表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/60

NO60:終戦BBQ


 焼け焦げた鉄骨が、夏の終わりを告げる夕焼けに不気味な影を落としていた。

 昭和20年8月16日、東京。昨日の玉音放送から一夜明け、街にはまだ混乱と、しかし確かな「終わり」の匂いが充満していた。


 「おい、良太!その木切れ、まだ使えるだろ!」


 ガラガラ声が響く。

 声の主は、かつては腕利きの板前だったが、今では片足を引きずる中年の男、健造だ。


 良太は焦げた材木の中から使えそうな薪を探し出し、健造の元へ運ぶ。

 健造は、焼け残ったドラム缶を加工して作った即席のBBQグリルに、火をおこそうとしていた。


 「健造さん、本当にやるんすか?こんな時に…」


 良太がためらいがちに尋ねる。

 彼の顔には、まだ戦争の恐怖が刻まれているようだった。


 つい数日前まで、上空をB-29が飛び交い、いつ爆弾が落ちてくるかわからない日々だったのだ。


 健造は薪を組みながら、フンと鼻を鳴らした。


 「こんな時だからこそだ!終戦だぞ、良太!勝っても負けても、とにかく終わったんだ。腹が減ってるのは、勝者も敗者も同じだろ?」


 そこへ、別の声が加わった。


 「健造さんの言う通りだよ、良太くん。生き残ったんだから、まずは腹ごしらえだ!」


 振り返ると、そこには見慣れない男が立っていた。

 すらりとした体躯に、上質な背広は泥と埃で汚れているものの、その立ち姿には品があった。


 片手に下げた風呂敷包みからは、何やら香ばしい匂いが漂ってくる。


 「あんたは…?」


 健造が訝しげに男を見上げた。

 男はにこやかに笑った。


 「私は岡部。陸軍省に勤めていた者です。いや、勤めていた、ですね。今はただの、腹を空かせた男ですよ」


 良太は息を呑んだ。

 陸軍省。敗戦国の軍人だというのか。


 しかし、その顔には敵意も、ましてや諦念もなかった。

 ただ、健やかな空腹が滲んでいるだけだった。


 「その風呂敷、まさか…」


 健造が岡部の手元に視線をやる。

 岡部は包みを解いた。


 中から現れたのは、見事な霜降りの牛肉の塊だった。良太は目を丸くする。


 こんなご時世に、一体どこから。


 「…非常用にと、隠しておいたものです。もう、非常時も非常時、これ以上はないでしょう?皆で分かち合いませんか」


 岡部の言葉に、健造は一瞬言葉を失った。

 やがて、健造はニヤリと笑った。


 「いいぜ。だが、俺も負けちゃいられねぇな」

 

 健造は、どこからか取り出した布を広げた。   

 中には、土に埋めてあったのか、泥だらけのジャガイモと、かろうじて形を保った玉ねぎ、そして数本のニンジンが包まれていた。


 「俺はこれだ。焼け野原の最後の収穫ってやつだな」


 健造が自嘲気味に笑う。

 良太は健造と岡部を交互に見た。


 かつては敵味方、あるいは全く違う世界に生きていたはずの男たちが、今、一つの火を囲もうとしている。

 やがて、ドラム缶のグリルに火がおこり、ジュウジュウと肉が焼ける音が響き渡った。


 焼け焦げたアスファルトの上に、香ばしい匂いが立ち込める。


 「う、うまい…」


 良太が涙目で肉を頬張った。

 口の中に広がる肉の旨みは、彼の知るどんなご馳走よりも、深く心に染み渡った。


 「本当に、夢みたいだな…」


 岡部がしみじみと呟いた。


 「こんな日が来るなんて。負けた、というのに、こんなに清々しい気持ちになるなんて」


 健造は黙って肉をひっくり返す。


 「勝ったのさ、岡部さん。生き残ったんだから、俺たちの勝ちだ」


 その言葉に、岡部はハッとしたように健造を見た。

 そして、ゆっくりと頷いた。


 日が暮れ、空には星が瞬き始めた。

 爆撃の音も、空襲警報も、何も聞こえない。


 聞こえるのは、肉が焼ける音と、時折聞こえる人々の話し声だけだ。


 「なぁ、健造さん」


 良太がふと尋ねた。


 「これから、どうなるんすかね?」


 健造は遠い目をしながら、空を見上げた。


 「さあな。だがな、一つだけ確かなことがある」


 健造は良太と岡部を交互に見た。

 その瞳には、かつての職人としての確かな光が宿っていた。


 「俺たちは、この肉の味を、一生忘れない。そして、また美味いもんを食うために、生きていくんだ。それだけだ」


 岡部が静かに、そして力強く言った。


 「ええ。私も、そう思います」


 闇夜の中、三人の男たちは、ただひたすらに肉を食らい続けた。

 それは、戦争の終わりを祝う宴であり、生き残った者たちの誓いの儀式でもあった。


 勝者も敗者も関係なく、ただひたすらに、命を繋ぐための「食」に没頭する。


 そして、肉の塊がほとんどなくなり、火が燃え尽きようとする頃、良太は気づいた。

 彼らの周りには、いつの間にか十数人の人々が集まっていたのだ。


 皆、彼らと同じように、焼け野原を彷徨い、空腹を抱えた人々だ。


 「あの…少しばかりですが、残りを…」


 良太が肉の切れ端を差し出すと、彼らは遠慮がちに、しかし必死な顔でそれを受け取った。


 健造は静かにその光景を見ていた。


 そして、ぽつりと呟いた。


 「よし、次は芋だ。芋を焼くぞ」


 岡部が笑った。


 「ええ、そうですね。そして、いつかきっと、もっと美味いものを、皆で食べられる日が来ますよ」


 焼け野原に、再び肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上り、そして、かすかな希望の光が灯り始めた。


 終戦は、確かに「終わり」だった。

 しかし、それは同時に、新しい「始まり」でもあったのだ。


 


 生きるための、命のBBQは、まだ始まったばかりだった。




 物語を最後までお付き合いくださった読者の皆様へ、心からの感謝を申し上げます。


 登場人物たちが織りなす物語を書き進める中で、私自身も多くの喜びや感動を分かち合うことができました。

 彼らが皆様の心にも何かを残すことができたなら、これ以上の幸せはありません。


 この物語はここで幕を閉じますが、また新たな物語で皆様とお会いできることを願っております。


 本当にありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ