第二章・十三 「生まれたもの」
巨大な魔物が立ち止まる。
赤い瞳は砕けた卵を見つめていた。
その視線には怒りがない。
戸惑いだった。
警戒だった。
そして。
僅かな恐怖だった。
ユウマはそれを見逃さなかった。
おかしい。
何かがおかしい。
あの巨大な魔物は幼獣を守ろうとしていた。
そこまでは分かる。
だが。
卵を見る目が違う。
親が子を見る目ではなかった。
まるで。
知らない危険な生き物を見るような。
そんな目だった。
「アイリス……」
ユウマが小さく呟く。
長耳族の女性も気付いていた。
険しい顔で卵を見つめている。
「……あれは違う」
「え?」
「親子じゃない」
短い言葉だった。
だが十分だった。
その瞬間。
卵が大きく脈打つ。
ドクン。
ドクン。
心臓のような音。
赤黒い殻に走る紋様が明滅する。
周囲の空気が重くなった。
魔力が集まっている。
誰の目にも分かった。
集まり過ぎている。
「離れて!」
アイリスが叫ぶ。
「全員離れなさい!」
旅人達が後退する。
護衛達も。
商人達も。
ユウマ達も。
そして。
バキィッ!!
卵が割れた。
破片が四方へ飛び散る。
熱風。
いや違う。
魔力だった。
目には見えない圧力が吹き荒れる。
ユウマは思わず腕で顔を庇った。
地面の砂が舞い上がる。
荷馬車の残骸が軋む。
数秒後。
ゆっくり目を開く。
そこにいたのは。
「……小さい」
ミナが呟いた。
大型犬ほどの大きさ。
黒銀色の鱗。
長い尾。
折り畳まれた翼。
竜だった。
少なくとも竜種に近い存在。
しかし。
生まれたばかりの幼体にしては異様だった。
赤い瞳。
黒銀の鱗の隙間から漏れる蒼白い光。
そして。
周囲へ溢れ続ける魔力。
「なんだあれ……」
ケイも息を呑む。
幼体自身も混乱していた。
立ち上がろうとして転ぶ。
周囲を見回す。
鳴く。
だが。
次の瞬間だった。
休憩所の魔道ランタンが一斉に消える。
パチン。
パチン。
パチン。
次々と。
「は?」
ケイが目を瞬く。
さらに。
井戸の横に置かれていた保冷魔道具も止まる。
淡い光が消える。
護衛達が使っていた魔道具も沈黙する。
アイリスの表情が変わった。
「まさか……」
幼体が鳴く。
キュゥゥ……。
すると。
周囲の魔力が吸い込まれる。
目には見えない。
だが分かる。
空気の流れが変わる。
魔力そのものが流れている。
そして。
「エアライン!」
ミナが反射的に魔法を発動しようとした。
しかし。
何も起きない。
「え……?」
もう一度。
「エアライン!」
発動しない。
魔力が集まらない。
ミナの顔色が変わる。
「うそ……」
「魔法が使えない……」
その言葉で周囲がざわつく。
ユウマも試してみる。
フレア。
発動はしない。
いや。
正確には。
魔力が掴めない。
まるで周囲の魔力そのものが薄くなったようだった。
「吸ってる……」
アイリスが呟く。
「周囲の魔力を」
全員が幼体を見る。
幼体は悪気もなく座っている。
ただ。
呼吸するように魔力を吸い続けていた。
巨大な魔物が低く唸る。
そして幼獣を自分の後ろへ隠した。
完全な警戒態勢。
やはり親子ではない。
敵意すら感じている。
その時だった。
森の奥から遠吠えが響いた。
一本。
また一本。
さらに一本。
休憩所全体が静まり返る。
聞き覚えがある。
グレイファングだ。
だが。
数が多い。
異常なほど多い。
「……おい」
ケイが顔を引きつらせる。
森の向こう。
木々の隙間。
無数の赤い瞳が見えた。
狼。
猪型魔物。
大型の角獣。
様々な魔物達が集まり始めている。
休憩所へ向かって。
いや。
違う。
幼体へ向かって。
「なんで集まってる……?」
ユウマが呟く。
アイリスが険しい顔で答える。
「魔力よ」
「周囲の魔力を吸っている」
「だから魔物達が反応している」
嫌な沈黙が落ちた。
つまり。
このままここにいれば。
もっと集まる。
もっと危険になる。
その時。
巨大な魔物が動いた。
幼獣を咥える。
そして。
幼体へ近付く。
幼体は警戒する様子もない。
巨大な魔物はしばらく見つめた後。
大きな鼻先で幼体を押した。
立て。
そんな風に見えた。
幼体はよろよろと立ち上がる。
そして。
巨大な魔物の後ろへ歩いていく。
誰も止めない。
止められない。
アイリスでさえ弓を下ろしていた。
やがて。
三匹は森の奥へ消えていく。
静寂が訪れた。
だが。
終わりではなかった。
むしろ始まりだった。
遠吠えは増えている。
森全体がざわめいている。
危険地帯そのものが目覚め始めたようだった。
アイリスは森を見つめたまま呟く。
「……最悪ね」
「何が?」
ユウマが尋ねる。
アイリスは振り返った。
その表情は今までで一番険しかった。
「街道が終わったわ」
「え?」
「魔物達が動き出す」
「この先の安全ルートはもう使えない」
ケイが固まる。
ミナも息を呑む。
そしてアイリスは続けた。
「ラグナフェルへ行くなら」
「危険地帯を抜けるしかない」
旅はまだ始まったばかりだった。
だが。
その難易度は今。
一気に跳ね上がった。




