこそが武並が運転しようとしているものであることが分かった。
「武並さんはなぜストライキンバックを輸送するのですか?」
「実は…。」
彼はこれまでの馬の経緯と共に、ここに来た理由を話してくれた。
ストライキンバックはラジオたんぱ杯2歳Sを勝った後、休養を取り、クラシックレースを目指して調教を重ねた。
復帰初戦となったスプリングSは3着と善戦し、皐月賞の優先出走権を獲得した。
しかし皐月賞本番では全く見せ場を作れずに14着惨敗、雪辱を果たすために出走した日本ダービーも17着に惨敗してしまった。(どちらも18頭立て)
ダービーが終わった時点ではかなり疲労がたまってしまったため、陣営は武並の経営する牧場で休養することを選択した。
その後、神戸新聞杯で復帰したものの11着。その惨敗を受けて菊花賞出走は取りやめとなった。
陣営はストライキンバックを、菊花賞の週に行われるオープン特別の福島民友カップに出走させた。しかし必勝を期して挑んだそのレースでも9着に敗れてしまった。
トンネルから抜け出せない中、何とかしたい思っていた陣営は、先週行われたばかりのオープン特別、トパーズステークスに出走させた。
そのレースで2着と久しぶりに好走し、これからの期待を抱かせてくれたが、数日後、厩舎のスタッフから屈腱炎を発症していることを明かされた。
連絡を受けた武並は東北から栗東まで駆けつけ、スタッフと今後のことについて相談をした。
そして、自分の牧場で放牧させるために馬運車が必要になったということを求次に伝えた。
「このタイミングで屈腱炎とは、本当に残念だったでしょうねえ。」
「はい。せっかくこれからというという時だったのに…。」
武並はガックリと肩を落としながら話をした。
求次も持ち馬のインビジブルマンが屈腱炎にかかっただけに、気持ちは理解できた。
「それで、武並さんはこれからこの馬をどうするつもりですか?」
「まあ、治らないというわけではないので、放牧してじっくりと治療すれば復帰はできると思います。ですが…。」
「ですが?」
「復帰にはかなり時間がかかると思いますし、復帰しても果たして稼いでくれるかどうかは分かりません。まだ表向きには決定していませんが、こちらとしては引退も視野に入れています。」
「引退ですか?」
「はい。重賞を勝ってスポットライトを浴びることもできましたし、ここを引き際にしてもいいんじゃないかと思っています。世間では『一発屋』とか『燃え尽き馬』、あげくは『転落人生』と言われるかもしれませんが、それでも競走馬全体の中で1%にも満たない重賞勝ち馬になったわけですから。」
「そうですか…。」
求次はそう言ったまま言葉に詰まってしまった。
「まあ木野さんもそう沈み込まないでください。たとえ引退したとしても、きっとどこかで引き取り手があると思いますし、そうでなくても自分で責任持って面倒を見ます。必ずこの馬に幸せな人生を送らせてあげますよ。」
武並は精一杯の笑顔を作りながらそう言った。
「ぜひ幸せにしてください。僕はこれから、ストライキンバックの分まで頑張っていこうと思います。」
「ありがとうございます。では、応援していますよ。」
「分かりました。」
2人の会話が終わる頃には雨はすでにあがっていた。
武並は使用準備ができた馬運車のところに向かって歩きだした。
求次は寂しげな雰囲気を漂わせながら、暗闇の中を歩き去っていく彼の姿をじっと眺めていた。
武並の姿が見えなくなると、求次はトレーニングセンターからタクシーで近くの鉄道駅に向かい、そこから電車を乗り継いで自宅へと向かっていった。
翌週、求次は週間の競馬雑誌で、ある記事を目にした。
そこには、「昨年のラジオたんぱ杯2歳S(GⅢ)を勝ったストライキンバック(牡3歳)が引退をすることになった。(中略)通算成績は11戦3勝(重賞1勝)。」と書かれていた。
名前の由来コーナー その7
・野辺山… JR管轄の鉄道駅の中で、最も標高の高いところに位置する駅です(標高1345.67m)。
・高子… 野辺山の由来にちなんで命名しました。




