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NO7:焼け跡ラタトゥイユ


 焦げ臭い匂いは、いつまで経っても鼻腔にこびりついて離れない。

 いや、正確には、この匂いが消えてしまったら、すべてが終わってしまったような気がして、私が無意識のうちに嗅ぎ続けているのかもしれない。


 瓦礫と化した商店街の、かろうじて原型を留めている柱にもたれかかり、私は呆然と空を見上げていた。鉛色の空には、先週の空襲で撒き散らされた煤が、まだら模様のようになって漂っている。


 「母さん……」


 掠れた声が、風に攫われた。母は、あの夜、私を庇って瓦礫の下敷きになった。

 私が目を覚ました時には、もう、微動だにしなかった。必死に呼びかけた声は、誰にも届かなかった。

 助けを求めるように伸ばした手は、空を掻いただけだった。


 あの日から、もう数日。私は、焼け残った家々の隙間を縫って、食料を探して回っている。

 奇跡的に残っていた地下室の貯蔵庫から、泥だらけのジャガイモを見つけたり、焼け焦げた畑の片隅で、かろうじて生き残っていたトマトを見つけたり。


 今日の収穫は、小さなナスが二つと、半分焼け焦げたパプリカが一つ、そして、かろうじて土の中に埋まっていたタマネギが一つ。


 どれもこれも、戦前の豊かな食卓からは想像もつかないような、貧相な野菜たちだ。


 「これじゃあ、まともなものは作れないわね」


 独りごちた時、ふと、母の言葉を思い出した。


 「どんな時でも、美味しいものを食べることは、生きる希望になるんだよ」


 母は、料理上手だった。特に、夏になるとよく作ってくれたラタトゥイユは、私の大好物だった。

 色とりどりの野菜が、トマトの酸味とハーブの香りで一つになり、


 食欲をそそる匂いが台所いっぱいに広がったものだ。

私は、手元の野菜たちをもう一度見つめた。ナス、パプリカ、タマネギ。

 これだけでは、とてもラタトゥイユにはならない。いや、そもそも、ラタトゥイユを作るための鍋も、油も、塩も、何もかもが、もう残っていない。


 それでも、私は諦めたくなかった。母の言葉を、今、この手で、形にしたかった。

 私は、瓦礫の中から、かろうじて使えるブリキの鍋と、焦げ付いた柄の短いフライパンを見つけ出した。


 油の代わりに、たまたま見つけた古い缶詰の底に残っていた、凝り固まった油を少しだけ削り取る。

 塩は、焦げ付いた土壁から剥がれ落ちた、白い粉のようなものを集めてみた。


 使えるかどうかはわからないけれど、それでも、何もしないよりはましだ。


 私は、見つけた野菜たちを、丁寧に洗った。タマネギは、焦げ付いた外皮を剥がすと、小さくも瑞々しい白い身が現れた。


 ナスとパプリカも、焦げた部分を切り落とすと、鮮やかな色が顔を出す。

瓦礫を集めて作ったかまどに、小枝をくべて火を起こす。煙が目に染みるが、私は気にせず、鍋を火にかける。

 凝り固まった油が、ジュワッと音を立てて溶け始めた。


まずはタマネギから。細かく刻んだタマネギを鍋に入れると、甘く香ばしい匂いが、あたりに漂い始めた。


 次にナス、パプリカ。焦げ付かないように、慎重に混ぜながら炒める。

 野菜から水分が出てきて、鍋の中でグツグツと音を立てる。

 トマトがない代わりに、私は、焼け残った隣家の庭から見つけ出した、熟れすぎた柿を一つ、潰して加えてみた。


 甘みが強いが、少しでもトマトの代わりになればと。そして、最後に、集めた白い粉を少しだけ加える。塩ではないかもしれない。


 それでも、私の精一杯だった。


 煮込むこと、しばらく。水気は少ないが、野菜たちはしんなりと柔らかくなり、色が混ざり合って、なんとも言えない深い色合いになった。


 嗅いでみると、タマネギの甘い香りと、パプリカの独特の香りが混ざり合い、ほんのりと柿の甘さが加わっている。


 「焼け跡ラタトゥイユ……」


 私は、思わず呟いた。あの頃のラタトゥイユとは、似ても似つかない。

 でも、これは、今、私が作れる精一杯の、希望の料理だ。


 私は、熱気を帯びた鍋をかまどから下ろし、焦げ付いたフライパンに残った焦げ付きを、必死にこそぎ落とす。


 皿代わりになるようなものは見つからなかったから、直接、フライパンから食べるしかない。


 熱々のラタトゥイユを口に運ぶ。甘い。そして、少しだけしょっぱい。

 タマネギの甘みと、柿の甘み。そして、得体の知れない白い粉の、かすかな塩味。

 野菜の味が、ぎゅっと凝縮されていて、噛むたびにじんわりと温かさが広がる。


 母のラタトゥイユとは全く違う。でも、この味は、確かに、私を勇気づけてくれた。


 その夜、私は、焼け跡の真ん中で、一人、ラタトゥイユを食べ続けた。


 一口食べるごとに、母の笑顔が脳裏に浮かび、明日への希望が、胸の奥から静かに湧き上がってくるのを感じた。

 この焼け跡で、私は一人じゃない。母が残してくれた想いが、このラタトゥイユの味となって、私の中に生き続けている。


 私は、明日も、明後日も、生きていく。たとえどんなに辛くても、この焼け跡から、また立ち上がって、未来へと歩き出す。


 


 この焼け跡ラタトゥイユが、私の、そして、いつか再建されるこの街の、希望の味となるように。


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