炎の中での誓い
「やっと気づいたか、愚か者め」
くくく、とチロが喉を鳴らしながら、口角が上がるのをただ見つめていた。
チロの牙が、吐息が舐めるように伊澄にかかる。
一刻の猶予もないのだと、一瞬にして伊澄は悟った。
「本当は、人間を殺せるだけ殺したかったが、それは無理なようだ。──ならば、お前を道連れにしてしまおう」
容赦なく開かれたチロの口が迫るが、伊澄は抵抗出来なかった。
脳が拒絶するように、ゆっくり、ゆっくり、チロが迫ってくるのが見えた。
(このままじゃ……食われる…………!)
本能的にそう思ったら、伊澄の体は震えた。自分の意思とは無関係に、存在を消される恐怖。拒絶したくても出来ない、誰かの中に溶けていく怖さを感じた。
セリオスに文句を言うことも叶わないまま、消されるなんて嫌だ。
このまま、終わるなんて──絶対に嫌だ。
(静かに眠るために……私はまだ終われない……!)
「お願い、殺すのは……待って……!」
「…………何?」
ぴくりとチロの動きが止まると、伊澄の喉を牙が僅かに掠め、血がすぅ、と流れたのを感じる。ちりちりとした痛みが襲いかかって来たが、それで伊澄は口を開くことを止めなかった。
「私を殺したければ殺せばいい。でも、私が目的を果たした後にして」
伊澄の願いはただひとつ。
セリオスに会って文句を言い、一発お見舞いすること。この世界に招き、変な力を授けた報いを受けさせる。
それさえすれば、心穏やかに眠れる気がするから。
ただそれだけでいいのだ。
後は何も要らない。何も、望まない。
「その後は貴方がやりたいようにして。煮るなり焼くなり好きにすればいい」
この炎みたいに、跡形もなく焼き尽くすなりすればいい、と伊澄は告げた。
未来なんて要らないし、興味がまるで湧かなかった。そんなものを渡すくらいで済むなら、安いものだ。
それくらい、今が大事だから。
「だから、今は殺さないで。お願い」
伊澄は金色の目から目をそらさなかった。ただ真っ直ぐに、素直な言葉をチロに吐き出す。
時が止まったようにチロは固まっていたが、やがて肩を震わせ始める。何がおかしいのだろうと、伊澄は首を傾げた。
「ははは、面白いことを言う。煮るなり焼くなり好きにしろだと!? 面白い命乞いの仕方だ」
さぞおかしい、と言われたが伊澄は至極真っ当なことを言ったつもりだった。
チロを笑わせるつもりは一切なく、ただただ真剣なだけだったのに。
「何がおかしいの……」
まるで通用しないとは分かっていても、伊澄は眉根を寄せて言った。チロには不貞腐れて見えただろうか、さらに目を細められて伊澄は罰が悪くなる。
「お前は死にたいのか、生きたいのか分からんな。いいだろう、その申し出受けよう。お前の目的が果たされるよう、俺が死なないように見ててやる」
チロはゆっくり体から降りると、伊澄はやっと息ができる気がした。痛む肩を庇いながら体を起こす。
酸素は薄くなっているのか、伊澄は大きく咳き込んだ。
咳き込む度、引き裂かれた肩が痺れ咄嗟に手で抑える。
「約束だからな……一肌脱いでやるか」
チロの声が、ぼんやりとする思考の向こうで聞こえた。
ゆるゆると顔を上げると、チロと目が合った。
「どうするつもり?」
逃げ道は無く、状況は最悪だ。打破する案も碌にでてこず、伊澄は途方に暮れるしか無かった。
なのに、余裕綽々といった様子のチロは舌なめずりをしてみせる。
何とかしてくれるかも、という期待を伊澄は持ってしまった。




