そこに居たのは
少女を掴もうと伸ばした伊澄の手は、アルスの手を握っていた。
なぜ、と口に出る前に、伊澄はアルス二抱きしめられていた。
グッと近づく距離に、伊澄は戸惑う。
「何、どうしたの? ねぇ……」
アルスの精悍な横顔がすぐ近くにあって、温もりが直に伝わってくる。
こんなに異性に──人に抱きしめられたことはない伊澄はあわあわと口を動かした。
ただ、言葉にならない言葉だけが伊澄の声になる。
「目が…………覚めないかと思った」
一段とアルスの腕の力が強くなる。
まるで、子供が母親に縋り付くように、もう離したくはないと言うように。
「本当に、おかしな人……」
私のことなんてどうでもいいでしょうに、と伊澄は言いかけて止める。
見つめてくるアルスの目があまりにも真っ直ぐで見ていられなくなったから。
人間は、アルスに酷いことをしたんじゃないのか。
だから出会った時、殺そうとしたのでしょう?
なのに、今優しく触るのは何故?
ぐるぐるとまとまらない思考が、伊澄の頭の中で絡まる。
考えれば考えるほどに、糸は絡んで解けなることは分かっていた。
分かっていたのに。
(分からない。分からないから……考える)
この先を、知りたいのだろうか?
(だめ、これ以上何があるって言うの)
伊澄は自分に自分で問いかけておいて、考えるのを止めた。
「離れて、ほら」
アルスの肩を二度ほど軽く叩くと、名残惜しそうに離れていく。
広がったアルスと伊澄の間で、温もりが溶ける。僅かに冷めたのが、なんだか勿体ないなんて伊澄はただ思いながら、思考の片隅にすぐに追いやる。
「って、今ここどこ……?」
伊澄は意識を外へ向ける。
意識を失う前まで外にいたはずだ。
でも今はどこかの建物内で、窓の外には煙が見えた。
恐らく火事の後だろう。そこかしこでたち上った灰色が、薄暗い空へと上っていく。
それは空全体を覆い、まるで曇り空のようだ。
けれど、その空の青さは夜の始まりと言うよりも朝だ。
「伊澄は一晩中、意識を失ってた。本当に、死んだかと思ったよ」
「まさかぁ……」
アルスの話を聞く限りこうだ。
闇に飲まれたのは伊澄だけではなかったようだ。街全体が漆黒に包まれて、右も左も自分さえも溶けてしまいそうだったらしい。突如視界は光に包まれて、ここに戻ってきたと。
そして意識を失った伊澄を抱えて、無事に残っていた家屋に一旦身を潜めた、とアルスは語る。
「声をかけても返事はないし、息も弱いし、はた迷惑なやつだ」
言っていることは辛辣でも、アルスの表情に安堵が滲んでいる気がした。伊澄の自惚れでいなければ。
(まさかね…………)
深い意味なんてない、と伊澄は自分を叱りつけて居住まいを正した。
「ありがとう、ここまで連れてきてくれて。まさか気を失ってるなんて思ってもみなかったよ」
伊澄の体感としては一瞬だ。
まさか一晩を越えていたなんて、予想外。
迷惑をかけてしまったと、伊澄は砂に頭を下げた。
「いや、いい。それに、まだことは終わってない」
え、と伊澄は素っ頓狂な声を上げた。
終わっていないとはどう言うことだろう。
伊澄はアルスの真意を探るため、話の続きを促す。
「俺が気づいた時、あの黒い塊は居なくなってた。代わりにイスミがそこに居たんだ」
その意味が、分かるかと聞かれて伊澄は嫌な予感がした。




