第一章・五十七 「鐘楼」
黒髪の異常ロストが消えた後も、
中央広場には重苦しい空気が残っていた。
燃える港区。
白銀の封鎖結界。
怯える避難民達。
遠くで響く怒号。
そして。
広場上空で静かに回転を続ける、
巨大な鐘楼術式。
ユウマは荒い呼吸を整えながら、
何とか立っていた。
【ユウマ HP:29%】
低い。
かなり危険域だ。
エルディアの治療で傷口は塞がっている。
だが、
疲労も痛みも消えていない。
身体が重い。
頭も少し痛む。
さっきの同期異常以降、
妙な耳鳴りが残っていた。
ミナが不安そうに袖を掴む。
「ユウマ……
本当に平気?」
「……大丈夫、
じゃないけど」
苦笑しながら答える。
正直、
かなりきつい。
ケイも短剣を下ろしながら、
低く息を吐いた。
「つーか、
何なんだよあれ……」
黒髪の異常ロストが消えた方向を見る。
「マジで気味悪ぃ……」
誰も否定出来ない。
巡回兵達ですら、
まだ緊張を解けずにいる。
その時だった。
「……ユウマ」
静かな声。
ユウマは顔を上げる。
エルディアだった。
白銀外套を纏ったまま、
こちらを見ている。
青金色の瞳。
その視線は、
どこか探るようだった。
「少し、
付き合ってもらえますか」
「……え?」
思わず聞き返す。
エルディアは静かに続けた。
「確認したい事があります」
セレナが僅かに目を見開く。
「団長……
まさか鐘楼へ?」
「長くは取りません」
周囲の術師達がざわつく。
「ですが団長、
第二層維持中ですよ!?」
「今戻るんですか!?」
エルディアは短く頷く。
「維持制御は継続しています」
そう答えるが。
近くで見ると、
彼女の消耗は明らかだった。
浅い呼吸。
額の汗。
微かに震える指先。
それでも平然としているのが逆に怖い。
ミナが小さく呟く。
「……本当に、
無理してる」
セレナも鐘楼を見ながら静かに言う。
「団長は昔から、
自分を後回しにする人です」
その声には、
長い付き合いを感じさせる重さがあった。
エルディアはユウマへ視線を戻す。
「歩けますか」
「……はい」
本当はかなりきつい。
でも。
断る空気では無かった。
それに。
ユウマ自身、
少し気になっていた。
なぜ自分なのか。
なぜエルディアは、
黒髪の異常ロストの後から、
ずっとこちらを見ているのか。
エルディアが歩き出す。
白銀外套が揺れる。
ユウマ達はその後を追った。
広場奥。
鐘楼へ続く石階段。
近付くほど、
その巨大さが分かる。
白い外壁。
古い紋章。
壁面を走る青白い魔力線。
まるで、
街そのものが呼吸しているみたいだった。
「……すげぇ」
ケイが思わず呟く。
ユウマも同じ気持ちだった。
セイルへ来てから、
何度も鐘楼は見ていた。
だが。
こうして近くへ来ると、
ただの建物には見えない。
もっと古く、
巨大で、
街全体と繋がった存在。
重厚な扉が開く。
ギィ、と低い音。
内部から、
冷たい空気が流れて来た。
「うわ……」
ミナが小さく声を漏らす。
鐘楼内部。
そこは外とは別世界だった。
巨大な歯車。
青白く流れる魔力導線。
壁一面へ刻まれた古代術式。
天井近くでは、
無数の金属輪がゆっくり回転している。
低い振動音。
規則的な脈動。
街全体の魔力が、
ここを中心に循環しているのが分かった。
ユウマは思わず周囲を見回す。
ワクワクした。
こんな状況なのに。
それでも、
冒険している感覚があった。
まるで、
ゲーム時代に初めて高難度ダンジョンへ入った時みたいな。
ただ。
同時に、
妙な緊張感もある。
ここは、
街の中枢だ。
簡単に入っていい場所じゃない。
エルディアは階段を下りていく。
「こちらです」
鐘楼内部は、
上ではなく地下へ続いていた。
石階段。
青い灯り。
静かな空気。
外の騒音が少しずつ遠ざかっていく。
やがて。
一行は小さな円形部屋へ辿り着いた。
中央には、
透明な水晶柱。
その内部で、
淡い白光が脈動している。
「ここは……?」
「鐘楼中枢補助室です」
エルディアが答える。
「本来、
一般人は入れません」
ケイが顔を引き攣らせた。
「じゃあ何で俺ら連れて来たんだよ……」
エルディアは少し黙る。
そして。
静かにユウマを見る。
「あなたについて、
一つ確認したかった」
空気が少し張り詰める。
ユウマは眉を寄せた。
「俺……?」
「先程、
あのロストはあなたへ強く反応しました」
思い出す。
赤いUI。
壊れた笑顔。
“ゆうま”
と呼んだ声。
背筋が少し寒くなる。
エルディアは続ける。
「ですが、
あなた自身には、
今のところ大きな異常は見られません」
「異常って……」
「頭痛や耳鳴り程度なら、
魔力干渉時にも起こります」
ユウマは小さく息を吐く。
少し安心した。
もっと危険な何かを言われると思っていた。
その時だった。
視界端で、
小さな通知が点滅する。
【未受取報酬:1】
ユウマは一瞬だけ目を止める。
だが、
このUIは目を逸らすと表示が薄くなって見えなくなった。。
ケイが壁へ寄り掛かりながら呟く。
「……しかし、
マジで別世界だなここ」
巨大歯車を見上げる。
「ゲームの街っていうより、
遺跡じゃねぇか」
セレナも小さく頷いた。
「セイルの鐘楼は、
かなり古い施設です」
「どれくらい?」
「少なくとも、
今の国家が出来る前から存在していると言われています」
ユウマは水晶柱を見る。
淡い光。
脈動。
静かな音。
不思議と落ち着く空間だった。
外では、
まだ火災も混乱も続いているはずなのに。
ここだけ、
時間の流れが違うみたいだった。
その時。
エルディアが水晶柱へ手を触れる。
淡い光が広がる。
そして。
部屋奥の壁面へ、
青白い術式文字が浮かび上がった。
ユウマは思わず目を見開く。
「……っ」
凄かった。
まるで、
巨大な魔法陣そのものが生きているみたいだった。
エルディアは静かに振り返る。
「ユウマ」
「はい」
「あなた、
この世界をどう思いますか」
突然の質問だった。
ユウマは少し戸惑う。
「どうって……」
ゲームだった。
でも。
今は違う。
痛い。
怖い。
人が死ぬ。
NPCも泣く。
街には匂いがある。
温度がある。
生活がある。
少し考えてから、
ユウマは小さく答えた。
「……もう、
ゲームじゃないと思ってます」
鐘楼の静かな空気の中で、
エルディアはその答えを黙って聞いていた。




