Scene21 決着
『インビジブルマン逃げる!イントゥザバトル迫る!』
『外インビジブルマン!内イントゥザバトル!』
『2頭並ぶか!?2頭が今ゴールイン!インビジブルマンとイントゥザバトル!』
『3着にはブレーヴストーリーとマシーンヴォイス!』
アナウンサーは大声でゴールシーンの実況をした。
さっきまで大歓声に包まれていた場内は次第に静まり返っていった。
「どうだ?勝ったか?」
「どうでしょう?なにぶん内と外ですから…。」
「でも角度的には先着しているように見えたのだがな…。」
「もしかしたらクビの上げ下げかもしれませんね…。」
相生調教師と割出厩務員はかたずを飲んで状況を見守った。
一方、木野家の4人は誰も言葉を発しないまま、ターフビジョンでリプレイが流されるのををじっと待ち続けていた。
10頭の馬達は無事にゴールした後、1コーナーを回りながら少しずつクールダウンをしていった。
しばらくして、ターフビジョンにはいよいよゴール前のリプレイ映像が流された。
インビジブルマンとイントゥザバトルがゴールに接近してくると、映像は決勝線を中心としたものに切り替わり、2頭がスローモーションでゴールに迫ってきた。
ゴール寸前ではさらにスローになって映像はコマ送りになった。
そして、先に鼻先が決勝線にかかったのは…。
「やったあーーーっ!勝ったぞーーーっ!!」
「ようやく勝てたわ!」
「長かったのうー!」
「わーいわーい!!勝った勝ったーーーっ!」
求次、笑美子、睦夫さん、可憐の4人は両手を上に突き上げ、抱き合うようにして喜びを爆発させていた。
先に鼻先がかかったのは、確かにインビジブルマンだった。
「うおおおおっ!!やっと勝てたぞ!!」
「先生、やりましたね!」
「ああ。長かった!本当に長かったぞ!」
「はいっ!2年ぶりですね!」
かたわらでは相生調教師と割出厩務員が向かい合ってガッツポーズをしながら大喜びしていた。
彼らは喜びを分かち合った後、木野家の4人のところに歩み寄ってきた。
「木野さん、ついに重賞制覇の夢が叶いましたね。」
「はいっ!今までの努力が報われて良かったですっ!これも先生達のおかげですよ。本当にここまで育て上げてくださいまして、ありがとうございます!」
「何を言いますか。屈腱炎を抱えながらあきらめずに立ち向かい続けた、木野さんの執念ですよ。」
相生調教師と求次はそう言葉を交わすと、お互い両手でしっかりと握手をした。
かたわらでは可憐が笑美子に抱きつくような格好で、ボロボロ涙を流していた。
「可憐、『今度は泣かない。』って言ってたじゃないの。」
「だってだって、お母さん…。今まで色んなことがあったから…。」
「そうね…。本当に色んなことがあったわね。」
笑美子はそう言いながら可憐の背中を優しくたたき、気持ちをねぎらった。
(本当に、気持ちが素直に表情に表れる孫じゃのう。)
睦夫さんは可憐の横顔を見ながらしみじみとそう思っていた。
「くっそう、また2着か…。」
「これで重賞3回連続2着だ。通算で4回目だぞ。」
「今日もまた斤量に泣かされましたね。」
「斤量もそうだが、直線での不利も痛かったな。あれさえなければ…。」
「まあ、勝負に『たら、れば』は無しですよ。」
少し離れたところでは、イントゥザバトルの関係者達が悔しさと闘いながらコメントを発していた。
この馬は勝ちきれなくても重賞2着で本賞金がどんどん増えてしまうため、別定戦でもハンデ戦でも自分ばかりが重い斤量を背負わされてしまい、頭の痛い状況に立たされていた。
引き上げ場所に戻ってきた逗子騎手は、相生調教師や割出厩務員、求次達と喜びの言葉を交わした。
そしてインビジブルマンの脚元を見て、故障を発生していないかチェックした。
「相生先生、どうやら脚は大丈夫のようですね。」
「そうだな。よく馬が耐えてくれたな。」
「はい。僕自身も、最後の直線では屈腱炎再発を覚悟していましたから。」
「相当な賭けだったようだが、無事で良かったな。」
「はい。困難を乗り越えてくれて、本当に良かったです。」
プレッシャーから開放された逗子騎手は、ほっとした表情で相生調教師と握手をした。
レースはインビジブルマン(5番人気)が1着、内から追い込んできたイントゥザバトル(僅差の2番人気)がアタマ差の2着で確定した。
3馬身差の3着はマシーンヴォイス(4番人気)がゴール寸前で、(イントゥザバトルと僅差で)1番人気のブレーヴストーリーをハナ差抜き返して入線した。
インビジブルマンにとっては5歳1月の寿S以来、実に2年ぶりの勝利となった。
しかも長い間悩まされてきた屈腱炎を乗り越えた上での勝利だけに、余計にうれしかった。
その姿を見ながら、求次はこれまでのことを思い出した。
セリで600万円で落札した時のこと。
2歳時に2勝をあげ、大レース制覇への希望を抱かせてくれたこと。
3歳春に屈腱炎を発症し、一気に現役続行の危機に立たされたこと。
自分で治そうとするあまりにダウンしてしまったこと。
無事に復帰を果たしてくれたこと。
重賞を狙える状況になりながら再び屈腱炎を発症してしまったこと。
復帰はしたものの成績が思わしくなく、いつしか引退が頭をよぎるようになったこと。
それでもいつか勝てる日が来ることを信じて、あきらめずに競馬に立ち向かわせていったこと。
そして、ついにこの日を迎えることができたこと。
これまで本当に色々なことがあったからこそ、今日の勝利の味は格別だった。
レースが確定し、関係者へのインタビューが終わると、求次達は表彰式のためにウィナーズサークルに集まった。
すでに雨は止んでおり、空では所々雲の切れ目が顔をのぞかせていた。
インビジブルマンと鞍上の逗子騎手を中央に、馬に向かって左側に求次、笑美子、可憐、睦夫さんが、右側に相生調教師、割出厩務員を始めとする厩舎の人達が並んだ。
彼らは前方のカメラマン達のシャッター音や、観客達の声援を浴びながら勝利の余韻に浸っていた。
泣き顔から立ち直った可憐は、時々観客の方を向いて右手を振った。
その度観客からは大きな歓声が沸き起こった。
彼女はそうやって歓声を起こすことを楽しみながら、周囲にかわいらしい笑顔を振りまいていた。
(うちとしては去年の3月以来の重賞制覇だなあ…。トランククラフトが故障してからは、もう経験できないかもしれないとまで思ったけれど、また重賞を勝つことができてよかった。本当に長く辛い道のりだったなあ…。)
求次は記念撮影の間、再びこれまでにあった出来事を思い出していた。
表彰式が終わった後、相生初調教師と求次はこれからのことについて話し合った。
「木野さん、インビジブルマンですが、これからどうしましょう?まだ現役を続けるつもりですか?」
「そうですねえ…。これから乗馬施設の建設に取りかかろうと思うので、それが完成するまで現役を続けていきたいと思っています。」
「完成までどれくらいかかりそうですか?」
「これから土地を買って、それから業者を手配するので、半年以上はかかると思います。まあ、その前に引退になっても、うちの牧場で面倒はきちんと見ますけれど。」
「そうですか。それから、今後のことなんですが、木野さんは重賞2勝目を真剣に狙いにいくつもりですか?もしそのつもりなら、それを踏まえた上で調教していきますが。」
「そうですねえ…。できれば狙ってみたいですが、インビジブルマンはすでに7歳ですし、これからは今日のような軽ハンデでは出られなくなるでしょう。ですから勝利を狙うよりも、むしろ気楽な気持ちでレースに出てほしいですね。」
「いいんですか?」
「はい。今まで勝利を願うプレッシャーで、家族みんなが重苦しい雰囲気になることもありましたので。きっとインビジブルマンも同じ気持ちだったことでしょう。でも今日の勝利でその呪縛から開放されましたし、これからは勝利を二の次にしてインビジブルマンを見守っていこうと思っています。」
「そうですか。それなら、こちらでちょっと試してみたいことがあるのですが、よろしいですか?」
「何ですか?」
「実は、インビジブルマンを併せ馬のパートナーとして走らせてみたいと思っています。」
「併せ馬のパートナーですか?」
「はい。これまではインビジブルマンが全力疾走をして、他の馬達を追い抜いていく立場でしたが、これからは逆に抜かされる立場になって、他の馬達の勝負根性を鍛えるのに一役買ってもらおうと思っているんです。それから、これまでは追い切り以外、割出君がほとんど全ての調教を担当していましたが、これからは経験の浅い人達の育成のために、重賞勝ち馬であるこの馬にどんどん乗ってもらおうと思っているんです。」
(※追い切りでは大抵逗子騎手が乗っていました。)
「なるほど。何だか競走馬兼任コーチみたいですね。」
「まあ、そうなるかもしれませんね。」
「いいでしょう。それが他の馬達や厩舎の人達にとってプラスになるのなら、喜んで同意します。」
「本当ですか?」
「はい。インビジブルマンから一つでも多くのことを学び取っていただければ、こんなにうれしいことはありません。」
「ありがとうございます。では、これから引退までの間、悔いのない競走馬生活を送らせますので、よろしくお願いします。」
「こちらこそ、インビジブルマンをよろしくお願いします。」
相生調教師と求次は話し合いが終わると、そのことをそれぞれ厩舎の人達と木野家の3人に話した。
彼らはそのことに納得して同意した後、お互いあいさつを交わし、解散していった。
帰路につく時、空では太陽が雲の切れ目から顔を出し、まばゆい光がインビジブルマンの関係者達を祝福するように照らしていた。
7歳1月の時点におけるインビジブルマンの成績
29戦7勝
本賞金:7100万円
総賞金:1億7530万円
クラス:オープン




