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2.非常食



 だんだんと森の喧騒が遠のいていき、気付けば明るくなっていた。夜であることに変わりはないが、あの森の中の暗闇とは明らかに違う。恐ろしい気配も感じなくなった。それでも恐怖心は拭いきれず、周囲を見ることはできなかった。後ろを振り返るなんてことはもってのほかである。

 彼の足が止まった。少女が恐る恐る前を見ると、そこは古民家のような和風の建物の入り口であった。彼が少女の手首から手を離し、入り口を開けて建物の中に入っていく。少女が慌ててついていくと、木造の内装が確認できた。しかしそこには家具も何も無く、ただ真ん中に上階へと通じているであろう階段があるだけだった。


 彼が土間で靴を脱いで室内へ上がり込む。少女はそこで初めて彼が黒い長靴を履いていたことを知った。どうでもよさそうな情報を頭に入れ、スニーカーを脱いで彼のあとをついていき、階段を上っていった。

 左右を木造の壁に挟まれている階段は暗く、壁にかかっている様々な種類の提灯でほのかに照らされている。前を歩く彼の背を見ながら「この人、提灯好きなのかな」という疑問が浮かんだが、そんな些細な疑問はすぐに新たな恐怖により吹き飛んだ。

 先を見ても、階段の終わりが見えないのだ。さらに嫌な予感がして後ろを振り返ると、そこにもまた終わりの見えない下り階段が続いている。そこまで上っていないはずなのに、もはや入り口のあった階の姿は見えない。どうやらまた奇妙な迷路に放り込まれたらしい。先程まで彷徨っていた恐ろしい森を思い出し、背筋が凍った。

 「まさかこの人は、悪い人なのか?」と疑いを抱きながら赤い褞袍を着た後ろ姿を見る。そうしてすぐに、階段の途中で彼が立ち止まった。そこの壁には黄土色の襖が埋め込まれており、彼はその襖を開けて中へと入っていった。壁に襖が埋め込まれ、廊下ではなく階段の途中から入るという未知の体験ではあったが、考える間もなく急いで彼についていった。


 襖の先にある部屋は畳の敷かれた和室であり、部屋の中央には大きめの炬燵が鎮座している。壁際に古い見た目のテレビが置かれ、隅には座布団が5つほど積まれている。入口の襖とは別の襖があるが、それを開けてその先を確認するなどという蛮行に及ぶほどの余裕と度胸は無い。

 彼はすでに敷かれている座布団に腰を下ろし、足を炬燵に入れた。そしてリモコンでテレビの電源を入れた後、炬燵の上に置かれている蜜柑を取って食べ始めた。

 見た目からして人間では無さそうな彼だが、人間と同じような過ごし方をしている。

 少女は彼に向けて正座をして頭を下げた。


「あの、助けてくださってありがとうございます。それで…その……こ、ここは、どこなんでしょうか?」


 返事が無い。彼はテレビの方を向いていて、こちらを見向きもしない。


「うぅ……すみません、私が家に帰る方法を教えてほしいです……」


 少女は申し訳なさそうに縮こまった。見ず知らずの相手、しかも人間ではなさそうな相手に頼み事をするのは恐れ多い。すでに恐ろしい森から脱出させてくれた恩もあるので、なおさら頼みづらかった。


「君は、両親を探しにあの森へ行ったんですか?」


 テレビに視線を向けたまま彼が言った。テレビからはよく分からない演歌のような曲が流れている。

 相変わらずこちらを向いてはいないが、間違いなく彼はこちらに問いかけてきたのだ。少女は背筋をピンと伸ばした。


「はい、そうです。私の両親は2人ともオカルト好きで、心霊スポットとかによく行っていたんです。でも、2週間前から連絡が取れなくなって、2人とも行方不明になってしまって……2人が行ってそうな心霊スポットを探せば、2人が見つかるかなと思って、それで……」


 それで、あの森に閉じ込められる羽目になったのである。少女はバツが悪そうに俯いたが、すぐに顔を上げた。


「だ、だから、早く帰りたいんです。お父さんとお母さんを探さないと」


 危険な目に遭ってもなお、彼女は両親の捜索を諦めるつもりはなかった。次からは気を付けよう、夜に行くのはやめよう、など対策を考えていた。

 彼がテレビから逸らした顔をゆっくりと彼女の方へと向けた。


「誰が帰すと言った?」


 地獄の底から響いてきたような、低く不気味な声だった。驚きと恐怖から少女の体がびくっと震えた。彼の目の位置にある真っ黒な闇から、刺すような冷たい眼差しを向けられているのが分かる。


「不本意ではあるが、俺はあの森から君を救い出した。その対価をもらうまで帰すつもりは無い」


 冷たく言い放つ彼の言葉に、わずかに怒気が含まれているように少女には感じられた。しかし怒っている理由も、本当に怒っているのかも分からず、ただ縮こまって口を噤む。

 彼は立ち上がり、少女に近付いて胡坐をかいた。そして腕組みをして彼女をじっと見つめた後、難しい顔で首を捻り、口を開いた。


「うーん…使い道が思い付かん……とりあえず非常食にしとくか」


「ひ…非常食?って……」


「君のことですよ」


 恐怖を忘れるほどの衝撃が走る。少女は驚きのあまり口をあんぐりと開け、信じられないものを見るような目を彼に向ける。

 一方で彼は、何も無かったかのように再び炬燵の方へと戻っていった。



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