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JK-自衛官-  作者: 村井麻
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ハイ這い

この作品はフィクションです。実在の組織、団体とは関係ありません。

本日も課業開始のラッパが流れる。ここ最近の、地獄もかくやという戦闘訓練の日々の中では、国旗のラッパがまるで黙示録の終末ラッパが如く聴こえる。もっとも、課業終了の時には福音の鐘の音に聴こえるのだから、何とも奇妙な事である。流れているラッパは同じ筈なのだが。


戦闘訓練が始まり、何が変わったかと言えば、課業開始時に武器庫から武器搬出をする工程が追加された事である。

そう、武器だ。ようやくJKらしくなってきた。

新隊員教育期間に実施する戦闘訓練では、小銃、小銃背負い紐、弾倉、銃剣、銃剣カバー、防護マスク(使わない事もある)を出す。小銃と負い紐は基本教練で先行して使用していた(銃剣も先行して使用する場合もある)が、ここに来て、らしい装備が追加されるのである。

装備が増えた分、脱落にも気を付けなくてはならない。第一関門は武器庫からの出庫のタイミングだ。武器庫には当然の如く、倉庫を管理する隊員がいる。教育時は当然教官殿が係を務めているのだが、その前で落とせば大変な事だ。

銃に銃剣までは簡単に持てるのだが、そこに6個弾倉と防護マスクまであると持ちにくくて仕方ない。ポケットに入れて持ち出そうとすれば、ニヤニヤした顔で係を務める教官殿に呼び止められ、不正持ち出しを疑う小言が始まってしまう。

指や腕、腹、身体のすべてを駆使して搬出するのだが、あまりモタモタしていると訓練開始時間に間に合わない。武器を出した後にもやる事があるのだ。


武器を出した後にはビニールテープを使った脱落防止を行なう。これが『まあまあ』いや、『そこそこ』いやいや、『めちゃめちゃ』面倒くさい。

小銃という物は、ある程度までは個人で分解し整備を行なえる様に設計されているのだが、その分、部品が行方不明になる事が起きやすい。その為、脱落しやすい部品を中心にテープで固定をするのだが、その工程が非常に大変なのである。因みに、1番なくしやすい部品が、1番固定するのが難しい。“固定が難しいからなくしやすい”のではなく、“固定が難しいしなくしやすい”のである。おかしいだろ。


“脱落防止急げー!”“うぇい!”

“鉄線鋏カバーも忘れるなー!”“うぃいい!”


1ヶ月も経つ頃になると、教官殿がご指摘下さるポイントにも思考が行くようになる。自身の分を早々に終え、周りにも気を配れる者から元気な声が飛び、

それに応える言葉ではない返事が飛ぶ。

何て言ってるのか、返事をしている誰しもが意識していないだろう。かく言う私も自分の事ながらどんな発声をしているのか分かっていない。声掛けをしないでいれば怒られるし、声掛けに返事をしなければまた怒られるのだ。とりあえず声を出しておこうの精神である。


何とか全員が脱落防止の処置を終え、縦隊をつくり整列する。銃を抱え、筆記具や水分、その他雑品がパンパンに詰められた雑のうと呼ばれるカバンを肩にかけると、そこそこの重量になる。文化部歴6年、運動をロクにした事がない私はこの時点で相当辛いのだが、課業終了まであと8時間以上ある。

なんて現実逃避を始めた頭をブンブン振り、思考をリセットし重量感のある鉄を握り直して列の前の方へ向かった。


大抵の駐屯地では、隊舎から戦闘訓練場まではそこそこ距離が離れている。当然、新隊員の私たちが暮らす隊舎からも。

“何でこんな離れた所にあるんだ”と何回目か分からない不満を浮かべながら走る事数分。私は、スタート直後にも関わらず死にそうになりながら旗を抱えて走っていた。地獄の旗手係である。

区隊旗と呼ばれるこの旗は部隊の象徴であり、雑に扱う事は許されない。軍隊において旗は重要な物であり、粗雑に扱えば、場合によっては処分を貰ったりする。そんな話を聞かされた上で私が掲げるこの区隊旗はべらぼうに重い。『重み』があるだとかそういう話ではない。物理的に重いのだ。なんとこの旗、柄の部分が金属で作られている。自分の身長よりも長い旗を両手で掲げ、小銃に雑のうを肩にかけながら走っていた。

握りしめた旗の重たさに、その腕が少し疲れて下がってくると、同期たちから励ましの声が飛ぶ。ここで旗手である私が旗を落とすなんて粗相をすれば、何が起こるか…、励ます声にも熱が入るという物だ。それに、本来であれば然程重くもない木製の区隊旗が金属製となっているのだ。走り出して数分少々で疲れてしまったとして、誰が非難できるだろうか。


なぜ木製から金属製へと変わってしまったのかと言うと、話は1週間程前の旗手係に遡る。旗手係となった者は、隊舎の外で出る時には常に区隊旗を伴って移動しなければならない。旗を地面に立てるための杭を刺しそこに旗を立てる。教官殿曰く、“部隊の何とかを示すのだ”とか云々…。しかし、その日の旗手係はなんと昼食時に旗を食堂前に指したまま忘れ、昼休憩に行ってしまったのである。

午後、訓練に向かうため全員が整列をする段になって“区隊旗がない!”と気付いたそうだ。

食堂まで探しに行くも、既にそこにはなく、当然旗をなくしたとなれば大事になる事は間違いない。同期全員で頭を抱えていても仕方ないため一先ず訓練開始場所まで向かう。新隊員全員が暗い空気を纏っている中、対照的に教官殿は揃って皆笑っていた。決して怒ったりはしていなかったのだが、あれは正しく“天使のような悪魔の笑顔”だろう。


連帯責任の言葉を頭ではなく身体で覚えた頃、漸く解放された。皆揃って全身汗だくなのだが、旗手係の彼だけは目から汗を流していた。どうしてか?

彼は自身の責任を主張していたのだが教官殿は、同期なのに気付なかった不手際を咎め、旗手係を除いた私たちによる反省会(という名の筋トレ)を所望されたからだった。自身のミスで同期が苦しんでしまう事となった彼はもしかしたらトラウマが残ったかもしれない。それくらい酷な反省会だった。


反省会を終えた我々に教官殿の1人から提案が入った。“区隊旗の『重さ』を理解するために、物理的に重くする事にした”だそうだハッキリいってバカだろう。これだけ反省会をしたのだ、もう充分である。とはいえ相手は教官殿だ。“はい”以外の返答が採用される事はなく、こうして金属製の区隊旗へと変わってしまったという訳である。


“ヒィイイイイ…ウウゥフウゥヴヴン”

息を吸うのも吐くのも苦しくて、真っ当な状態なら出せない様な音をさせながら走り続け、漸く戦訓場へと到着する。

息を整えながら杭を地面に突き刺し、旗を立てる。

雑のうを整頓して置き、整列すると教官殿が前に出てきた。今日の訓練が始まる。


現在行なっている訓練は匍匐前進だ。匍匐前進は第1~第5匍匐まであり、イメージしやすく説明するならば、第1はしゃがんだ状態、第5はうつ伏せで行なう匍匐前進である。敵に接近していく際、第1匍匐から始め、敵の近距離まできたら第5匍匐でゆっくりと更に距離を縮める、といった流れで行なうそうだ。

ただし、今の時代ではこれはあくまで昔の名残りとしてやっている面が大きく、使う場面がないとは限らないが、使わない場面も多く、シュールな光景と相まって若干ネタとなっている課目である。


班ごと、順に匍匐前進の訓練をし、私の班の番が回ってくる。順番を待つ最中、班員が教官殿の目を盗んである勝負を持ちかけてきた。“誰が1番遅くゴールするか。遅い者は売店のアイスを奢る”という内容である。

まだ5月ではあるが連日暑い日が続いている。ここは勝負所だと考えた私もその勝負に乗る事にした。7人もいる(1話時から1名辞めた)ため、負けた場合の被害は大きいが買った時の事を考えればとても魅力的だ。

買わせるアイスに指定はなかった。つまり、ハーゲンダッツのアソートパックも対象なのだ。勝負しない手はない。


ハーゲンダッツに想いを馳せると俄然やる気が出てくる。第1匍匐の号令がかかるや、“ホントにそれ匍匐か?”という声を無視して開幕からスタートダッシュを決める。左右にチラリと目をやると、似たような事を考えていたのか、私含め4人が大きなリードを作っていた。後ろから怨嗟の声が聞こえる気もするが、重要なのは結果である。続けて第2~第4匍匐の号令が飛ぶ。序盤のリードを守ったまま最後の第5匍匐へと入る。後はこのまま逃げ切るだけだーー。



19:00を少し過ぎた頃。私は、色とりどりのアイスをカゴに入れ売店のレジで会計していた。会計が終わったと同時、売店の外で待っていた班員たちが、それぞれ自身の選んだアイスを私のもつエコバッグから取り出し、お礼の言葉を口にする。


“ゴチ!”


入浴を終え、火照った身体に冷房が気持ちよく感じる。売店の冷房は強力なようで、身体だけでなく、財布まで冷えてしまったがこれも仕方ないことだろう。給料日まであと数日だ。この後に同様の勝負があったとして、全て勝てば良いだけである。

結局あの後、班員達の凄まじい追い上げにより敗北を喫してしまったのだった。奇声をあげながら匍匐をする様は、見学していた他班の同期から“ハイ這い”と名付けられた。教官殿らはフザケているのかと大変ご立腹だったが、勢いでなんとかゴマかす事ができた。代償として、ハイ這いを教育終了まで続けなくてならなくなったが、大事なのは今だ。未来の事は未来の自身に任せるとしよう。

作品内の環境は当時の物であり、現在とは違います。

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