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第4話 幻の滝

「幻の滝」

 その滝が現れるのは、雨の降った翌日だけだという。


 石塚がそう言って僕の家を訪れたのは、梅雨明け前の、湿った風が吹く昼過ぎのことだった。


「なあ、幻の滝って知ってるか?」


 そう切り出した石塚の目は、どこか浮き足立っていた。


「名前は聞いたことあるけど、場所までは……」


「昨日、かなり雨降ったろ? 今日なら出てるはずなんだよ。見に行こうぜ!」


 その後すぐ、芳賀も合流し、僕ら三人は石塚の車で山道へと向かった。


 目的地は、地図にも載っていないような山奥の沢。アスファルトが途切れた先の獣道を進み、車を降りてからはさらに30分の登山道。濡れた地面はぬかるみ、滑りやすく、時折吹き込む風が枝葉を揺らすたび、背中に冷たいものが走る。


 だが、その先に現れた景色は、まさに幻想だった。


 木々の間から降り注ぐ日差しが霧に溶け、滝は静かに流れ落ちていた。白い絹のような水流が岩肌を滑り、まるで別世界に迷い込んだかのような神秘性を帯びていた。


 ただ、一つだけ、異様なものがあった。


 滝つぼの周囲に、黄色と黒の立ち入り禁止テープがぐるりと張り巡らされていたのだ。


「え? なんだこれ……」


 石塚が呟きながら、テープをまたごうとする。


 僕と芳賀はすぐに彼の腕をつかんだ。


「やめろ。これ、何かあるぞ」


「危ないって……この前のこと、忘れたのか?」


 僕の言葉に、石塚の表情が引き締まった。


 そう──つい三ヶ月前、彼は心霊スポットで黒い影に囲まれた後、交通事故を起こしている。あの時も、何か得体の知れない“存在”がいた。


「……なあ、今も何かいるのか?」


 石塚が不安げに訊いてきた。


 僕は目を細め、滝の奥を見つめる。


 そこに“気配”があった。言葉では説明できない。視界の端にかすかに見えるような、けれど直視できない、力強く、神聖とも邪悪ともつかない“何か”。


「水神……みたいな存在かもしれない」


 僕は小さく呟いた。


「姿は見えないけど、確かにいる。あの立ち入り禁止の向こう側──あそこがあいつの“テリトリー”なんだと思う。入ったら、きっと……祟られる」


 石塚はしばらく沈黙していたが、やがて大きく息を吐き、渋々頷いた。


「……だよな。やめとくわ。また何かあったら、洒落になんねぇ」


 こうして僕らは立ち入り禁止の境界線を越えることなく、しばらく滝を眺めて帰路についた。水の音はあくまで穏やかで、何事もなかったかのように、ただ山にこだましていた。


 ──それから、三ヶ月が経った。


 ある日、石塚が血相を変えて僕の家へ駆け込んできた。


「おい、あの滝……ニュースに出てた。人が、死んだってよ!」


 石塚はスマホを差し出し、ネットニュースの画面を見せた。


 《若者4人が沢登り中、滝つぼで遊泳して水難事故──3人死亡、1人重体》


 日付は昨日。場所は、あの“幻の滝”。


「……入ったんだな。テープ、無視して」


 僕は思わず呟いた。


「おい、あそこって、俺ら行った場所だよな? 滝つぼの奥、なんかいたってお前……」


「そうだ。あそこには、あれがいる」


 言いながら、背中にあの時と同じ寒気が走る。


 芳賀も、やって来ていた。彼はニュースを見て、小さくため息をついた。


「……だから言ったじゃん。あそこで泳いでたら、今ごろ石塚、ここにいなかったかもな」


 誰も笑わなかった。


 ただ、あの滝の奥にいた“存在”の気配が、今でもはっきりと思い出せるのだ。


 見えてはいなかった。だが、確かに感じた。風ではない重さ。水音に混じるかすかな囁き。背中をひっかくような冷たい視線。


 もし、あのとき少しでも気を抜いてテープを越えていたら、あのニュースに載っていたのは僕ら三人だったかもしれない。


 その後、滝には二重にテープが張られ、立ち入り禁止の看板も増えたらしい。


 けれど、人はまた近づくだろう。


 “幻の滝”──その美しさに惹かれて。


 だが僕は、決して行かない。あそこには、何かが棲んでいる。人間の世界に踏み込まれたくない、“別の存在”が。


 だから、あなたも──どうか覚えていてほしい。


 滝つぼの向こうは、見るだけで十分だ。泳いではいけない。近づいてはならない。


 そうでなければ──きっと、帰れなくなる。

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