業火の足音
収穫も終盤に差し掛かって、額に滲む汗を伊澄が拭っていると──。
突然、チロが立ち上がり耳を立てながら後ろを振り返る。
「何、何かいるの……?」
伊澄も耳を澄ませると、複数の足音。茂みの向こうに気配を感じる。
逃げようと伊澄が籠を抱きしめると──。
「居たな、森に棲まう悪しき魔女め!」
日焼けした大きな体躯に担ぐのは、大きな斧。
それは、この森であった木こりの村人だった。茂みの向こうから、その男を筆頭に数人の男たちが現れる。
まるで地中から這い出してきた虫のように。
誰も彼もが、ぎらついた目をしていた。
(知ってる、これは誰かを害そうとする人間の目)
こんな相手には脅しは効かないことが分かっていた。相手を本気で殺そうとしてくる相手には。
伊澄はわずかでも動けば、飛びかかってくるだろう。
(どうしよう)
逃げるべきなのだろうが、どうやって逃げるべきなのか……。
恐らく、ここまで来てしまったらこの森には居られない。もっと遠く、伊澄を知られていない所──。
グルル、と今にも反撃しそうなチロをちらりと見て逃げる隙を伺う。
もう、時間はない。チロだって、怪我をしていて本調子ではない。
(ここで闘わせる訳には行かない)
ごくり、と伊澄は生唾を飲み込んで覚悟を決めた。
「あ、あれ、何!?」
伊澄は空を指さして、大声を上げる。
釣られるように男たちは空を見上げた。なんだ? と探す一瞬。
(今だ!)
伊澄はチロを抱えて走り出した。体格のいいチロはそれなりに重い。
ゴールデンレトリバーやシベリアンハスキーなど大型犬と寸分変わらないのだから当たり前だ。
「毒魔女が逃げたぞ!」
直ぐに男たちは伊澄が逃げたことに気づく。背後で、追え追え! と叫ぶ声が飛んでくる。
流石に簡単には騙されてはくれないか、と伊澄は舌打ちをした。
「はぁはぁはぁ…………!」
日頃の運動不足が祟っている。足も重くて、何度も立ち止まりたくなる。
喉はカラカラに乾くし、息が出来なくて苦しい。
森の中を伊澄はチロを庇いながら走る。
チロの重たい温もりが、伊澄を前へ前へと突き動かす。
木々を縫うように走り、伊澄は山小屋を目指した。
一瞬、ほとぼりが覚めた頃に荷物を取りに来ようかと伊澄は考えた。
しかし、無事に逃げおおせたとして、見つかる危険を犯してまで舞い戻る必要があるのか、と思った。
(私の荷物を持って……ここから離れよう……!)
伊澄はここから逃げるために、山小屋に置いてある僅かな金銭を、このまま取りに行こうと考えたのだ。
一人なら何だって、どうにかなったって良かった。
罵倒されようが、後ろ指をさされようが、石を投げられても、受け流せる。
けれど、今は伊澄の傍にチロがいる。
大人しく胸に抱かれているチロを、伊澄は守りたかった。
後ろから迫る恐怖を感じつつ、伊澄はチロを必死に抱え山小屋に飛び込んだ。
「ごめん、ここで待ってて!」
チロを大事に床に置くと、柔らかい頭を撫でた。
こんな時のために備えて、伊澄は荷物をまとめていた。
何が起こるか分からないそんな危機感を持っていたのだ。
使い古された大きなカバンを、乱暴に肩にかける。
そして、チロを再び抱えて家を出ようと来た時……。
家の目の前に、複数の男たちが弓を構えて居た。しかもその矢には火が灯っている。それは伊澄にとって、終わりの始まりのような最悪な結末を物語る気がした。
「山小屋諸共消えろ……!」
男の叫びを合図に、ぴゅん、という小さな空気を切り裂く音が無情にも幾重にも重なった。
伊澄はチロを抱え込んで伏せる。陽だまりのような匂いに混じって、焦げ臭い強烈な匂いがした。
家の中に響くその音と小さな火は、大きな業火となり家中を包み込んだ。
いつも呼んでくださりありかとうございます!
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