放ってはおけない
毒魔女と呼ぶ男に名乗るつもりは無いが、一言噛み付いてやらなければ気が済まない。
伊澄は言葉にこそ毒が混じれと念じながら、声を発した。
ひい、と男が情けなく声をひきつらせる。
がたいのよい体躯が震えるのを見ただけで、伊澄はなんだか勝った気がした。
伊澄にとって精一杯の威嚇であったし、これ以上近づくなという警告でもあった。
「いいい……いやだぁぁぁぁ……!!!」
きっ、と伊澄が目を釣り上げると男は、命からがら逃げ出すように走り出した。その背中を伊澄は見送る。
藪の中に消え姿が見えなくなると、伊澄はやっと力を抜くことが出来た。
「…………はぁ……」
深いため息とともに、安堵が伊澄の心に広がる。
一人はいい、誰にも傷つけられないし、自分も傷つけないから。
力を込めていた拳を緩め、収穫を再開した。
────────────
籠がいっぱいになり、伊澄は両手を上げて体を伸ばした。やはり、中腰体勢はきついものがある。
日頃の運動不足が祟ったな、と伊澄は考えつつも穏やかに過ごせるこの時間は気持ちが良かった。
社畜として働いていた時には無かった、自分の為に使える時間というものがいかに必要かを改めて考えさせられる。
時間に追われるように、あくせく働くのはもうまっぴらごめんだ。
空を見上げ、ほうと長い息を吐いて帰ろうと家路をゆっくりと歩いていく。
針葉樹の森は、なんだかヘンゼルとグレーテルを思い出させた。お菓子の家なんてありそうだなぁなんて思うが、魔女と呼ばれるのが伊澄自身かもと思うと納得がいかない。
「私は魔女じゃないっての……」
ひとりブツブツと喋っていると、遠くで唸るような声がした。
足を止めて伊澄は耳を澄ます。
「犬…………?」
地鳴りのような低い声は、犬の警戒する声のようだ。それが複数聞こえ、伊澄は身を低くして草葉に隠れた。
見つかりでもしたら、こっちが襲われかねない。それだけは御免だ。面倒後にはあまり関わりたくない。
安全に状況を探るために、伊澄はゆっくりと顔を覗かせた。
草葉の向こうに数頭の狼の群れが見える。どれも毛を逆立てて、地面を睨みつけている。
地面には、血まみれで横たわる灰色の狼の姿が見えた。
仲間から追い出されたのだろうか。
この狼たちがどんな関係か分からないけれど、一頭に対してあまりに執拗ではないだろうか。
その一頭目掛けて、怒り狂ったように歯をむき出しにするもう一頭。
寄ってたかって何してんだ、と伊澄は口にする。
それが自然の摂理なのだから仕方ないとしても、なんだか虚しいし、やるせなかった。
なんだか、昔の自分を見ているようで。
人間に囲まれて、見下されている時の──。
ぶんぶん、と強く頭を振って伊澄はその光景を頭らが追いやる。
なんて馬鹿なことをと伊澄が唾を吐いていると、今にも飛びかかろうとする一頭が目に入った。前足で地面を何度か掘るのは、やってやるぞ、と言っているようだ。
伊澄はその場をそっと離れようとした。
このままいても何か出来る訳でもないし、面倒事には首を突っ込みたくなかった。この場を離れれば良いだけだ。
なのに、伊澄の足は思うように動いてはくれなかった。
「もう……! どうにでもなれ!!!」
後退することには動いてくれなかった足が、前進することには素直だった。
伊澄は覚悟を決めて、草葉から身を乗り出す。
心は正直だ。放っておけばいいものを、自分に重ねたあの狼を放ってはおけないんだから。
(助けたいって思っちゃったんだから、しかたない)
自然の摂理とか、どうでもいい。
放ってはおけない、って思ったならそれだけでいいだろう。




