「彼」について2
「「彼」の話?」
そう口にするのは美女という言葉が似合う女性だった。
淡い栗色の髪をストレートに伸ばし、大きな瞳から覗く青い瞳を際立たせる。
整った顔はどこか誘惑的であり、濡れた唇が男性の本能を刺激する。
「変わった殿方ですわね、わざわざお金を払ってそんなことを聞くなんて・・・
私は決して安い値段ではありませんのに」
まるで自分自身が商品であるかのような口振りに、普通であったらいぶかしむのであろう。
しかし彼女は所謂娼婦であり、この場においてはそれも当然であった。
「あなたとお話するにはこれが一番かと思いまして。
娼館ならお金さえ払えば、一時的とはいえあなたと私だけの時間ですからね。
それに・・・、娼婦を拘束して支払い無し、ではあなたの面子もあるでしょう?」
そう語ったのはアルドラ・バステアという人物だ。
短く揃えた髪をオールバックに整え、茶色のスーツを着たメタボが気になる体型の中年男性だ。
「確かに・・・ね
ですが娼婦を前にして何も手を出されなかった、というのも面子にかかわるのですが?」
彼女の言うことも最もである、ある意味で魅力が無かったと宣言されてしまったようなものだ。
「そういうことでしたらお相手させていただきますよ。
ただしお話が終わったあとで、ですがね。」
人の良さそうな顔を掘りの深い顔に張り付け、あくまでも話を優先させる姿勢を取る。
その目は誘惑に負けるほどの弱さなど、微塵もうかがうことはできない。
「・・・まあいいわ。
そうですわね、「彼」については色々聞いていますけれども、私が・・・いえ私達が知っている「彼」はずいぶん違いますわ。」
そういいながら彼女は飲み物をさりげなく用意する。
高級娼婦はお客様に不快感を与えないように、普段の気遣いまでしっかり教え込まれる。
そういう意味で彼女はよく教育されているようだ。
「私達が「彼」と会ったのは、まだ私達が奴隷同然だったころ。
当時は娼館の主が酷い・・・とても酷い人でした、生きている意味がわからなくなるくらいに・・・ね。」
そういって遠くを見るような目をするが、その動作さえも艶めかしい。
目の前にいるのがアルドラでなければ、本能に忠実に従ってしまっただろう。
「この街が隣国に攻め落とされた日に、館主は私達を部屋に閉じ込めたまま逃げましたわ。
助かったのはたまたまお客さんの相手で外にいた子達だけ、その子達も結局助かったのは一握り。」
少し下にうつむき、悲しげに語る表情。
目尻に溜まる涙、潤む瞳、ひとつひとつが男性の本能を刺激する魅惑の美貌。
まさに彼女は娼婦なのだ、しかも嫌々やらされているのではなく、プライドを持ってやっているタイプの。
「・・・私達は殺されるか、犯されて殺されるか。そう思って脅えていたときでしたわ。
「彼」が現れて、全ての状況をひっくり返してしまったんです。」
そう話す彼女の様子は、子供がヒーローもののテレビを見ているかのように目を輝かせている。
その姿は娼婦のそれではなく、純粋な子供のように見えてしまう。
「・・・「彼」が現れてからは一方的でしたわ。
街中に響いていた声は「蒼犬」と叫び、数秒ほどでその声が消えてしまう・・・
何度も同じように聞こえて、急に静かになって・・・」
彼女は目の輝きをさらに増して話す。
「私達の部屋のドアを、破壊して入ってきたんですわ。
思わずありえない、と思ってしまいましたわ。
だってそのドアには、お客の中にいた偉い魔導師が厳重に魔法をかけていたんですもの。」
子供のような彼女の話を聞きながら、アルドラはまたか、とどうしても思ってしまう。
「魔法で防御されたドアを破壊する・・・、いったいどれほどの強さだと言うのでしょうね。」
思わずアルドラは口に出してしまっていた。
相手の話を聞いている時は横槍を決していれない、というルールに近いものを持つアルドラにしては珍しいことだ。
「そうですわね。私達は直接戦っているところを見たわけではありませんので、お答えできませんわ。」
自分の状態に気づいたのだろう、子供から大人へ。輝く瞳は艶を秘めたものへと一瞬で変化する。
「その後が一番思い出深いですわね、「彼」に対するイメージはそこで9割決まってしまいましたわ。」
その後・・・と聞いて、アルドラは嫌な予感を覚える。
そして、その予感は的中してしまうのだろうとも思ってしまう。
「「・・・オレの飯は?」ですわ。」
「・・・はい?」
予想していたにも関わらず、またもや呆気にとられてしまう。
音を反射する見えない壁がまたもやアルドラを包む。
「これは後で知った話ですが、「彼」はたまたま戦闘中のこの街に立ち寄り、たまたま食事を約束してくれた食事係の方がこっちのほうに逃げてきて、この館に入った「ような気がする」から、とりあえず館の周りの邪魔な人を倒していただけだそうですわ。」
それ以来、彼女達の間では「食いしん坊」というイメージが定着してしまい、「彼」が「蒼犬」だと気づくのに大変な時間を要したらしい・・・