出会いからの道
(・・・あっ、・・・この人・・・)
雪の降る街で、建物の影から現れたのは黒い二足歩行の犬だった
正確には黒いマントを羽織り、黒い鎧を着けた、恐らくは男だった
なぜ「恐らくは」と付くのかと言えば、頭をすっぽりと覆うフルフェイス型の兜をつけており、顔が見えないからだ
体格や身長から考えて「恐らくは」男なのだ
そのフルフェイス型の兜は犬とも狼とも言える形状をしており、目のまわりや牙に見える細工の部分に、金色のラインが複雑な模様を描きながら走っている
(豚を吹っ飛ばした人だ・・・、凄く強い人・・・)
「彼女」は先ほどの光景を思い出す
数に怯えることなく突き進む彼を
力に負けることなく前に進む彼を
権力に屈することなく立ち上がる彼を
だが、とも思う
なぜ彼がここにいるのか?
自分を助けに来るなんて都合が良すぎる考えだ
「彼」と「彼女」はまだ話したことも無いのだから
「彼」が貴族に雇われて「彼女」を探していた、そのほうがまだ説得力がある
「彼」の真実を見抜こうとして「彼女」はじっと「彼」を見つめる
――――――――――
・・・どのくらい二人がそうしていたのか。
一瞬、一秒、一分、一時間・・・
そのどれもが「彼女達」は感じられ、その全てが「彼女達」の感じたものとは違うのだろう
「彼女」はやがて、「彼」自体ではなく、「彼」の目を見ていた
(・・・きれい)
「彼女」が見た「彼」の目はとても澄んでいた
先ほどの豚や、貴族の両親などとは違う
どこかで見たことのある瞳
(・・・そっか、あの人だ・・・、私を愛してると言ってたあの人・・・)
かつて「彼女」に愛を捧げ、様々な贈り物をして、最後にはいなくなってしまった彼
彼が最後に見せた何かを決めたような顔
そのときの目が今の「彼」の目と同じなのだと「彼女」は気づく
(きっと「彼」は悪い人じゃない・・・、何より私は「彼」のことを知りたいと思ったばかりじゃないの!)
自分の気持ちを確認した「彼女」は、自分の気持ちを伝えるべく口を開けようとする
しかし開いた口が音を出すことは無かった
先に別の場所から音が聞こえてきたからだ
「・・・来るか?」
「彼」は一瞬息を吸い込んでからそう言った
「彼女」は一瞬何を言われたのか理解できなかった
短く放たれた言葉はもはや「彼」が言ったのかどうかすらわからない
もしかしたら「彼女」の希望が幻聴として聞こえただけなのかも知れない
だが、そう「だが」と続けるべきなのだ
「彼女」にとってその言葉は幻聴として聞こえそうなほどの意味を持つ言葉なのだから
まるで心を見透かされたように「彼女」の魂に放たれた言葉なのだから
「彼女」はゆっくりと「彼」に向けて、はっきりと言った
「・・・うん」
「彼」は「彼女」に近づき、マントを少し広げて「彼女」が入るスペースを作る
「彼女」は隠れるようにそこに入り、「彼」の黒く金色の模様が入った鎧を掴む
寄り添うように続く足跡が二つ、雪の上に存在を主張しては新たな雪に埋もれていった・・・
「彼女」は泣いていた、追手にバレないように声を殺して泣いていた。
「彼女」の虹色に輝く目からぼろぼろと大粒の涙が流れ落ちる
「・・・泣いてもかまわん」
「彼」はそう言う
「・・・で・・うぇぐ・・・でもっ・・・追手・・・すん・・・・・ぎちゃう・・・」
そう「彼」に話す「彼女」は、感情の堤防が決壊寸前であるのは一目瞭然だ
その「彼女」に対して、彼は笑って言った
「・・・俺がブッ飛ばす」
フルフェイスの兜のせいで表情などわかるはずがない
だが「彼女」はこのとき、「彼」が笑っていると確信できた
言葉以外で伝わる何かを、言葉にできない何かを、確実に感じたのだ
「彼女」の堤防は決壊し、大きな声で泣き出した
周りも見えないほどに涙を流し、追手が何人かこちらに向かってきているのも見えていない
何かを叫びながら追手が近寄るが、「彼女」には自分の泣き声しか聞こえていない
追手が「彼女」を捕まえようと手を伸ばす
伸ばした瞬間にキンッという甲高い金属音が聞こえた
音に遅れて地面の雪が舞い上がる
舞い上がった雪がさらに一瞬遅れて赤く染まってゆく
雪が赤く染まりはじめてから何かが空に舞い上がる
何かとは何であったのか、追手が伸ばした手であったのだろう
残念ながら今空に舞い上がっているのは無数にあり、どれがそれであったのか等、すでにわからない
周りの追手たちが何かを言っている
さすがに人の死を見た「彼女」は泣き止んでいた
「彼」に手を引かれて、街の出口を目指して走り出す
途中何度も追手が襲ってきたが、「彼」の前に10秒と立っていられるものは一人もいない
走って、走って、走った
街の出口が見えるところまで走った
出口は閉じられ、太い丸太を重ねた門は、剣でどうにかできるようには見えない
だがそれでも「二人」は走り続けた
「彼」に手を引かれる「彼女」は、心配などしていない
「彼」なら大丈夫だと、なんとかしてくれると、なんでもできると信用できたから
いつしか「彼女」は笑っていた
人の死を笑っているのではない、気が狂っているのでもない
「彼女」は嬉しかった、喜んでいた、未来に希望を見つけていた
あの扉の向こうに望んだ世界がある、あの扉を開けてくれる人がいる、扉を越えて一緒にいてくれる人がいる
「彼女」の顔は美しかった
その笑顔こそが、かつて「彼女」を愛した貴族が求めた笑顔だった
「彼女」は運命が変わったあの日から、初めての美しい笑顔で走る
「・・・行くぞっ!」
「彼女」を見て、「彼」が言う
「彼」を見て、「彼女」は答える
「・・・うんっ!」
――――――――――
「彼」は手を前に突きだし、魔法を唱える
光が複雑な模様を描き、宙に魔方陣が浮かぶ
それはすでに失われた魔法、「彼」だけが使える古代魔法
「爆炎!エクスプロージョン!!!」
「彼」が魔法の発動キーを言った瞬間、魔方陣が赤く染まる
「彼」の前方の空間が、高熱によって歪んで見える
蜃気楼を発生させるほどの膨大な熱量が、特定のベクトルを持って飛び出そうとしている
魔方陣が一際明るく輝いた瞬間、「彼」の前方に向けてその高熱が解き放たれる
空間が大爆発を起こし、人も、建物も、何もかもが燃えて吹き飛んでいく
動かすことができるとは思えなかった扉でさえも、まるで紙で出来ているかのように吹き飛んでいく
炎の雪崩のようなそれは、無慈悲なまでに何もかも飲み込んでいく
後に残ったのは「彼女」の希望だけだった
何もなくなった街の出口は、「彼女」を外へ導いているように見える
再び「二人」は走り出す
もう誰も邪魔をすることは出来ない
「彼女」は再び泣き出した
悲しくて、ではない
嬉しくて、である
美しい笑顔に涙を重ねた「彼女」の顔は、最高に輝いていた
「蒼犬」「双剣」「双犬」
ソウケンと呼ばれる親子の物語は、こうして幕を開けた