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第1話 あの有名な自殺の名所。日本三大名瀑の一つでの日常。

『繰り返す水音の下で』

「ここ、あの滝だよね……」


 助手席に座る友人が、曇りがかった窓越しに前方を見つめながら言った。私はハンドルを握りながら小さくうなずいた。


「うん、あの時、遠足で来た場所」


 車のフロントガラス越しに、木々の間から見え隠れする大きな岩肌。そこから、音を立てて流れ落ちる白い水の帯が姿を現した。昔から“あそこはヤバい”と噂されていた滝。──地元の人ですら近づきたがらない、名前を出すのもはばかられる“あの滝”。


「でも、あの頃は小学生だったし……ほとんど覚えてないなぁ」


 友人はそう言いながら、手にしたペットボトルの水を一口飲んだ。私は窓の外を見ながら、思い出していた。


 あの日のことを。


 滝の上に立つ、あの“人影”を──。


***


 小学校の遠足。バスで到着した観光施設の中にある、エレベーター付きの展望台。その下には、深く削られた谷底に向かって音を立てて流れ落ちる、大きな滝が見えるようになっていた。


「わー!すごーい!」


「写真撮ろう!」


 クラスメイトたちの歓声が響くなか、私は一人、滝の上部──岩場の端に立つ“何か”を見つけて、言葉を失っていた。


 それは……人だった。


 白い服。肩までの長い髪。腕をだらりと下げて、じっと滝壺を見つめている。誰も気づいていないその存在を、なぜか私は目で追っていた。


「ねえ……あれ……人、だよね……?」


 隣にいた友人に声をかけると、


「え?なに言ってんの?誰もいないじゃん」


 私だけが見えていた。皆の目には、誰も映っていなかった。


 そして次の瞬間、その人影は──音もなく、すっと身体を前に倒して、滝へと吸い込まれるように落ちていった。


「……っ!」


 叫びかけた声を飲み込み、私はただその場に立ち尽くすしかなかった。


 下を覗き込んでも、落ちたはずの場所には何もなかった。


 ──あれは何だったのか。誰だったのか。


 周囲に問いかけても、誰一人見ていないという。


 私だけが“見た”。


 私だけが“感じた”。


***


「着いた……か」


 車を停め、私はエンジンを切った。友人が気を引き締めるようにシートベルトを外す。


「……やっぱりさ、ちょっと怖いな。こういうところ」


「怖いのは、感じるからだよ」


「……は?」


「ここ、昔から“何か”がいるって、有名だから」


 冗談混じりに言ったが、声は少し震えていた。私自身、なぜまたここに来たのか分からなかった。ただ、ずっと、忘れられなかった。滝へ落ちた、あの“人影”を──。


 展望台に上がると、そこは変わらず、静かで美しい景色が広がっていた。だが、その美しさの下には、確かに“何か”がある。


「ねえ……あれ……見える?」


 ふと気配を感じて見上げると、滝の上部──また、立っていた。


 今度ははっきりと女性だとわかった。黒い長髪が風に揺れ、白いワンピースが水しぶきに濡れていた。顔は見えなかった。ただ、彼女は再び、谷底を見下ろしていた。


「また……だ」


 私は呟いた。友人が驚いて私を見る。


「なに?またって……え、いるの?人が?」


「……落ちる」


 その瞬間、彼女は身体を前に倒した。まるで意志があるかのように、ふわりと……でも、決定的に、もう戻れない場所へ。


 ドン、と胸が圧迫される感覚。


 そして。


 私の脳裏に、鮮やかな“彼女の記憶”が流れ込んできた。


 ――夜の電話。信じていた人の裏切り。失恋。孤独。家族との確執。誰にも言えず、誰にも頼れず、泣きながらこの滝へ来た。靴を脱いで、岩場に立って、誰にも気づかれず、ただ水の音を聞いていた。


 「どうして、私だけが──」


 最後の記憶は、空を見上げて微笑んだ瞬間。そこには、どこにも救いがなかった。


 彼女は、そのまま──落ちた。


 私は、無意識のうちに涙を流していた。重くて苦しくて、息ができなかった。


「……どうしたの?」


 友人が声をかけてきた。私は首を振って、笑おうとした。でも、口元は震え、声は出なかった。


「また、心霊……?」


「……違う。ただ……悲しい人がいた。それだけだよ」


 彼女の心は、滝の中に沈んでいた。誰にも救われず、誰にも看取られず、今日もまた同じ場所で“あの日”を繰り返している。


 彼女はきっと、今も滝の上に立っている。


 そして、落ちている。


 水音に紛れて、誰にも気づかれずに。


***


 車に戻ると、私は振り返らずにエンジンをかけた。助手席の友人が、しんとした沈黙に耐えかねたように言った。


「……死んだら、終わりだよね」


 私はその言葉を噛みしめて、答える。


「……いいや。死んでからが、始まりなんだよ」


 その証拠に、彼女は今日もまだ、あの滝の上にいる。


 永遠に終わらない“最後の一日”を繰り返しながら。


 ――ざああ、と。


 滝の水音が、耳の奥で鳴り響いていた。



【あとがき】

 さりげなく憑りつかれると、抜くのが大変なので、そんな方は、眼鏡越しで滝を眺めると良いかもしれません。また体調が悪い時や、気分が落ち込んでいるときは、行くことをおすすめしませんが、どうしても行かなければならない時には、周辺にあるお店で美味しいものを食べて、ニコニコ笑顔になってから行くことをおすすめします。

 個人的には、昔よりもお店の食べ物の値段が上がったことの方が、恐怖です――ちなみに、展望台から見る以外の心霊スポットとは、あっ、そこは本当に危ないので内緒にしますね。

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