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「分からない。だが、俺が知る生き物ではないとは思う」


「そう」


伊澄にとって獣人であるアルスも十分、知らない生き物ではあるのだが。

そんなアルスでさえも、知らないということはアルスの世界にも居ない、存在しえないということなのだろう。


この世界特有のものということか、と伊澄は結論づける。

結論づけたのはいいものの、対処しょうがないのは変わらない。

事態は好転せず、むしろ悪い方へと進んでいる。


(どうしろって言うの…………)


頭を抱えた伊澄に、アルスはぽんと肩を叩く。それはとても優しくて、なんでもないと語りかけているようだった。


「落ち着け、俺が何とかしてみる。倒せないと決まった訳じゃない」


「…………分かった」


騎士としての矜持か、民衆を守るという性か、アルスは柔らかく微笑んだ。

それは伊澄を落ち着かせるのには十分すぎた。


こんな状況になって、落ち着くなんておかしな話だけど。

それでも、アルスには落ちつかせる力があるのかもしれない。

伊澄は肩の力を──抜いた。


「危ない、イスミ…………!」


ぐ、とアルスが息を詰める声が耳に残った。

強く押された衝撃でイスミは地面に倒れ咄嗟に着いた手に、石が刺さる感触が走る。


周りが悲鳴や、ざわつきで一瞬にして騒がしくなった。

はっ、と弾かれるように伊澄は顔を上げる。


「アルス…………!」


隣にいたはずのアルスが吹き飛ばされて、瓦礫に叩きつけられていた。

すぐ横には、黒い塊が佇んでいる。目と鼻の先に、居る。


「………………っ!」


本能的に、逃げ出したいと伊澄は体を動かした。捕まったら、今度こそ逃げられない予感が過ぎる。


あの黒い手に絡め取られたら──終わりだ。


しかし、その黒い手が背を向けた伊澄の腕を絡め取る。

ぐん、と後ろに引っ張られて伊澄の体は揺らいだ。


アルスの元に、行きたいのに。

ピクリとも動かず、伊澄が何度呼びかけても反応を示さない。


それだけ、アルスの受けた傷は深いのだろうか。


「…………め…………ある、す」


叫びたいのに、その声は震える。

もしアルスが居なくなってしまったら?

誰が、私を終わらせてくれるの、と伊澄は心の中で強く思う。


自分から終わる勇気なんてないくせに、アルスに終わらせて欲しい、他人に任せるなんて虫が良すぎるかもしれないけれど。


──最期の瞬間くらい、願ったって良いでしょう?


絡め取ってくる手を、伊澄は革手袋をしていない腕で強く掴む。

意図して素手で掴んだのか、それとも無意識だったのか伊澄には分からない。


けれど、素手で触った黒い手が一瞬にして形を保てずに、蒸発するように消滅した。


──…………い、怖い……………………!


「何…………? ……………………っわぁ!?」


何故か、黒い塊が震えている。

まるで伊澄を怖がるような仕草で、伊澄は混乱する。


これにも、恐怖、というものを感じる心があるのか、と。

その瞬間、地面を飛び跳ねるように伊澄から離れた。

それ以上、近くには居たくない、と言った意思が見える気がした。


「イスミ…………」


弱々しいアルスの声を伊澄の耳は捉えた。


「アルス! 平気なの!?」


駆け寄ろうとする伊澄をアルスは手で制し、ゆっくりと立ち上がる。

瓦礫を軽く叩いて落とすその目は、力強く前を見据えていた。


「やれるか、イスミ」


その言葉だけで伊澄は悟る。


(きっと、今の見てたんだ……)


もちろん、と伊澄が答えるのと同時に、満足そうにアルスは群衆へ突っ込んでいく。

その瞬間、黒い塊が思い立ったかのようにその身を揺るがした。


球体の中から伊澄を捉えた時のように、黒い手が伸びて──アルスを襲った。

まるでハエを払うかのように、地面を勢い任せに叩き潰しにかかった。




いつも読んでいただきありがとうございます。

なかなか更新出来ない時もありますが、頑張って書いていますのでお待ちいただけたら幸いです!

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