怖れる
「Gau――!」
咆哮と共に、羽衣璃は拳を突き出す。
が、それはいとも簡単にディアに避けられ、痛烈なカウンターを食らってしまう。
戦いが始まり早五分。
羽衣璃達は劣勢に立たされていた。
最初の頃は身振り手振りで敵意がないことを示そうとしたが、キルにはまるで通じない――いや、敵意がないことを知っていても見逃す理由になっていないと言うべきか。
脱出のためにポータルを使おうにも、その時点で隙が生じ、キルの身体能力ならば彼女もポータルを潜り追跡してくるに違いない。
大きな隙を生じさせるためにダメージを与える必要があるが、こちらの攻撃は殆ど対応され、逆にあちらの攻撃は確実にダメージを与えられていた。
一撃一撃が速く、重い。
キルが手にする無骨な刀は特別な力を有していない。悪い言い方をすれば金属の塊に過ぎない。
しかし侮るなかれ、人間離れした力を持つアバターが振るえば、岩をも断つ。
さらにそのアバターも天才、笹坐笹によるオーダーメイドであり、装着者の技量も申し分無い。
禁断の魔剣何するものぞと言わんばかりに、キルは苛烈な攻撃を次々と繰り出す。
それでもここまで羽衣璃が持ちこたえられているのは、ディアの鎧の耐久力と、吸血鬼の持つ再生能力に助けられているからだろう。
普段の自分であれば、ここまで無様なことになっていない。
あまりにも言い訳じみているが、実際にそうだ。
『動きが鈍い。遠慮していては君が殺されるぞ!』
『分かってますよ! 分かってますけど……!』
キルの攻撃を防ぎ、衝撃に耐え忍びながら、羽衣璃はギリっと歯軋りした。
体がうまく動かないのだ。関節という関節が錆び付いてしまったかのように。
そうでなければ、避けられた斬撃も、当てられたはずの蹴りもあったのに。
キルを倒す――なんて自惚れも甚だしいが、勝負の形にはなっていたはずだ。
少なくとも、こんなサンドバッグ状態にはなっていない。
まさに窮地だ。
『どうしてですか!? 戦わなくちゃいけないのに……!』
『相手が君の友だからだろう……だが、彼女はそれを認識できない。相手は遠慮なんてしくれないんだ』
羽衣璃に対して、キルの動きには一切の淀みがない。
刀を腕の延長のように振るい、獲物を狩らんとする。
モンスターに対しては一切の慈悲なく殺す冒険者。
羽衣璃が液晶の向こう側で、無邪気に応援していた幼馴染。
決定的に違うのは――今、羽衣璃は同じ場所にいて、羽衣璃と認識されないまま殺害対象になっているという事実。
『こうなったら、正体を明かすというのは――』
『駄目です! もし私が怪物になったって知ったら……キルを、困らせます』
羽衣璃がキルを大切に思っているように、キルも羽衣璃を大切に思ってくれている。
自惚れでもないし、謙遜すべきところではない。
厳正なる事実として、確信できる。
キルにとってモンスターは家族の仇。もしそんな存在に羽衣璃がなってしまえば――キルは間違い無く葛藤する。そんな姿を、羽衣璃は見たくない。
『言ってる場合か!?』
『言ってる場合ですよ! それに正体を明かしたら、キルは尚更ディアを破壊しようとします! そんなの嫌です!』
キルがディアに向けている感情は殆どモンスターへのそれだ。
事情はどうあれ、ディアが羽衣璃を吸血鬼にした張本人だと知れば、キルは絶対にディアを許さないだろう。
――そうだ。それだけは駄目だ。
『だから――正体を明かさずに、切り抜けます!』
『羽衣璃……だが、どうするんだい?』
『こうするんです!』
キルの斬撃を避けるや否や、両腕に装備されたアームブレードを展開した。
鎧の基本武装である二つの刃は、普段あまり使うことがないが、ディアの刀身のように蛇腹状かつ伸縮自在に伸ばすことが可能だ。
さらにアームブレードは動画に中では一度も出ていない。キルにとっては初見の武器なのだ。
しかし敵もさるもの。
キルはすぐさま飛び退き、蛇のように襲い来る二対の刃を、弾き返す――!
羽衣璃とっておきの不意打ちは、キルに届くことはなかった。
「こんなもので――!?」
キルは驚愕に目を開いた。
彼女の目に映ったのは、追撃せんと襲いかかる黒鎧――ではなく、キルに背を向け全力疾走する黒鎧の姿であった。
つまり、トンズラである。
『はははははは! 成功成功、大成功です!』
『えーっと羽衣璃、君は何をしているのかな?』
『逃げてるんですよ! こちとらキルと戦う覚悟なんざまるで決まっちゃいないんです! だったらどうすりゃいいかななんて自明の理ですよねぇ!』
『初見の攻撃に対応させた隙に逃走、か……確かにその場を切り抜けると言う意味ではそれも選択の一つだね。うっかり見落としていたよ。僕も頭に血が上っていたようだ』
そう、これこそ起死回生の一手。
隙を見せたところを全力で逃げる。
作戦は成功――その筈だった。
「……げぐっ」
突如、羽衣璃の体が止まった。
同時に襲い来る、首への強烈な圧迫感。
『これは、鉄の糸……!?』
キルの左腕部のアーマーから射出されたワイヤーアンカーが、羽衣璃の首に巻き付いたのだ。
爪で引き裂こうとするが、首を絞められている故にうまく力が入らない。
そうだ、キルにはこれがあったのだ。
羽衣璃は己が迂闊を呪った。
「……逃がさない」
キルは渾身の力でワイヤーを引いたのと同時に、地面を蹴った。
キルの方向へ引き寄せられる羽衣璃。
羽衣璃の方向へ跳ぶキル。
二つの体が交差した瞬間、刀身が鈍く輝き、羽衣璃の首を刎ねた。
砂埃を挙げて着地するキル。
断面から血を吹き出しながら転がる羽衣璃の体。
一拍遅れて、羽衣璃の首がキルの側に落下した。
「が……ぁ……」
「やっぱり、まだ死なない」
羽衣璃を見下ろしながら、キルは言った。
力の弱い吸血鬼は首を刎ねられた時点で死ぬ。が、羽衣璃は生きていた。
「……頭を潰せば死ぬ? 心臓を潰せば死ぬ? どうでもいいか。両方すればいい」
キルの瞳はあまりにも無機質で、今の彼女にとって自分が敵でしかないことを実感させられた。
『早く肉体を再生させるんだ羽衣璃! 心臓をやられれば君は死んでしまう! 我妻キルが動く前に、早く!』
ディアの声が響く。
だが、動いたところで何になる?
無い知恵を絞って、逃げだそうとしても、このザマだ。
「まずは、頭」
キルがモンスターに向ける感情――圧倒的なまでの殺意。
それは羽衣璃が十五年の人生の中で、キルに初めて向けられたものだった。
敵がモンスターであるのなら、遠慮無く戦意を向けられた。
だが今、自分を殺そうとしているのはキルなのだ。幼馴染で、親友で――そんな彼女が、自分を殺そうとしている……?
ディアの声は、もう届かない。
羽衣璃が抱いたのは、恐怖だった。
殺される恐怖、親友に敵意を向けられる恐怖がない交ぜになり、羽衣璃の心を掻き回す。
嫌だ。
死にたくない。
そんな目で見ないで。
嫌だ嫌だ、嫌だ――!
二つの恐怖が混じり合い、臨界点に達した瞬間――ブツン。
電源を引き抜いたように、何かが途切れた。
黒鎧の首に刃を突き立てようとした瞬間、キルは地面を蹴り回避行動を取った。
刀に衝撃が加わる。
視線の先には、両腕からアームブレードを伸ばした黒鎧の姿が。
「首なしでも、動く……?」
「……」
首を拾い上げた黒鎧は、血が吹き出たままの断面に首を乗せた。
首と胴は瞬く間にくっつき、飛散した血も消滅した。
それ自体には驚かない。
吸血鬼と言えば不死の怪物だ。
「首を刎ねても死なななら、それ以外の方法で殺せばいいだけ」
しかし、キルの冒険者としての勘が警告を発している。
構えもせず、ただただ棒立ちしているだけなのに、近寄りがたい何かを感じた。
目の前の敵は、先程までとは違う――否、変わっている。
『羽衣璃……羽衣璃! 返事をしてくれ! どうしたんだ!』
返事はない。
羽衣璃は意識を失ったわけではない。
だが、ディアの声はまるで届かない。
ディアは装着者の肉体と精神がどのような状態にあるのかモニタリングすることができるが、肉体精神共に正常だ。
肉体は特に心配はない。基本的に心臓を破壊されない限り吸血鬼は不死身だ。
力の弱い個体は首を刎ねられた時点で死ぬが、羽衣璃はそれには当てはまらなかった。
だが、首を刎ねられた直後、羽衣璃の精神は大きく乱れた。
それが今は、まるで動揺していない――いや、何も感じていないかのよう。
精神を落ち着かせたのではなく、不自然に――停止させたかのような。
『まさか、暴走か……!?』




