名前を覚えておけ
「地位だけ持ってても、仕方なかったがな……」
遠くを見つめるチロの目には、何が映っているのだろう?
考えただけ無駄かもしれない。あるいは伊澄には計り知れない何かかもしれなかった。
きっと、チロは故郷の思い出を、大切だと思える思い出を思い出しているに違いなかった。脳裏に焼き付いて離れないものを忘れまいとするように、膝に置いていた両手を強く握りしめていた。
「俺は……人間に……仲間を、故郷を……壊された。美しかった風景も、笑っていた仲間も……全て奪われて、俺も殺された」
だから、とチロは言葉を区切った。
「俺は、人間を許さない」
チロに言われた言葉を伊澄は思い出した。
──本当は、人間を殺せるだけ殺したかったが、それは無理なようだ。
──ならば、お前を道連れにしてしまおう。
あの言葉はそういう事だったのだ。
人に全てを奪われたチロが、死んでなお無念を晴らそうと人間に、伊澄に牙を剥いたのだ。
結果、それは果たされず代わりに伊澄と殺すと約束を交わしてくれたのだ。
本当だったら、そんな約束を交わす義理なんてなかっただろうに。
約束なんてせずに、あのまま殺そうとして言ったって良かったのだ。
伊澄の思いなんて察さずに、一思いにだってできたはずなのだ。
それを、チロはしなかった。
(きっと、優しい人なんだろうな。私だったら、そんなものありはしないから)
「もしかして、死んだと思った後にセリオスに会ったの?」
伊澄は心の内にある言葉を発さずに、チロに問いかけた。
すると、チロは黙って頷く。
「そう、なんだろう。死ぬことがセリオスに会う条件なのかな……」
チロと話してみて分かったことは、恐らく死後にセリオスと出会っている、ということだ。
自ら神であるセリオスの元に向かったのか、はたまたセリオスに呼ばれたのかは定かではないがそれが条件なら、と伊澄は思った。
ねぇ、と口を開いた伊澄を遮るようにチロは厳しい目を向けてきた。
それはまるで、それ以上は言うな、とでも言いたげで思わず伊澄は言葉を飲み込んだ。
「…………お前、馬鹿なこと考えてないよな」
「………………別に」
「そんな訳あるか。お前、分かりやすすぎだ。死に向かって、前向きとかおかしすぎるだろ」
なんだかなぁ、とチロは頭を抱えてうずくまるのを見て伊澄は首を傾げた。
チロにとって伊澄がどうなろうと知ったことでは無いだろうに、何故そこまで気にするのだと。
(私には、本当にチロがわかんないや)
他人と今まで関わってきていないから分からないのか、それともチロが変わっているのか、伊澄には判断がつかなかった。
「目的があるなら、もっと確実な方法を取れ。もう少し考えて、情報を確かめてからにしろ。お前は猪突猛進すぎる」
「はーい、そうします」
やや投げやりに伊澄は答えた。
「分かってないだろう」
納得がいかないと憤慨しているらしいチロを横目に、伊澄は視線を空へと移す。
なんだか、チロの目を見ていられなくなったのだ。
「チロこそ、変だよ。殺せるなら、なんだっていいだろうに、こんなふうに協力までして。変わってんね」
「ただ、このままでは寝覚めが悪いだけだ」
そう言ったけれど、彼は変わっている。
出会って間もない相手に、少しでも心を砕こうとするなんて。心を寄せようとするなんて。
「変な人」
今まで出会った誰より、違っている。
伊澄は誰とも違う彼が、少し面白いと思った。
ふふふ、と笑うとチロが怪訝そうに眉を寄せる。
「お前──いや……名前聞いてもいいか」
「……中島伊澄だよ」
急に名前を問われ驚きながらも、伊澄ら自らの名を言うと。
「イスミ、か。覚えておく。俺はアルス、チロではないから覚えておけ」
チロ──ではなく、アルスと名前を名乗った。
分かった、と伊澄はアルスの名前を染み込ませるように何度か口にした。
なんだか、変な気分だった。
とても静かな夜。ただただ、伊澄とチロの呼吸音が響くような、そんな空間。
交わす言葉もなく、ただ時は過ぎた。
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