月明かりに照らされた雪のような
急いで山小屋へと帰ってきた伊澄は、狼を暖炉の前に横たえた。
広くない部屋に狼を横たえれば、かなりのスペースをとるが、構わなかった。
夕暮れをすぎた時刻から、少し肌寒くなる。
伊澄は慌てて暖炉に火をつけた。じんわりと部屋の中が明るくなり、暖まり始める。
少しでも狼の体温が低くならないように、ありったけの毛布を持ってきて体を包んだ。
あちこちある傷を伊澄は消毒したかった。が、そんな設備はなかった。
出来るのはきれいな水で傷口を洗い、僅かな布で保護するだけだ。
あまりに出来ることが少なすぎて、伊澄は無力さを感じた。
「あとは、これしか出来ないや……」
伊澄は狼の頭を撫でる。少しでも痛みや苦しみが和らいでもらえたらいい。そう願いながら。
「そういえば……思い出すなぁ……」
頭を撫でながら、昔、伊澄の実家で飼っていた白い犬を思い出した。
雑種だったその犬は、いつも一人だった伊澄に
寄り添い続けてくれた優しい子だった。最初で最後の理解者。
「だからかな……君を放っておけなかったのは」
どこか姿が似ている目の前の狼に、伊澄は愛犬をだぶらせながら頭を撫で続けた。
記憶の奥底にある優しい記憶を思い出しながら、あの温もりを忘れていたと伊澄は物思いにふけた。
意識のない狼を看病しながら、夜は深くなっていく。
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耳元でふがふが、と生臭い息を感じた。
伊澄はそんな時間か、と眠気まなこのまま声をかける。
「チロ…………待って、もう少し……」
餌を与え、散歩に行くのは伊澄の役目だ。
あまりに遅いとこうしてチロは伊澄を起こしにやって来る。
どうやら今日は、寝坊したらしい。
痺れを切らしてチロはなおも、耳を鼻で押す。
その仕草がたまらなく愛おしいと思ってしまうのは、わがままだろうか?
伊澄はそれが、自分が本当に必要とされているようでたまらなく好きだった。
でもそろそろやめにしないと。いつまでも享受していたかったが、本気でチロが怒り出してしまう。
伊澄は起きるか、と意を決して目を開いた──────。
「あれ……チロ? あ…………!?」
目を開けて伊澄はここが実家の、自分の部屋ではないことを思い出した。
ベッドと勉強机がある、寝ると勉強するためだけの質素な部屋ではない。
暖炉の火はとうに消え、薄明るくなった空の光が窓を通して伊澄に落ちた。
目の前に月明かりに照らされた雪のような毛並みが揺れる。
傷ついた灰色の狼が体躯を起こしていた。
「あなた……起きれるようになったの……?」
ガラス玉のような、透き通った金色の双眸が伊澄を見つめていた。
伊澄はあまりの綺麗さに息を飲んだ。ここまで綺麗だと思える生き物を見たことがなかった。
触れることを躊躇っていた伊澄だったが、そっと手を差し出す。触れられなければ、触れてもらおうと思ったのだ。
それなら許される気がして。
しかし、狼は後ずさりしぐるる、と牙を少し見せて伊澄を威嚇した。
(そうだよね、簡単に触らせてはくれないよね)
内心、がっかりしている自分がいた。
温かいものに触れたかった、なんてわがままか。
相手は生粋の野生動物だ。簡単に触れられるなんて、なんて自惚れだろう。
伊澄が助けたからと言って、心を開いてくれる相手だとは思っては行けない。
すぐに気持ちを切り替えて、名残惜しむ自身の手をゆっくりと引っ込めた。




