Scene10 降級する前に
武庫川Sを勝った後、求次と相生調教師は次走をどうするか色々話を重ねた。
その中で、求次はそろそろ経営面の心配もなくなってきたので、夏に条件クラスに降級する前に一度重賞に出走させてこの馬の実力がどれくらいのものか試してみたいと主張した。
その意見と調教での仕上がり具合を踏まえた結果、陣営は5月に行われる新潟大賞典(GⅢ、新潟、芝外2000m)にインビジブルマンを出走させることに決めた。
重賞に出るのは最低人気で、8頭立ての7着に敗れたラジオたんぱ杯2歳ステークス以来だった。
木野家の3人は全員そのレースを観戦するために出かけてしまうため、笑美子は実の父であり、北海道にある競走馬の牧場で働いている津軽睦夫さん(70歳)を招いて、臨時で馬の世話をお願いした。
(これまで彼にお願いしようとしたことは何度もあったが、結局断念していた。だが、ようやく資金面に余裕ができたため、依頼にこぎつけることができた。)
新潟に出かける前日、求次は中部国際空港に出向き、国内線の到着ロビーで到着を待った。
そして津軽さんの姿が見えると、手を挙げてその人の方向に向かっていった。
「津軽さん、ここです。」
「求次君、こんにちは。元気か?」
「はい、元気に頑張っています。この度はご無理を言って恐縮ですが、よく来ていただきました。」
「こちらこそ。久しぶりに娘の元気な姿を見ることができて嬉しいぞい。ところで笑美子は来ていないのか?」
「はい。今日はスーパーで働いていますので、家に戻るのは夜になります。」
「そうか。会えるのが楽しみじゃな。」
「それでは津軽さん、荷物を持ちますね。」
「おお、気が利くのお。それでは頼もうかの。」
津軽さんはそう言うと、10kg以上ある手提げバッグを求次に渡した。
そして2人は中部国際空港駅から電車に乗り込み、自宅に向かっていった。
レース前日、木野家の3人はレース観戦のために飛行機で新潟へと向かっていった。
6枠10番に入ったインビジブルマンは、当日のオッズで単勝12.4倍で、15頭立ての5番人気に支持されていた。
「お父さん、お母さん。このレースも勝って3連勝できるといいね。」
「そうね。そうなれば牧場もさらに豊かになるし、勝ってくれるといいわね。」
「そうだな。思い描いたとおりの展開になれば勝算もあるだろうって、陣営の人達も言っていたしな。」
木野家の3人はスタンドの馬主席のところで色々会話をしていた。
レースに出走する各馬はパドックを終えると、順番に馬場に姿を現し、2コーナーのポケット付近に向かっていった。
「あれ?お父さん。2000mのレースなのに、あんなところからスタートするの?」
「ああ。新潟競馬場の外回りは一周の距離が日本一長い2223mだから、あそこからのスタートになるんだ。」
「何か不思議な感じだね。」
「まあ、馬や騎手にとってはカーブが少なくて済むから、レース自体はやりやすいだろうけれどな。」
「ふうん。一口に競馬場って言っても、色んな特徴があるんだね。」
可憐と求次が色々と話をしていると、辺りにはファンファーレが鳴り響き、各馬はゲートに次々と入っていった。
全馬が入り終わるとゲートが開き、レースがスタートした。
『スタートしました。おっと、1頭大きく出遅れた!出遅れたのは2番人気の14番グレープピッキングだ!』
その光景を見て、グレープピッキング絡みの馬券を買っていた人達からどよめきの声が上がった。
『ハナに立つのは、やはり13番のチドメグサ。』
前走で痛恨の出遅れに泣いたチドメグサは、今度は好スタートを切った。そしてそこから大逃げを開始し、スタンドからはまたどよめきが起こった。
『離れた2番手にはインビジブルマン。ブレーヴストーリー(3番人気)は3番手につけている。』
アナウンサーは次々と馬名を言い、最後に最後尾につけているグレープピッキングの名前を呼んだ。
『先頭は相変わらずチドメグサ。その後ろをかかり気味にインビジブルマンが追い、リードを少しずつ縮めていく。』
『離れた3番手は相変わらずブレーヴストーリー。すでに先頭とは10馬身くらい開いている。3番手から4番手までも4馬身以上離れている。』
レースは先頭からシンガリまで20馬身以上の相当な縦長になった。
そのため、画面上部の表示に全馬がおさまりきらず、カメラマンやアナウンサー泣かせの状態だった。
アナウンサーが必死になって解説を行う中、求次達はすっかりかかっているインビジブルマンと、必死になだめようとしている逗子騎手をじっと見つめていた。
「大逃げの馬についていったんじゃ、最後まで持つか心配ね。」
「そうだな。新潟の直線は659mと非常に長いから、馬がそれを分かっていればいいんだがな。」
笑美子と求次は顔をしかめながらレースを見守っていた。
「でもこのまま一気にビューンって押し切ってしまうかもしれないわよ。」
可憐は勝利を誰よりも期待しながら言った。
先頭のチドメグサは真っ先に4コーナーを回り、最後の直線に最初に姿を現した。
それに続いてインビジブルマンも姿を現した。鞍上の逗子騎手はこれから長い直線が待っているにも関わらず、すでに手が動いていた。
『3番手のブレーヴストーリーは前との差をどんどん詰めていく。インビジブルマンここから伸びることができるか?先頭のチドメグサの手応えはすでに怪しくなってきている。』
『ブレーヴストーリーがここでインビジブルマンを交わした。さらにはチドメグサも交わして先頭に立った。』
『先頭はブレーヴストーリー。リードを少しずつ広げていく。』
インビジブルマンはその後、後続馬にどんどん交わされていき、いつの間にか賞金すらも危うくなってしまっていた。
「ちょ、ちょっと!早くゴールして!透明人間!(←可憐は興奮するとインビジブルマンをこう呼びます。)」
「このレースでかかってしまっては、こうなるのも無理はないな。」
「やっぱり重賞はレベル高いわね。」
木野家の3人はすでに勝負をあきらめ、肩を落としていた。
『ブレーヴストーリー懸命に粘る!しかし大外からは何と出遅れたグレープピッキング!』
『残り100を切った!先頭はブレーヴストーリー!グレープピッキング懸命に追い上げる!果たして届くか?』
『ブレーヴストーリー逃げる!グレープピッキング追う!2頭並ぶか?』
『2頭が並ぶようにして今ゴールイン!わずかにグレープピッキングが差し切ったように見えましたが、果たしてどうでしょうか!?』
レースは上がり3ハロン(最後の600m)を33秒0という猛烈な末脚を見せたグレープピッキングが、見事重賞初制覇を成し遂げた。
(余談ですが、グレープピッキングは最後の直線に入った時、まだ先頭から20馬身以上離れた最後方にいましたので、そこから一気に14頭ゴボウ抜きという離れ業をやってのけたことになります。)
一方のインビジブルマンはすっかりバテバテになってしまい、グレープピッキングから4秒以上も引き離された13着に終わった。
(あー、危なかった。もしこのレースが重賞でなかったらタイムオーバーだった。)
騎乗を終えた逗子騎手は冷や汗をかきながら検量室に引き上げていった。
(※重賞以外のレースでは、芝の場合は1着馬から4秒以内、ダートの場合は5秒以内にゴールしないとタイムオーバーになり、1ヶ月間レースに出走できなくなります。)
「うーーん、重賞はかかって勝てる程甘いものではないな。」
「でも元々あなたが600万円で買ってきた馬でしょう?それを考えたら出られただけでもすごい事じゃない?」
「それはまあそうなんだが、出るからにはやっぱり勝ちたいな。まあ厳しいかもしれんが。」
「じゃあ、この後はどうするの?」
「とりあえず、1600万クラスに降級するのを待つことにしよう。相生調教師にはそう伝えるつもりだ。」
「それがいいかもしれないわね。やっぱり本当に勝てる自信がなければ、下手にレベルの高いレースには出ない方がいいでしょうし。」
求次と笑美子はレース後、今後のことについて色々相談し、それを相生調教師に打ち明けた。
相生調教師も納得し、降級するまではレースに出さず、しばらく厩舎で様子を見ることにした。
4歳5月の時点におけるインビジブルマンの成績
11戦4勝
本賞金:2300万円
総賞金:5090万円
クラス:オープン(7月から1600万クラス)
名前の由来コーナー その9
・津軽睦夫… ゲームの中で「陸奥さん」という名前が出てきたので、これを基に陸奥湾と津軽海峡から命名しました。
・グレープピッキング(Grape Picking)(メス)… 意味は「ぶどう狩り」です。ゲームでこの馬が生まれた時、ちょうどぶどう狩りの季節だったので、この名前をつけました。作品の本編と同じく、スタートで出遅れながら派手に追い込み、ゴール寸前で差し切って重賞勝ちをおさめました。
・ブレーヴストーリー(Brave Story)(オス)… 父が「ダンシングブレーヴ」だったので、僕の好きな映画「ブレイブストーリー」の「ブレイブ」をこのつづりに変えて命名しました。




