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NO59:雷雲のソーセージ


 「ちくしょう、またかよ……」


 マルコが吐き捨てるように言った。

 彼の視線の先には、窓の外で荒れ狂う嵐があった。


 ごうごうと唸る風が吹き荒れ、雨粒がまるで石のように窓ガラスを叩きつける。

 ここは最前線からわずかに後退した、古びたトーチカ。


 だが、この悪天候では、物資の補給もままならない。


 「これで三日目だぞ。食料も残り少ない」


 年長の兵士、イワンが疲れた声で言った。彼の顔には深い疲労が刻まれている。

 ここ数日、まともな食事は喉を通っていない。乾パンと水ばかりの日々だ。


 兵士たちの間には、絶望にも似た空気が漂っていた。


 「おい、マルコ。何か食いもんはねえのか?」


 若い兵士、セルゲイが期待のこもった目でマルコを見た。マルコは肩をすくめた。


 「残念ながらな。あるのは……ああ、これだけだ」


 マルコが取り出したのは、くすんだ布に包まれた、ずんぐりとした塊だった。

 それは、見るからに古びたソーセージ。


 おそらく、かなり前に配給されたものだろう。

 兵士たちの視線が、一斉にそのソーセージに集まる。


 「ソーセージだと? まさか、まだ残っていたのか!」


 イワンが驚きの声を上げた。

 彼らは皆、このソーセージの存在を忘れていたのだ。


 戦場の片隅で、彼らの日々の糧となるはずだったものが、すっかり埋もれてしまっていた。


 「ああ。確か、俺たちがここに来る前に、非常用として置いてあったはずだ。すっかり忘れてたな」


 マルコが苦笑した。

 ソーセージは一本だけ。

 だが、その一本が、彼らにとっては途方もない贅沢に見えた。


 「これをどうする? 分けるか?」


 セルゲイが興奮気味に言った。

 しかし、イワンは首を横に振った。


 「馬鹿なことを言うな。こんな大勢で分けたら、味もわからん。それに、これは…」


 イワンはソーセージを手に取り、じっと見つめた。

 その表情は、どこか遠い昔を懐かしむようだった。


 「これは、俺たちが生きている証だ」


 彼の言葉に、皆がはっとした。

 確かに、この一本のソーセージは、ただの食料ではなかった。


 それは、希望の象徴であり、彼らがまだ人間としての喜びを失っていないことの証でもあった。


 「では、どうするんですか、イワンさん?」


 セルゲイが尋ねた。

 イワンはソーセージをそっと地面に置いた。


 「一番飢えている者が食え。そして、生き残れ。それが、このソーセージの役目だ」


 誰もが沈黙した。

 誰が一番飢えているのか。

 誰が一番このソーセージを必要としているのか。


 しかし、誰もが「自分だ」とは言えなかった。


 その時、遠くで砲弾の炸裂音が響いた。

 地鳴りのような轟音がトーチカを揺らす。

 彼らは再び、厳しい現実に引き戻された。


 「クソッ、また来るぞ!」


 マルコが叫んだ。

 兵士たちはそれぞれの持ち場につき、銃を構えた。

 再び、窓の外は閃光と爆音に包まれる。

 激しい戦闘が始まったのだ。


 




 銃声が止み、嵐が過ぎ去ったのは、夜も更けてからだった。

 トーチカの中は、硝煙と土埃の匂いで充満している。


 皆、泥だらけになり、疲労困憊していた。

 だが、誰一人として欠けることなく、彼らは生き残った。


 「おい、あれを見ろ」


 イワンが静かに言った。

 彼の指差す先には、ぽつんと置かれたソーセージがあった。


 誰もがその存在を忘れ、戦闘に没頭していたのだ。しかし、ソーセージは無事だった。


 「あれを、どうするんですか?」


 セルゲイが尋ねた。

 イワンはゆっくりとソーセージを手に取った。


 そして、皆の顔を一人ひとり見渡した。


 「誰か、一番美味そうに食えるやつはいるか?」


 イワンがそう言うと、皆が顔を見合わせた。  

 そして、次の瞬間、マルコが口を開いた。


 「俺だ。俺が、一番美味そうに食ってやる!」


 マルコはそう言うと、ソーセージをひったくるように奪い取った。

 そして、その場で豪快にかぶりついた。


 無骨な彼の口から、もぐもぐと咀嚼する音が響く。


 「どうだ、マルコ。美味いか?」


 イワンが尋ねた。

 マルコは口いっぱいにソーセージを頬張りながら、満面の笑みで答えた。


 「ああ、美味い! こんなに美味いもん、食ったことねえ!」


 その言葉に、兵士たちの間に笑いが起こった。

 それは、疲労と絶望に満ちた日々の中で、久しぶりに聞く、心からの笑いだった。


 翌朝、夜明けと共に悪天候は嘘のように去り、上空には青空が広がっていた。

 遠くから、物資を運ぶ車両のエンジン音が聞こえてくる。


 「やったな、補給だ!」


 セルゲイが歓声を上げた。

 兵士たちは、希望に満ちた顔で外へ飛び出していった。


 マルコも、残りのソーセージを大事そうにポケットにしまい、それに続いた。

 そして、トーチカの隅には、一本のソーセージの皮だけが残されていた。



 嵐を乗り越え、彼らに希望を与えた、たった一本のソーセージの残骸が。


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