闇へと引きずり込む手
「あいつは、あいつはもう……!」
農夫が口にする、あいつとは恐らくもう一人の仲間のことだろう。
昼間仲良さげにしていたもう一人が見当たらない。
何かに巻き込まれた、あるいは襲われたのか。
その恐ろしい一部始終を彼は見てしまったのだろうと、伊澄は当たりをつける。
その得体の知れないものが、なんなのか伊澄には分からない。
ただ大の大人をここまで震え上がらせる、それだけで十分な気がした。
騒ぎを聞き付けて、人が集まってくる。
傍から見たら若い女に縋り付く男に見えたことだろう。
けれど、血相を変えて泣きわめく男の態度にみんなどうしたらいいか分からずにいた。
だって、伊澄そうだったから。
伊澄は周りにいる人間に、今聞いたことを掻い摘んで説明した。
伊澄も詳しくは知らないが、と断りを入れてなんとか周囲のものたちは状況を理解したらしい。
自警団に連絡を、と走り出すものや避難が必要か、など各々動き出した。
静かだった宿場町がにわかに慌ただしくなり、農夫は取り乱していたため、伊澄から引き離されるとこの町唯一の診療所に連れていかれた。
「アルス……大丈夫かな……」
こんな騒ぎの中、アルスは一向に姿を現さなかった。走り出した人間たちを見回しても、その姿は見つからなかった。
次第に伊澄の心の中で焦りが加速した。
このまま見つからなかったら……、と考えるといても立ってもいられなかった。
(約束、まだ果たしてないから……!)
私を終わらせてくれないと、約束を果たしてくれないと困る、と伊澄は後先考えずに走り出す。
人の波は街の中心部へと流れているが、伊澄は逆らって街の外へ飛び出した。
町を離れると夜の闇がいっそう濃くなる気がした。明かりは外へは届かず、星と月明かりだけが頼りの心許なさだった。
けれど、夜の闇にだんだん慣れてくると草原の景色や、森の輪郭が浮び上がる。
ただ、この場にいる生き物は自分だけのような気がした。
荒い呼吸音と、心臓の音が聞こえてくる。
声帯に力が入らず、声が出ない。
けれど、今はそんなこと言っている場合ではなかった。
思いっきり息を吸い込むと、喉の奥が鳴った。
そしてそのまま、吐き出すようにして声を出した。
「アルス、どこにいるの……!? アルス!!!………………っ!?」
アルスの名を探しながら呼び続けていると、伊澄はぞわり、とした寒気を感じた。
背中を冷たい指でなぞられたような、嫌な寒気だった。
(後ろに、何かいる)
冷や汗がこめかみを伝って流れる。後ろを振り向きたい。
でも、振り向いては行けない気がする。足を止め、息を殺しながら必死に伊澄は考えていた。
(どう、しよう)
幽霊とか、そんなオカルトを伊澄は信じていない。
けれど、この後ろの気配はそれと同類のような気がした。
足音はしていないのに、ずるずると何かが這い寄ってくる音が聞こえてきそうだ。
それほどまでに背後にいる、この世のものではない気配に伊澄は立ち尽くすしか出来なかった。
前を向いたまま、見開いた視界が黒く染っていく幻覚すら見える。
その黒い影はまるで人の手の形に変化して、伊澄を闇の奥へと引きずり込むようにうねった。
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