敵が出たので構えたら、全員が静かになった
「ねえ、なんかちょっと……平和すぎない?」
「旅に出た初日で“刺激が足りない”ってどうかしてるわよ、勇者」
パーティー全員で村を発って半日。
田舎道をのんびり歩きながら、私はふと愚痴をこぼした。
魔王討伐の旅って、もっとこう、ドラマチックな展開があると思ってたんだけど……今のところ、青空と鳥のさえずりが一番派手だ。
「……いや、まあ。ゆるい方がいいんだけどね。うん」
「どっちだよ」
フェリスがため息交じりに返す。
その横でベルドが荷物を背負ってふんふん鼻歌を歌ってるのが、妙に腹立つ。
そして。
私の斜め後ろ──ほんの少しだけ距離を取って歩いてる男、玖条刃真は、ずっと無言だ。
それも、“考え込んでる”とか“不機嫌”とかじゃない。
ただ、空気のように沈黙している。
歩く音だけが静かに響いて、ふと見ると、ちゃんと“全方位に注意”を払ってるのがわかる。
……まじめすぎる。
なんかもう、息してるだけで緊張感あるっていうか、
この人の後ろ歩くと背筋伸びるんだけど!
「ねぇユノ、はざまってさ……普段は何考えてるんだと思う?」
「え? あの……今晩のおかず、とか……?」
「ないないない。絶対“敵がこの丘に布陣していたら”とか考えてるからあの顔」
そんな冗談を言っていた、ほんの数分後だった。
「止まれ」
刃真の声が、鋭く空気を裂いた。
ピタリ、と全員が足を止める。
誰も「え?」とは言わない。
刃真の“止まれ”は、冗談で済まされる空気じゃないって、みんなもうわかってた。
彼は一歩だけ前へ出る。
そして──構えた。
音が、消えた。
本当に、風の音さえ止まったように感じた。
「敵は、森の影。三体。先遣の魔族だ」
低く、はっきりとした声で彼が告げる。
「動きは散開。索敵と陽動の連携。──戦術の“型”を知っている」
フェリスが小さく舌を打つ。
「やな予感がするわね。魔族の軍属っぽい」
「数は少ねぇけど、あれは斥候じゃなくて“襲撃班”だな」
ベルドが盾を構える。
私は剣を抜き、仲間に視線を配る。
それでも、どうしても……気になって、彼を見てしまった。
玖条刃真。
彼は、剣を構えたまま──もう動いていない。
ほんの一瞬前まで、敵が動いていた。
けど今、敵も動けていない。
まるで“見られている”だけで、殺されるような感覚。
息をすれば斬られる。そんな錯覚すらあった。
フェリスが、ぽつりと呟いた。
「……また始まったわね。構えた時の“あの空気”」
ユノがそっと胸元で祈る仕草をした。
ベルドが呟く。
「構えられた敵は、もう戦ってねぇ。あれは“逃げようとしておびえている顔だ」
“構え3時間”──とか冗談にしてたけど、今はわかる。
この人が構えたら、戦場が静かになるんだ。
誰も、音を立てようとしなくなる。
それくらい、“斬られる”ってことを、全部の命が本能で悟ってる。
そしてその中で、ただ一人──刃真だけが、静かに目を閉じた。
まるで、“最適の瞬間”が訪れるのを、世界そのものから待ち受けているように。
──魔族視点。
黒い甲冑をまとった三体の魔族は、森の影に隠れながら相手の動きを探っていた。
「人間が五人……ただの旅人じゃねぇな。装備が違う」
「中央の女、あれが“勇者”か?」
「どうする? 数はこっちが劣るが──」
そのとき。
一歩、地面を踏みしめる音がした。
一人の剣士が、こちらに向けて構えていた。
斜めの体勢、右足を引き、左肩をわずかに前に出す。
刀身はほとんど見えず、ただ静かに、空を切る“気配”があった。
「……動くな」
思わず、仲間に言った。
「なぜだ」
「見ろ。アイツの“構え”……あれは、振るぞ。次の瞬間に」
「だから何だ、三体で一斉に──」
「違う、“振らせるな”だ」
だが、もう遅かった。
刹那──
空気が裂けた。
シュン──ッ
ほんの一音、風が跳ねたかのような音。
それだけだった。
「……あ、れ……?」
一体の魔族が、自分の首に手を当てる。
その瞬間、ずるりと崩れた。
もう一体は、腹部から真っ二つに割れていた。
その顔には“理解が追いついていない”という絶望が残る。
最後の一体だけが、構えられる前に“逃げの体勢”に移っていた。
だが、足が震えて動けなかった。
(違う。こいつは、強いとかそういう次元じゃねぇ……)
(“一撃で終わらせる”覚悟が、何もかも超えてやがる……!)
バサリ、と音を立てて刃真が納刀した。
その瞬間、時間が動き出した。
勇者パーティーの全員が、言葉を失っていた。
「え、ちょっと待って、今のって──」
「終わった。あれで全部」
刃真が静かに言う。
剣は鞘に収まり、彼はふたたび沈黙の人になっていた。
フェリスが冷や汗をぬぐいながらぼそっと言う。
「……使いにくっ……!」
「一撃外したら死のうとする縛りのせいで、こっちが胃をやられるのよ……!」
「わかる。プレッシャーの質が違う」
ベルドがうんうん頷く。
「でも、倒せるんですよね」
ユノが柔らかく微笑んだ。
「はざまさんが、一撃で終わらせてくれるって信じられるから……私は、怖くないです」
全員が黙る。
ユノ、強ぇな……心臓の話ね。
私は、ふと思った。
こいつの戦い方って、なんていうか──
誰よりも“仲間の信頼”に依存してる。
“次は任せろ”ができない。
“カバーしてくれ”も言えない。
“一撃で終わらせるから、その覚悟で支えてくれ”っていう、究極の信頼。
「……やっぱ、ちょっと怖いけどさ。悪くないね、はざま」
私がそう言うと、彼はほんの少しだけうなずいた。
「俺も、悪くないと思ってる」
その声には、不思議とあたたかさがあった。
……まじで一振りしか斬らない剣士、
旅してみたら、案外悪くないのかもしれない。