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35章:表参道への「勝利宣言」

この内容をあおいに送ると、しばらくの沈黙のあと、

短いメッセージが返ってきた。


加藤がすみれの「再起」のために選んだ5曲には、

婚活市場の冷徹な数字を打ち砕く、

泥臭くも切実な意図が込められている。


---

加藤りLINE 以下の通り、よろしくお願いします。


1. 花は咲く


**【意味:再生と執念】**

震災復興のシンボルであるこの曲を、「綺麗事」としてではなく、**「瓦礫(絶望)の中から芽吹く力」**としてリクエストしました。

過去に全てを破壊されたすみれさんが、

泥の中から再び立ち上がるためのもの。


2. Sogno ー夢ー(トスティ)


**【意味:絶望との決別】**

イタリア歌曲の傑作であり、去った恋人への未練と、


それでも消えない残酷なまでの愛の記憶を歌った曲です。

今の剥き出しの現実」**を直視させるための、

激しい感情の浄化を促す一曲です。


### 3. いつも心に太陽を


**【意味:誇りの保持】**

シドニー・ポワチエ主演の同名映画

(原題: To Sir, with Love)のテーマ。


貧困や差別、荒んだ環境に置かれても、**「自分を安売りせず、

礼節と誇りを忘れない」**というメッセージです。


「金欠」という弱みを抱えながらも、

媚びることなくピアノに向き合うすみれの矜持を、

聴衆に知らしめるために選ばれました。


### 4. 恋するフォーチュンクッキー



あおいに転送した。


あおいに転送されたそのメッセージは、

既読がついた瞬間に彼女らしい短い言葉で撃ち返さた。



あおいはスマホの画面を見つめたまま、鼻で短く笑った。


「なんなのよ、この皮肉……」


あおいがそう呟いたのは、

加藤の選曲があまりにも

「婚活という名の化かし合い」の急所を突きすぎていたからだ。



「いい、すみれ。これ、ただの応援歌じゃないわよ。

最大の皮肉はね、

『愛を語る場所(婚活)』で愛に破れたあんたが、

一番愛に絶望したトスティ

を、愛なんて信じてない男たちの前で弾くってことよ」


あおいは指先で、画面の「恋するフォーチュンクッキー」をなぞる。


「さらに、年収1000万超えの選民たちが、

3500円で買い叩こうとしていた女が弾くアイドルの曲で、

アホみたいに手拍子するの。

自分がどれだけ『システム』に踊らされているかも気づかずにね。

……加藤は、あんたを使って、

この会場の虚飾を全部笑い飛ばそうとしてるのよ」



あおいは顔を上げ、鏡の中の自分と、その隣に立つすみれを見た。


「でも、その皮肉を完璧に演じきれた時、

あんたはもう『選ばれる側』の弱者じゃない。


この場を支配する唯一の表現者になる。

……最高に性格が悪いわね、加藤も。

そして、それにワクワクしてる私も」



あおいの言葉は、すみれの心に灯っていた微かな希望を叩き潰し、

代わりにドロドロとした黒い火をつけた。


「……わかったわ。加藤さんが見たいのが『展示物』なら、

見せてあげる。

でも、ただの綺麗な剥製はくせいだと思うなら大間違いよ」


すみれは震える手でスマホを掴み、楽譜アプリを立ち上げた。

加藤から指定された4曲。その旋律の裏側に潜む、

ありったけの「ポイズン」を書き換えていく。





決戦の朝へ


鹿嶋の夜、蘇る記憶


加藤が用意したのは、鹿嶋神宮にもほど近い、

地元では最高級とされる老舗ホテルだった。


チェックインを済ませ、部屋に入ったすみれは、

窓の外に広がる鹿島臨海工業地帯の灯りを見つめた。


かつて、日本機工の鹿嶋工場で弾いたときも、

同じような夜景を見た。


テーブルには、加藤からのメッセージカードが添えられていた。


> 『すみれさん、鹿嶋へお帰りなさい。

> 明日の演奏、会長も神栖市長も、

そして何より工場の従業員とその子供たちが心待ちにしています。

> ホテルのルームサービスはすべて私の個人口座で精算済みです。

遠慮なく、明日のためのエネルギーを蓄えてください』




加藤はマイクを握った。


「出演者紹介――」

紙を一枚めくる音が、妙に大きく響く。


「まず、ソプラノ。佐々木良子さんと、その娘さんの由衣さん」

控えめな拍手。


子供が手を叩きながら、隣の母親を見上げる。

「続いて、ヴァイオリン。高橋悠人さん」


少しだけ空気が和らぐ。

加藤は一拍置いた。


そして、最後の名前を読むときだけ、声がわずかに重くなった。


「ピアノ――早瀬すみれさんです」


会場の視線が、一斉に袖へ向かう。

すみれは息を吸い、舞台へ出た。


工場のホールに、静かな緊張が満ちる。

音が始まる前の沈黙が、いちばん音楽に近かった。


「神栖市長はからご挨拶があります」

「しかし、私が掲げる『健康長寿の街、神栖』を実現するためには、箱物を作るだけでは足りません。


皆様の心に寄り添う、文化の種が必要なのです。

今回、日本機工の加藤常務という素晴らしい先導者を得て、


こうして若き才能、

ピアニストのすみれさんをお招きできたことは、

わが市政にとっても……」


市長の言葉は、まるで上等な包装紙のように中身がなく、

ただ滑らかに流れていく。


「……現在、

わが市では医療体制の拡充を最優先課題として取り組んでおります。


本日お集まりの神栖済生会病院の先生方をはじめ、

地域医療の最前線で戦う方々の献身的な努力には、

感謝の言葉もございません。


特に、外科の柿沼先生のような志の高い医師こそが、

わが街の誇りであり――」


市長が恩着せがましく柿沼の名を呼ぶと、

会場の視線が一斉に客席の彼へと集中した。


スポットライトが当たったわけでもないのに、

柿沼の座る一角だけが、刺すような沈黙に包まれる。


私は舞台袖で、その滑稽な光景を冷ややかに見つめていた。

加藤常務は満足げに深く頷き、

隣の「羊羹おじさん」こと地元の有力者も、

頷くたびに顎の肉を揺らしている。


「さあ、お待たせいたしました。

政治の堅苦しい話はここまでにして、

魂を揺さぶる調べに耳を傾けようではありませんか。

すみれさん、お願いします」


市長が仰々しく私を招き入れる。

それは音楽家を歓迎する手つきではなく、

自分の手柄を披露する手品師の仕草だった。


私はゆっくりと、

死装束のように真っ白なドレスの裾を引いて歩き出した。

拍手の中、あおいの言葉が耳の奥で鳴り響いている。


(市長、加藤、羊羹おじさん……

あんたたちの『メンツ』という名の綺麗な化けの皮を、

今から全部剥ぎ取ってやるわ)


ピアノの前に座った私の指が、冷たく、

そして鋭く、黒い鍵盤に触れた。




かつての創立記念日を遥かに上回る熱気が、そこにはあった。

カシマサッカースタジアムの喧騒を遠くに臨む巨大ホール。

1500人の観客。


その視線は100万ボルトの電圧となって、

ステージ中央のピアノを焼く。


客席最後列には、あおいが、高級スーツに身を包んだ成瀬を従え、

審判のように座していた。そのすぐ傍ら。


場違いなほど背を丸め、膝の上に置いた拳を震わせている男がいた。

医師、**柿沼医師**だ。


柿沼は、派手な場を嫌う真面目で内気な男だった。


彼とすみれの出会いは、暗い**鹿嶋港**だった。

有明のタワーマンションから叩き出され、

ソリストの座を下ろされて絶望し、

妹のあざみに嫉妬して、


「高松公園」あずくまっていたすみれ。


すべてを失い、泥のようにうずくまり倒れ込んだ彼女に、

最初に駆けつけたのが柿沼だった。


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