社会貢献と個人感情
えっ? なんだ!?
目の前で取り締まりを受ける妻の車に慌てて走りよった。
つい今、駅まで送ってもらい、車から降りたばかりだ。
降りた直後、今日の会議で使う資料の入った手提げ袋を車中に忘れたのに気付いて、車を止めようと妻の携帯に電話をした。
妻は電話に出たので、もう一度駅まで戻ってきてほしいとお願いしていたときに、路地に潜んでいたパトカーがサイレンを鳴らして車を後ろから止めているところだった。
自分が電話したために捕まってしまったのかと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ちょっと待ってください!」
呼吸を整えながら、パトカーから降りた二人の警察官に話しかけた。
「あなたは?」警察官の一人が私を見て尋ねた。
「夫です」
私は警察官になぜ妻の車を止めたのか聞いた。
「信号無視です。奥さんの車はここの信号を黄色のときに通過しました」
携帯電話で話していたことでの取り締まりではなかったのか。見られていないのだったらそのことには触れないでおこう。しかし黄色信号を渡ったことが違反になるのか。黄色ならば通過していいはずだ。私は問いかけた。
「黄色ならば、注意して渡ればよいのではないですか?」
警察官は表情を変えずに止めた理由を話す。
「黄色信号での通過の条件は、十分なブレーキをかけても停止線に止めることができないと判断されたときだけです。駅に停車中だった車が動き出してすぐの信号です。加速をする前の徐行運転のはずですので信号に注意していれば黄色に変わった時点で十分にブレーキをかけることができます。停止できなかったということは、信号を見落としたためブレーキを掛けずに交差点に進入したということです」
たしかに私が妻に電話したために、そちらに気を取られて信号を見落としたかもしれない。しかし、電話をしていた事実には気づいていない様子だ。
もう一人の警察官が妻を車から降りるように指示している。妻は動揺している。それもそのはずだ。妻は一度も違反キップを切られたことのないゴールド免許の優良ドライバなのだ。こういう事態を体験したことがない。
妻に免許書を見せるようにと指示が入る。妻は直に従い差し出した。ゴールドが光っている。ここで違反切符を切られたら罰金はもちろん、点数が付けられ、次回免許更新の際、ブルー免許に格落ちしてしまう。それはかわいそうだ。私が電話しなければこんなことにはならなかったはずだ。
責任を感じ、どうにか目をつぶってもらえないかお願いした。
「そういわれてもね。信号無視したのは事実なんだから、許してほしいといわれてもだめですよ」
免許書にある氏名住所を違反切符に書き写していく。私は動揺した。何とかしなければ。
「実際に黄色で進入したという証拠があるんですか?」
「証拠?」
「そう、証拠。黄色信号を通過している映像でも見せられれば納得しますが、そんな映像撮ってないでしょ。青信号の間に交差点に侵入しているかもしれないじゃないですか」
警察官は、こういった抗議には慣れているのか、即座に返答した。
「警察官の私が見ていたのですから、それが証拠です」
その言葉を聞いて腹立だしい感情が走った。そんな強引な説明があるか。警察権力の乱用だ。国民を頭から押さえ込み服従させようとする横暴だ。
攻撃的な目で警察官をにらんだが、警察官は表情を変えずに視線を意識的に外した。
「実際、携帯電話で話しをしていたから信号を見落としたんでしょ。そのことには目をつぶって信号無視だけで処理してあげようとしているんですよ。そのような態度だと携帯電話使用による違反も処理することになるよ」
見ていたんだ。それを知っていて信号無視で車を止めた。なんて、卑怯なんだ。信号無視を認めなかったら、携帯電話使用で取り締まるつもりだったんだ。
だが、携帯電話を使っていた証拠はあるのか。それこそ使用中の写真でも見せられなければ認める必要はないのではないか。たしかに電話をしていた事実を私は知っている。当事者だから当然だ。しかし、そのことは私も妻も自供しなければ、証拠不十分で無罪になるのではないか。信号無視も携帯電話使用違反も自白しなければ、裁かれずにすむのではないか。
「証拠を出せと言われてもね。これは事実なんだから。どうしても認めないと言うになら、警察署に出頭してもらうことになるよ」
「なぜ、出頭しなければならないんですか?」
「公務執行妨害になるよ。別の罪で捕まっていいの?」
警察はこのような問答は想定済なのだろう。表情一つ変えることなく違反切符を書き終えると、切り取って妻へ手渡した。
妻は私の方を瞬間見たが、すぐに違反切符に目をやると、ゆっくり手を伸ばし、切符を受け取った。
「気を付けてくださいね。交差点での事故が一番多いんですから。今回の取り締まりを教訓にして、安全運転に努めてください」
そういうと、二人の警察官はパトカーに乗り込み、その場を後にした。
それにしても、見えないところに隠れていて違反する人を待ち構えているのは、餌をぶら下げた網に飛び込んでくるカモを生け捕る罠と一緒ではないか。悔しくて腹が立ってくる。しかし、警察が一度出した答えは簡単なことでは覆さない。裁判でも起こせば審査が入るかも知れないが、十中八九負ける。費用だって相当かかるから裁判を起こすなど考えられない。
私は妻に対して気まずかった。妻に切符を切らせてしまったこと。警察に反抗して、軽くあしらわれたこと。申し訳ない気持ちと、だらしない気持ちと、大状際が悪いことと……
「早く行かないと会議に遅れちゃうわよ」
気持ちが落ち込む私に妻は明るい声で笑みをくれた。動揺を隠しきれない作り笑顔だったが、私には救いの笑顔だった。
「ごめん」笑顔をくれた感謝の気持ちが謝りの言葉となった。
「いいのよ。私が悪いんだから」
妻はそういいながら後部座席にある手提げ袋を取りだし私に渡した。
「大事な会議なんだからがんばってきて。私は大丈夫だから」
妻が悪いことはないのだ。私が電話さえかけなければ。書類を車に置き忘れさえしなければ、こんなことにはならなかった。
頭を下げながら手提げ袋を受け取った。
「いってらっしゃい」
妻はそういうと運転席のドアを開けた。振り返り、私が駅に向かうのを待っていた。
妻の言葉を聞いて私は足を駅へと向けた。
妻は私に向け軽く手を振った。私も答えるように手を振った。小さな振りだった。
あれから電車を乗り継ぎ、クライアント会社のあるビルへと直行した。私の部下たちはすでに一階ロビーに集まっていた。総勢四名による弊社開発のレーダー測定器のプレゼンテーションが本日の目的だ。商談が成立すれば、大きな利益を生む。
「遅刻ぎりぎりですよ。電車遅れてましたか?」部下の一人が私に尋ねた。
「いや、ちょっとな。」私は話を濁した。
「早く行こう。ぎりぎりだ」
私たち四人はエレベーターに向かい早足で移動した。
クライアント会議室。
十四階。南側一面に広かる窓からは国際展示場が見下ろせ、その先には太平洋が一望できる。
床面積二十五坪はある部屋に、口の字型にレイアウトされたテーブルが用意させている。席数十二名。 すでに役員、担当部長が席に座りプレゼンテーションを待っている。
私たちの席は窓側に用意されていた。
持ち込んだノートパソコンから映像出力端子を通し、クライアント側に用意してもらった大型モニターに接続した。プレゼンテーション用映像のトップページが映し出される。
パソコン操作に一人。そのサポートに一人。私のサポートに一人。三人の紹介と本日時間を頂いたことに感謝を述べた後、私は大型モニターの横に立ち、片手に資料を持って技術説明を始めた。
「我が社が開発しましたレーダー測定器は、従来のマイクロ波のみを使用しての測定ではなく、赤外線ビームを同時に出力することにより、従来問題にあった電波ノイズの干渉や特定物体の誤測定をなくし、正確に目標の物体を追尾、測定が可能になります」
パソコン担当の一人が、画面を次のページへ切り替える。立方体を測定対象物とする画像が表示される。それらは数多く存在し、それぞれ自由に動きまわっている。
「画像のような状態の場合、特定の立方体のみを追い続け、動速度を計測するのは困難でした。原因としましては測定物にレーダーを当てても、レーダー発進アンテナと測定物の間に別の立方体が割り込むと、マイクロ波の波長が乱れてしまい、正確な移動速度が計測できず、求められた結果に信頼性がもてないからです」
次の画面へ。移動する立方体が透視図になりそれぞれの中央部が赤く輝いている。
「そこで、レーダー測定器に赤外線ビームを組み込みました。移動する物体はそれぞれ動力となるエンジンを搭載していると考えられます。それらエンジンは動作中、熱を発生しています。それぞれの熱量はエンジン性能によって温度差があります。赤外線は光の波長と同じく電磁波であるため、固有の波長パターンが作られます。その中から測定物を選択して固定します。そして、その測定物の移動距離をレーダーを使用して特定の時間で割れば正確に測定物の速度が求められます」
次の画面へ移る。
「……」
説明する言葉が喉に詰まった。画面には片側二車線の交通量の多い道路が映し出されている。最高速度六十キロの一般道を、まるで高速道路のように走り抜ける車が次々に映し出される。
今回制作したレーダー測定器は、このようなレーダー波だけでは取り締まりの信頼性がもてない道路でも、間違いのない速度違反の取り締まりを行えるように開発したものだ。
今朝、警察の取り締まりに対して、不平不満を言った私が、皮肉にも警察の取り締まり強化のための装置を売り込んでいる。自分の個人的感情と技術者としての社会貢献度の建前の間にギャップを感じた。
プレゼンテーションの熱意が冷めていくのが自分で分かる。
しかし、今は大きなビジネスチャンスだ。やり遂げなくてはならない。私は説明を続けた。
「このレーダー測定器の応用としましては、速度超過に対しての交通取り締まりに大いに力を発揮し……」
……プレゼンテーションは無事終了した。部下の三人は手応えを感じたのか満足している様子だ。やることはやった。後はどう評価してくれるか。それを待つだけだ。
企業はいかに社会に貢献できるかが勝負だ。それができなければ会社は生き残れない。ところが個人レベルに落ちるとそれが拘束に変わり不満となる。
速度取り締まりは安全な交通社会を実現するためには必要なことだ。しかし、いざ自分がそれに捕まってしまうと不満が爆発する。
なぜ自分なんだ? 自分以外にもっと飛ばしてた車はいくらでもいただろう! だいたい法定速度で走っている車のほうが珍しい!
自分が開発した取り締まり器に自分が捕まるのは洒落にならない。
今度は車両搭載型の対レーダー測定器ジャミング装置でも開発するか。




