NO60:終戦BBQ
焼け焦げた鉄骨が、夏の終わりを告げる夕焼けに不気味な影を落としていた。
昭和20年8月16日、東京。昨日の玉音放送から一夜明け、街にはまだ混乱と、しかし確かな「終わり」の匂いが充満していた。
「おい、良太!その木切れ、まだ使えるだろ!」
ガラガラ声が響く。
声の主は、かつては腕利きの板前だったが、今では片足を引きずる中年の男、健造だ。
良太は焦げた材木の中から使えそうな薪を探し出し、健造の元へ運ぶ。
健造は、焼け残ったドラム缶を加工して作った即席のBBQグリルに、火をおこそうとしていた。
「健造さん、本当にやるんすか?こんな時に…」
良太がためらいがちに尋ねる。
彼の顔には、まだ戦争の恐怖が刻まれているようだった。
つい数日前まで、上空をB-29が飛び交い、いつ爆弾が落ちてくるかわからない日々だったのだ。
健造は薪を組みながら、フンと鼻を鳴らした。
「こんな時だからこそだ!終戦だぞ、良太!勝っても負けても、とにかく終わったんだ。腹が減ってるのは、勝者も敗者も同じだろ?」
そこへ、別の声が加わった。
「健造さんの言う通りだよ、良太くん。生き残ったんだから、まずは腹ごしらえだ!」
振り返ると、そこには見慣れない男が立っていた。
すらりとした体躯に、上質な背広は泥と埃で汚れているものの、その立ち姿には品があった。
片手に下げた風呂敷包みからは、何やら香ばしい匂いが漂ってくる。
「あんたは…?」
健造が訝しげに男を見上げた。
男はにこやかに笑った。
「私は岡部。陸軍省に勤めていた者です。いや、勤めていた、ですね。今はただの、腹を空かせた男ですよ」
良太は息を呑んだ。
陸軍省。敗戦国の軍人だというのか。
しかし、その顔には敵意も、ましてや諦念もなかった。
ただ、健やかな空腹が滲んでいるだけだった。
「その風呂敷、まさか…」
健造が岡部の手元に視線をやる。
岡部は包みを解いた。
中から現れたのは、見事な霜降りの牛肉の塊だった。良太は目を丸くする。
こんなご時世に、一体どこから。
「…非常用にと、隠しておいたものです。もう、非常時も非常時、これ以上はないでしょう?皆で分かち合いませんか」
岡部の言葉に、健造は一瞬言葉を失った。
やがて、健造はニヤリと笑った。
「いいぜ。だが、俺も負けちゃいられねぇな」
健造は、どこからか取り出した布を広げた。
中には、土に埋めてあったのか、泥だらけのジャガイモと、かろうじて形を保った玉ねぎ、そして数本のニンジンが包まれていた。
「俺はこれだ。焼け野原の最後の収穫ってやつだな」
健造が自嘲気味に笑う。
良太は健造と岡部を交互に見た。
かつては敵味方、あるいは全く違う世界に生きていたはずの男たちが、今、一つの火を囲もうとしている。
やがて、ドラム缶のグリルに火がおこり、ジュウジュウと肉が焼ける音が響き渡った。
焼け焦げたアスファルトの上に、香ばしい匂いが立ち込める。
「う、うまい…」
良太が涙目で肉を頬張った。
口の中に広がる肉の旨みは、彼の知るどんなご馳走よりも、深く心に染み渡った。
「本当に、夢みたいだな…」
岡部がしみじみと呟いた。
「こんな日が来るなんて。負けた、というのに、こんなに清々しい気持ちになるなんて」
健造は黙って肉をひっくり返す。
「勝ったのさ、岡部さん。生き残ったんだから、俺たちの勝ちだ」
その言葉に、岡部はハッとしたように健造を見た。
そして、ゆっくりと頷いた。
日が暮れ、空には星が瞬き始めた。
爆撃の音も、空襲警報も、何も聞こえない。
聞こえるのは、肉が焼ける音と、時折聞こえる人々の話し声だけだ。
「なぁ、健造さん」
良太がふと尋ねた。
「これから、どうなるんすかね?」
健造は遠い目をしながら、空を見上げた。
「さあな。だがな、一つだけ確かなことがある」
健造は良太と岡部を交互に見た。
その瞳には、かつての職人としての確かな光が宿っていた。
「俺たちは、この肉の味を、一生忘れない。そして、また美味いもんを食うために、生きていくんだ。それだけだ」
岡部が静かに、そして力強く言った。
「ええ。私も、そう思います」
闇夜の中、三人の男たちは、ただひたすらに肉を食らい続けた。
それは、戦争の終わりを祝う宴であり、生き残った者たちの誓いの儀式でもあった。
勝者も敗者も関係なく、ただひたすらに、命を繋ぐための「食」に没頭する。
そして、肉の塊がほとんどなくなり、火が燃え尽きようとする頃、良太は気づいた。
彼らの周りには、いつの間にか十数人の人々が集まっていたのだ。
皆、彼らと同じように、焼け野原を彷徨い、空腹を抱えた人々だ。
「あの…少しばかりですが、残りを…」
良太が肉の切れ端を差し出すと、彼らは遠慮がちに、しかし必死な顔でそれを受け取った。
健造は静かにその光景を見ていた。
そして、ぽつりと呟いた。
「よし、次は芋だ。芋を焼くぞ」
岡部が笑った。
「ええ、そうですね。そして、いつかきっと、もっと美味いものを、皆で食べられる日が来ますよ」
焼け野原に、再び肉の焼ける香ばしい匂いが立ち上り、そして、かすかな希望の光が灯り始めた。
終戦は、確かに「終わり」だった。
しかし、それは同時に、新しい「始まり」でもあったのだ。
生きるための、命のBBQは、まだ始まったばかりだった。
物語を最後までお付き合いくださった読者の皆様へ、心からの感謝を申し上げます。
登場人物たちが織りなす物語を書き進める中で、私自身も多くの喜びや感動を分かち合うことができました。
彼らが皆様の心にも何かを残すことができたなら、これ以上の幸せはありません。
この物語はここで幕を閉じますが、また新たな物語で皆様とお会いできることを願っております。
本当にありがとうございました。




