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NO9:炊事班、恋を煮る


── 鍋の中で煮えるのはシチューだけじゃない。


 「おい、水野! 玉ねぎはもっと細かく切るんだ! シチューで玉ねぎの塊をゴロゴロさせる奴がいるか!」


 声の主は、我らが炊事班の班長、剛田剛。名前の通り、体格も声もでかい。

 今日も今日とて、新兵の水野を怒鳴り散らしている。


 「す、すみません、班長!」


 水野はしゅんとして、震える手でさらに玉ねぎを刻む。炊事班に配属されて三ヶ月。

 未だに剛田班長の鬼指導に慣れない水野は、毎日胃をキリキリさせていた。


 そんな二人の様子を、慣れた手つきで人参を面取りしながら見ているのは、炊事班の紅一点、佐藤美咲だ。


 すらりと伸びた指先、きゅっと結ばれた口元。無駄のない動きで野菜を捌く彼女は、まさに炊事班の「華」だった。


 「班長、水野君も頑張ってますから、そんなに怒鳴らなくても……」


 美咲が口を挟むと、剛田はぴたりと動きを止めた。


 「む、美咲。お前は優しいなぁ。だが、料理は真心だ。真心がこもってなきゃ、食う奴がかわいそうだろうが!」


 剛田の声が少しだけトーンダウンしたことに、水野は内心ホッと息をつく。

 剛田班長は美咲にはめっぽう弱いのだ。


 「真心、ですか……」


 美咲はふっと微笑んだ。


 「そうですね。私も、美味しい料理を作りたいです」


 その笑顔に、剛田はなぜか顔を赤らめた。いつも威勢のいい剛田だが、美咲の笑顔にはどうも勝てないらしい。


 その日の夕食は、温かいビーフシチューだった。とろりとしたルゥに、柔らかく煮込まれた牛肉と野菜。

 訓練で冷え切った隊員たちの体が、一口食べるごとに温まっていく。


 「うっめぇ! 炊事班、今日も最高だぜ!」


 食堂に響く隊員たちの声に、炊事班の面々は安堵の息を漏らす。

 中でも水野は、自分の切った玉ねぎがちゃんと煮溶けていることに、密かに達成感を覚えていた。


 「水野、お前も少しはまともになってきたな」


 剛田が、珍しく水野の肩をポンと叩いた。水野は顔を輝かせる。


 「ありがとうございます、班長! 美咲先輩のおかげです!」


 美咲はくすりと笑った。


 「私が何かしたわけじゃないわ。水野君が頑張ったのよ」


 それから数週間後、次の献立はクリームシチューだった。


 「よし、今日は美咲と水野でホワイトソースを作ってもらう。俺がしっかり見てるからな」


 剛田はいつになく真剣な表情で指示を出す。ホワイトソースは、炊事班の中でも特に腕が問われる料理だ。

 焦げ付きやすいし、ダマになりやすい。


 「はい!」


 美咲と水野は、緊張しながらも大きな寸胴鍋に向かい合った。

 まずはバターを溶かし、小麦粉を加えて炒める。


 「水野君、もう少し火を弱めて。焦げ付いちゃう」


 美咲が優しく指示する。


 「あ、すみません!」


 水野は慌てて火加減を調整する。隣で美咲が木べらを動かすたびに、ほんのりと甘い香りが水野の鼻をくすぐる。


 「牛乳は少しずつね。一気に入れるとダマになるから」


 美咲が丁寧に牛乳を注ぎ入れ、水野がゆっくりと混ぜる。

 湯気で少し上気した美咲の頬が、なんだかいつもより近く感じた。


 「美咲、そこだ! その調子でしっかり混ぜろ!」


 剛田が後ろから声をかけるが、水野の耳にはほとんど入っていなかった。

 ただ、目の前の美咲と、一緒に作っているホワイトソースのことしか考えられない。


 その日の夕食も大好評だった。クリーミーで濃厚なホワイトソースに、隊員たちは次々とおかわりを求めた。


 「水野、お前、ホワイトソース作るの結構上手いじゃないか」


 剛田がニヤリと笑った。


 「え、あ、はい。美咲先輩が教えてくださったおかげで……」


 水野は顔を赤らめる。





 「ふむ。美咲は教えるのも上手いってことか。なるほどな」


 剛田はなぜか腕を組み、納得したように頷いた。その目線の先には、美咲と話している水野の姿があった。


 数ヶ月が経った。水野はすっかり炊事班のエースとなり、剛田からの怒鳴り声もめっきり減った。今では、美咲と二人でレシピを考案したり、新しい料理に挑戦したりすることも増えた。


 ある日の午後、献立会議の後のことだった。


 「水野君、来月の隊長さんの誕生日、何か特別なもの作ってみない?」


 美咲が水野に提案した。


 「え、特別なものですか? 例えば?」


 水野の心臓が少しだけ跳ねた。美咲と二人きりで、特別な料理を作る。

 想像しただけで胸が高鳴る。


 「うーん、そうね……。隊長さん、甘いものがお好きだから、ケーキとかはどうかな?」


 「ケーキ! いいですね! でも、僕、ケーキなんて作ったことないですよ」


 「大丈夫。私もそんなに得意じゃないけど、二人で協力すればきっとできるわ」


 美咲はにっこりと笑った。その笑顔に、水野はドキリとした。


 それから毎日、水野と美咲は、休憩時間になると食堂の隅でケーキのレシピ本を広げた。

 どんな材料を使うか、どんなデコレーションにするか。二人で顔を寄せ合い、楽しそうに話し合った。


 剛田は、そんな二人の様子を少し離れた場所から、目を細めて見ていた。


 「班長、なんだか最近、水野と美咲が妙に仲良くないですか?」


 隣で野菜を刻んでいた別の隊員が、剛田に声をかけた。


 「ああ? 何言ってんだ。炊事班の仲間なんだから、仲良いに決まってるだろ」


 剛田はぶっきらぼうに答えるが、その表情にはどこか複雑なものが混じっていた。


 隊長さんの誕生日当日。炊事班は朝から大忙しだった。メインディッシュの準備に追われる中、水野と美咲は別室で、内緒でケーキ作りに取り掛かっていた。


 「水野君、泡立て器のスピード、もうちょっと上げて!」


 「はい!」


 水野は必死に卵白を泡立てる。白い泡が、だんだんと角が立つメレンゲになっていく。


 美咲はボウルの中で溶かしたチョコレートを混ぜながら、真剣な眼差しで水野の手元を見つめている。


 「すごい、こんなにツヤツヤになるんですね!」


 水野が感動の声を上げると、美咲はふわりと笑った。


 「うん。ケーキ作りは、科学と愛情の結晶よ」


 そうして完成したケーキは、チョコレートのスポンジに、生クリームとフルーツで美しくデコレーションされた、まさにプロ顔負けの逸品だった。


 夜。食堂で、隊長さんの誕生日パーティーが開かれた。隊長さんがケーキの箱を開けると、中から現れた美しいケーキに、隊員たちから一斉に歓声が上がった。


 「これはすごい! 誰が作ったんだ?」


 隊長が驚いたように声を出すと、剛田が胸を張った。


 「水野と美咲が、隊長のために心を込めて作りました!」


 隊長は満面の笑みで水野と美咲に拍手を送った。隊員たちもそれに続く。

 美咲は嬉しそうに微笑み、水野は照れくさそうに頭をかいた。


 パーティーが終わり、片付けも一段落ついた頃。水野は美咲に声をかけた。


 「美咲先輩、あの……」


 「なあ、水野!」


 水野が言葉を発するよりも早く、剛田が二人の間に割って入った。


 「お、班長……どうしたんですか?」


 水野は少しイラつきながら尋ねた。せっかく美咲と二人きりになれたと思ったのに。


 「お前ら、よくやったな! まったく、心配させやがって」


 剛田はそう言うと、美咲と水野の肩を、ごつごつした手で力強く掴んだ。


 「お前らがケーキ作ってる間、俺は気が気じゃなかったんだぞ! 火加減は大丈夫か、ダマにならないか、焦がさないか……。まるで自分のことのように心配で、心臓が口から飛び出しそうだった!」


 剛田はそう言って、大げさに自分の胸を叩いた。美咲と水野は顔を見合わせ、思わず吹き出した。


 「班長、私たちが作ったんですよ? 心配しすぎです」


 美咲が笑いながら言った。


 「そうだぞ、班長! でも、班長も喜んでくれて嬉しいです」


 水野も続いた。


 剛田は二人の笑顔を見て、ふっと目元を緩めた。


 「ったく、お前らは本当に……」


 剛田はそれ以上何も言わず、美咲と水野の肩をポンと叩くと、背を向けて歩き出した。

 水野は剛田の広い背中を見送った後、美咲に視線を戻した。


 「あの、美咲先輩……」


 「なあ、水野!」


 再び、剛田の声が響いた。水野は思わず「またかよ!」と心の中で叫んだ。


 「お前ら、早く片付け終わらせて、休めよ! 明日も早いんだぞ!」


 剛田は振り返りもせずにそう言い放ち、そのまま食堂の出口へと向かっていった。

 水野は呆れてため息をついた。美咲は、そんな水野の様子に、くすくすと笑っている。


 「班長、なんだかんだ言って、私たちのこと、心配してくれてるんですよね」


 美咲が優しく言った。


 「ええ、まあ……そうですね」


 水野は美咲の横顔を見つめた。今日一日、美咲と一緒にケーキを作ったこと。

 彼女の真剣な表情も、優しい笑顔も、全てが愛おしい。


 「美咲先輩」


 水野は意を決して、もう一度、美咲の名前を呼んだ。美咲が水野の方を振り向く。

 その時、水野の脳裏に、シチューの鍋が思い浮かんだ。とろりとしたホワイトソース。温かい湯気。まるで、自分と美咲の関係のようだと思った。


 ゆっくりと、でも確実に、二人の中で何かが育っている。


 「……あの、もしよかったら、今度、二人で街に美味しいケーキ、食べに行きませんか?」


 水野は、精一杯の勇気を振り絞って言った。顔が熱くなるのを感じる。

 美咲は一瞬、きょとんとした顔をした後、ふわりと花が咲くような笑顔を見せた。


 「ええ、いいわね! ぜひ行きましょう!」


 美咲の言葉に、水野の心臓は高鳴りを抑えきれなかった。


 炊事班の厨房には、まだ片付けの終わらない鍋がいくつか残っていた。





 鍋の中で煮えるのは、もうシチューだけじゃない。甘く、温かい、二人の「恋」が、ゆっくりと、しかし確実に、煮詰まっていた。


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