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24章 親友との会話

あおいはしばらく黙っていた。

アイスコーヒーの氷が溶けていく音だけがする。


それから、ぽつりと言った。


「……生きてて」


すみれが顔を上げる。


あおいは目を逸らしたまま続ける。


「生きてて、よかったよ」


その言葉は慰めじゃなかった。

確認だった。


すみれの喉が震える。


「……よかったのかな」


「よかった」


あおいは即答した。


「死んだら、ケーキ食べれないし」


「なにそれ」


笑いが混じる。


あおいは肩をすくめる。


「現実。生きるってそういうこと」


一拍。


「あとさ」


すみれが見る。


あおいは少しだけ声を落とした。


「先生がどうとか、スポンサーがどうとか」


「……」


「全部あとこと、過去のこと。まず、今日」


机を指で叩く。


「今日、生きてる。それで十分」


すみれの目に涙が溜まる。


あおいは顔をしかめた。


「泣くなって。化粧落ちる」


でもその声が、一番優しかった。






あおいはしばらく黙って、氷の溶けたコーヒーを飲んだ。


「柿沼って、どんな性格の人なの?」

すみれは少し考えてから言った。


「……まじめな人。チャラくない」


あおいは一瞬だけ黙って、氷の音を聞いた。


それから、ぽつりと笑う。

「それ、いちばんモテるやつだよ」


それから、すみれを見た。


「……電話しなよ」


--


「……電話しなよ」


すみれの肩が跳ねる。


「え」


「電話」


あおいは言い直す。


「しなよ。自分から」


すみれは唇を噛む。


「でも……」


「でもじゃない」


あおいの声は軽いのに、刃がある。


「連絡ないのが答えだって、勝手に決めてるでしょ」


すみれは何も言えない。


あおいは続けた。


「答えってね、作った瞬間に一番ろくなことにならない」


一拍。


「ただし」


すみれが顔を上げる。


あおいは指を一本立てた。


「期待は、するな」


---


「男は忙しいとかじゃなくて、逃げるときは逃げる」


残酷に言ってから、少しだけ柔らかくする。


「でも、医者ってほんと忙しいのも事実」


すみれは笑いそうになる。


「あおい、どっち」


「現実はだいたい両方」


あおいは肩をすくめた。



---


すみれは少し考えてから、ゆっくり言った。


「……変な人なの」


あおいが眉を上げる。


「変?」


「うん。冷たいみたいで、冷たくない」


言葉を探す。


「優しいって言うと、怒る」


あおいが笑いかけて止まる。


「めんどくさ」


すみれも小さく笑う。


「めんどくさい」


一拍。


「外科医でね。救急で働いてて」


「うん。忘れられない」

「命の恩人だしね





----


すみれは小さく頷いた。


あおいはため息をついて、

アイスコーヒーを一口飲んだ。



それから少し間を置いて、

あおいは言った。


「でもさ、終わったって言う人ほど、終わってないよ」


すみれは笑えなかった。


「終わってるよ。ピアノもない」


あおいは即答する。


「じゃあ借りればいいじゃん」


すみれは顔を上げた。


「簡単に言うね」


「簡単だよ。だって生きてるじゃん」


あおいの言葉は軽い。

でも軽いから刺さる。


すみれはぽつりと言った。



「昨日、工場でスタインウェイD-274弾いた」


あおいが目を丸くする。


「は?、D-274? それ高いよ」

「4000万」

「弾いたの?」

「赤い靴」


「それで、赤い靴、それ、連れていかれるよ」

「そうか」

「異人さんね」


すみれは自分でも信じられないまま話した。


「日本機工の常務が…最前列にいた人が…」


あおいは笑いを堪えきれず吹き出した。


「なにそれ、少女漫画?」


すみれも少し笑ってしまう。

久しぶりに。


あおいは笑いながら言った。


「ねえ、すみれ」


「うん」


「人生、意外と変なとこで続くよ」


その言葉が、少しだけ現実を柔らかくした。




あおいはスマホを机の上に置いたまま、

ふと思い出したように言った。


「そういえばさ」


すみれはストローをいじっていた。


「あざみ、知ってる?」


その名前で胸が少しだけ固くなる。


「……うん」


あおいは画面を操作して、すぐ見せてきた。


ニュース記事。

演奏会の告知。


《サントリーホール定期公演ソリスト:あざみ》


写真の中のあざみは、

光の中にいた。


ドレス。

まっすぐな背中。

スポットライトを当然のように受けている顔。


輝いている。


すみれは息を止めた。


「……すごいね」


声が乾いてしまう。


あおいはためらいなく言う。


「すごいよ。バズってる」


すみれは画面から目を逸らした。


眩しすぎる。


同じ場所にいたはずなのに、

自分は六畳で、あざみはサントリーホール。


あおいは静かに続けた。


「でもさ」


「……なに」


「輝いてる人って、影も濃いよ」


すみれは笑えなかった。


「わたし、その影になりたくなくて断った」


あおいは頷いた。


「正直だね」


すみれは指を握った。


「見たら、壊れると思った」


窓の外で夕方の光が薄れていく。


あざみは舞台に立つ。

拍手を浴びる。ソリストとして輝く。


すみれはそのニュースを見ながら、

自分の胸の中にまだ残っている音を探していた。


終わったはずなのに。


終わりきっていないのが、

いちばん苦しかった。


あおいはスマホを机に置いたまま、

ふっと笑った。


「ねえ、すみれ」


「なに」


「日本機工の式典ってさ」


すみれは顔を上げる。


「……うん」


あおいは身を乗り出した。


「いくらくらいもらえるの?」


「え」


「仕事でしょ?交通費も宿泊も出すって」


すみれは曖昧に首を振った。


「まだ…考えるってだけで」


あおいは即座に言った。


「考える前に金額だよ」


その現実感があおいだった。


ちょうどそのとき、

店内のモニターでCMが流れた。


福原遥が明るい声で言う。


「遥マテハン♪ 日本機工!」


倉庫が自動で動いて、未来みたいな映像。


あおいが指をさす。


「これこれ!」


「……うるさい」


すみれは笑ってしまう。


あおいは真顔に戻って言った。


「その会社の常務が、最前列で最中くれるんでしょ」


「……うん」


「絶対ちゃんと払うよ」


すみれは小さく息を吐いた。


「わたし、お金で弾くの嫌だった」


あおいは首を振った。


「違うよ。お金は生活」


「生活があるから音が続くんだよ」


福原遥の笑顔が画面で揺れる。

遥マテハン。


すみれはふと思った。


音楽も、

結局どこかで、現実に支えられている。


あおいは畳みかける。


「で、いくら?」


すみれは困って笑った。


「知らないよ」


あおいは即答した。


「聞きな。絶対」




あおいは一瞬も迷わなかった。


「20万?」


そしてすぐ頷く。


「無理じゃない」


すみれが目を丸くする。


「そんなに…」


あおいは指を折る。


「常務取締役の直依頼」

「会社の式典、社内イベント」

「スタインウェイ用意」

「交通費宿泊費は別」



あおいは即座に顔を上げた。


「10万?」


すみれが小さく言うと、

あおいは指を折り始める。


「交通費、宿泊代は別でしょ」


「うん」


「式典でスタインウェイ弾く」


「……うん」


「常務取締役直々の依頼」


「……うん」


あおいは結論を出すみたいに言った。


「10万は、全然あり」


すみれは苦笑する。


「そんなに?」


「そんなに、じゃない」


あおいはストローを置いた。


「プロとして呼ばれるなら最低ライン」


「むしろ安いくらい」


すみれは目を伏せた。


「わたし、もうプロじゃないかも」


あおいは即答した。


「弾いたでしょ昨日」


その言葉が刺さる。


あおいは少し柔らかく続けた。


「10万で音が戻るなら、

安いよ「スタインウェイのD-274」だよ」


すみれは小さく笑った。


「音が戻るのかな」


あおいは頷いた。


「戻るよ。生活と一緒に」




それから顔を上げて言った。


「むしろ20万が普通寄り」


すみれは苦笑した。


「わたし、そんな交渉したことない」


あおいは即答する。


「今までスポンサーに全部やってもらってたからでしょ」


痛いところを突く。


あおいは続けた。


「これ、投資じゃなくて仕事なんだよ」

「仕事なら対価はちゃんと」


すみれは小さく息を吐いた。


「言えるかな…」


あおいは笑った。


「言うの。加藤さん真面目そうだし」

「羊羹の人は逃げない」


その言い方で、すみれも少し笑ってしまった。




あおいは急にスマホを取り出した。

さっきまで冗談みたいに笑っていたのに、

目が仕事の速さになる。


「ちょっと待って」


指が滑る。検索。


日本機工。役員一覧。


すみれはぼんやり見ていた。

そんなもの、見ないほうがいい気もした。


あおいが声を上げる。


「……いた」


画面をこちらに向ける。


《常務取締役 加藤 昇》


写真。

真面目そうな顔。

最前列のS席の男が、

急に企業の人間になる。


あおいはさらに読み上げた。


「学歴……」


一拍置いて、笑い混じりに言う。


「東大卒」


すみれは固まった。


「え」

「え、じゃない」


あおいは呆れたように言う。


「羊羹配ってる場合じゃないでしょ、この人」


すみれは画面を見つめた。


工場長。

常務。

東大。


最前列で赤い靴をでたらめに弾く男。

現実が急に重くなる。


あおいは顔を上げて言った。


「すみれ」


「うん」


「20万、余裕で言っていい」


すみれは笑うしかなかった。


世界は本当に、

信じられない形で繋がっている。








あおいは独身だった。

大学の頃から可愛い顔で、

人に好かれるのが自然なタイプなのに、まだひとりだ。


「婚活してるの?」と聞くと、

あおいはストローを噛んで笑った。


「してるよ」


軽く言う。

でも軽いだけじゃない。


「だってさ、仕事だけじゃ生活って埋まらないじゃん」


スマホを見せてくる。

アプリの画面。

笑顔の男たちが並んでいる。


「運命の出会い、今すぐ」


駅前のCMと同じ言葉。


すみれは苦笑した。


「本気なんだ」


---



「本気だよ。ことし27でしょ」


あおいは、ティーカップをソーサーに戻し、

澄んだ瞳ですみれを射抜いた。その表情には一点の曇りもなく、

だからこそ言葉に含まれる毒が際立つ。


可愛い顔で、あざみは剥き出しの現実を突きつける。



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