斬らない剣士と、出会ってしまった
あの人、ずっと構えてるんですけど。
もう三時間くらい。
「……ねえフェリス、見えてる? あの人。剣、抜いたまま動いてないんだけど」
「視力検査じゃないんだから当然見えてるわよ。あれはたぶん……なんかの儀式?」
「相手、スライム一匹だよ?」
私たちは今、辺境の小さな村に滞在中だ。
王都からの旅の途中、補給と魔物退治を兼ねて立ち寄っただけ。
スライム程度の魔物が近くの丘に湧いたと聞いて、様子を見に来たんだけど──
まさか、先客がいるとは思わなかった。
そしてその先客が、“一撃すら振らない剣士”だったとは。
「どう見ても、構えてるよね……?」
「構えてるというか……止まってる。気配も殺してるわ。完全に“斬る準備”だけしてる」
「でもまだ斬ってないんだよね?」
「うん」
スライムは一匹。ぬるっとした身体を揺らして、剣士の足元を這うように回っている。
たぶん警戒してるんだと思う。なんとなくわかる。
“こいつ、ヤバい”って、魔物ですら本能で察知してるんだ。
けどさ。
村人がだんだん集まってきて、「あの人また始めたよ……」みたいな顔をしてるの、なんなの。
「……あれが“また”ってどういうことですか?」
私は村人のひとりに聞いてみた。
「ああ、あの剣士さん? 毎回そうなんですわ」
「魔物が出ると、ああして構えて……でも斬らんのです。ぴくりとも動かん」
「で、気配が消えると満足そうに帰る。で、村で畑耕したり薪割ったりしてる」
「よくわからんけど、害はないですなぁ……たぶん」
なにそれ、怖。
というか逆に気になる。
この辺境にしては、剣の気配が異常すぎる。
構えただけで魔物を近づけないって、尋常じゃない。
──それはたぶん、私だけじゃない。
さっきから、後ろにいるベルド(盾役)もユノ(神官)も、誰も喋ってない。
無言で、あの男の構えを見ている。
……そして、息をのんでいる。
ピシ、と空気が張り詰めた。
スライムが、ゆっくりと体を起こした。
あの男が、静かに左足を半歩引いた。
次の瞬間──
空が、切れた。
スライムは、爆ぜる音もなく霧散していた。
斬られたことに気づかないまま、塵になったみたいに。
あたりに吹いた風だけが、その剣が確かに振るわれたことを伝えていた。
そして──
「……終わった」
男は、何事もなかったように剣を納め、踵を返す。
まるで、それが最初から決まっていた自然の流れだったかのように。
私は、思わず口を開いた。
「……あの、ちょっと。あなた……一体、何者?」
男は少しだけ足を止め、私の方を振り向いた。
その目に、怯えも迷いもなかった。
ただ一つ、確かなことだけを告げる。
「俺は──“一戦につき、一撃しか剣を振らない者”だ」
そう言って、また歩き出した。
背中から感じるのは、どこか孤独で、どこか切実な“死の匂い”。
私、変なのに出会っちゃったかも。
でも──ちょっと、気になる。