NO52:金鉱のオニオンスープ
「おい、今日のスープはなんだ?」
薄暗い金鉱の奥から、ガラの悪い声が響いた。
埃と汗と、かすかな鉄の匂いが混じり合う空気の中、囚人たちは重い鶴嘴を振り下ろす手を止め、一斉に食堂へと向かう。
今日の食事は、彼らにとって唯一の娯楽であり、そして何よりの希望だった。
「わかってるだろ? オニオンスープだよ、オニオン!」
食堂の親父、顔に大きな傷跡のあるドノバンが、にやりと笑いながら大鍋をかき混ぜる。
湯気とともに、甘く香ばしいタマネギの香りが、凍えるように冷たい金鉱の空気にじんわりと広がる。
この金鉱では、ろくな食料も与えられず、常に飢えと隣り合わせだった。
そんな彼らにとって、タマネギは奇跡の食材だったのだ。
「ちぇ、またタマネギかよ。肉が食いてえなあ」
一人の囚人がぼやいたが、すぐに周囲から
「贅沢言うな!」
「タマネギ様を冒涜するな!」
と非難の声が上がる。
確かに、タマネギだけの日々だが、それでもこのスープは彼らの生命線だった。
ドノバンが配るスープを、囚人たちは大切そうに受け取り、一心不乱にすすり始める。
「はぁ〜、沁みるぜ……」
「これがあるから、明日も頑張れるってもんだ」
ずるずると音を立ててスープを飲み干し、囚人たちは満足げに息をつく。
その顔には、一日の疲れと、わずかながら満たされた幸福感が浮かんでいた。
翌日も、そのまた次の日も、メニューは変わらずオニオンスープだった。
囚人たちは文句を言いながらも、そのスープを心待ちにしていた。
「なあ、ドノバンはなんで毎日タマネギがあるんだ?」
ある日、新入りの囚人が不思議そうに尋ねた。
古株の囚人たちが顔を見合わせ、にやにやと笑う。
「そりゃあ、ドノバンがタマネギの神様だからさ!」
「嘘つけ! ドノバンはな、この金鉱の地下にタマネギ畑を隠してるんだよ!」
冗談が飛び交う中、ドノバンは黙ってニヤニヤしているだけだった。
しかし、その顔にはどこか寂しげな色が浮かんでいるように見えた。
数週間後、金鉱に大きな異変が起きた。
これまで枯れることのなかったタマネギが、急に手に入らなくなったのだ。
「ドノバン! おい、どうなってんだ! スープは!?」
囚人たちがドノバンに詰め寄る。
ドノバンは困ったように眉を下げた。
「すまねぇ、みんな。タマネギが、もうどこにもなくてな……」
その言葉に、囚人たちは騒然となった。
「そんなバカな!」
「タマネギがないなんて!」
金鉱全体に、絶望と飢えの影が忍び寄る。
「くそっ、もうタマネギがないなら、俺たちはどうなるんだよ!」
「このままだと、みんな餓死しちまうぞ!」
誰もが希望を失いかけたその時、一人の古株の囚人が立ち上がった。
「落ち着け、みんな! ドノバンが、タマネギをどこからか見つけてきてくれるはずだ! だろ、ドノバン!?」
ドノバンはしかし、首を横に振った。
「無理だ。もう、本当にもう、どこにも……」
彼の言葉は、震えていた。
その顔は、今にも泣き出しそうだった。
囚人たちは、初めて見るドノバンの弱々しい姿に言葉を失う。
その日の夜、囚人たちは眠れずにいた。
タマネギのスープがない夕食は、あまりにも寂しく、空腹は彼らの心を蝕んでいた。
「くそっ、腹減った……」
「俺、もうダメだ……」
そんな中、ドノバンが一人、金鉱の奥へと歩いていくのが見えた。
囚人たちは、彼が一体どこへ行くのか、興味津々でその後を追った。
ドノバンがたどり着いたのは、普段は立ち入り禁止になっている、金鉱の一番奥にある、小さな小さな掘っ立て小屋だった。
ドノバンは小屋の鍵を開け、中へと入っていく。囚人たちがそっと覗き込むと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
小屋の中央には、古びた木箱が置かれ、その中には、山積みのタマネギが……いや、タマネギの皮がぎっしりと詰まっていたのだ。
「え、あれ、タマネギの皮……?」
囚人たちが呆然と立ち尽くす中、ドノバンは古びた日誌を取り出し、震える手でページをめくった。
「『今日から、スープのタマネギは皮だけにする。これで、みんなが飢え死にせずに済む。きっと、タマネギの神様も許してくれるだろう』」
ドノバンが読み上げたのは、彼自身がつけていた日誌だった。
囚人たちは、その言葉の意味を理解し、一瞬にして凍り付いた。
「ま、まさか……俺たちが毎日食ってたオニオンスープって……」
「タマネギの皮でできてたのか!?」
ざわめきが起こる中、ドノバンは静かに言った。
「すまなかったな、みんな。本当のタマネギは、とっくの昔になくなってたんだ。だが、皮でも煮込めば、ほら、それなりにタマネギの味がするだろ? みんなを飢えさせたくなかったんだ……」
ドノバンは、涙をこぼしながら顔を歪めた。
囚人たちは、その言葉に絶句する。
彼らが毎日、唯一の贅沢だと信じて疑わなかったオニオンスープは、まさかのタマネギの皮から作られていたのだ。
沈黙の中、一人の囚人が小さくつぶやいた。
「……そりゃあ、毎日タマネギのスープでも飽きないわけだ。皮だから味気なくて、毎日新鮮な気持ちで食えたんだな……」
その言葉に、別の囚人が続けて言った。
「俺、てっきりドノバンがタマネギの神様かと思ったよ。皮の神様だったとは……」
そして、どこからともなく、くすくすとした笑い声が漏れ始めた。
最初は小さかった笑い声が、やがて金鉱全体に響き渡る大きな笑い声へと変わっていく。
ドノバンも、その笑い声につられるように、涙を拭いながら少しだけ口元を緩めた。
「まあ、でもさ、皮でも何でも、あんたのおかげで生きてこれたんだ。ありがとうよ、ドノバン」
古株の囚人が、ドノバンの肩を軽く叩いた。他の囚人たちも、次々とドノバンに感謝の言葉を述べ始めた。
タマネギの皮だという衝撃の事実に、彼らは怒るどころか、むしろドノバンの心遣いに感動していたのだ。
そして、何よりも、この過酷な金鉱生活の中で、まさかのギャグのような真実に、彼らの心は少しだけ軽くなった。
「よし! こうなったら、俺たちは『皮のオニオンスープの会』を結成するぞ!」
「いいなそれ! 今日から俺たちは、皮のオニオンスープ教の信者だ!」
金鉱に、これまでになく明るい笑い声が響き渡った。
この日以来、金鉱の囚人たちは、皮のオニオンスープを「黄金の皮のスープ」と呼び、ドノバンを「皮の聖人」と崇めるようになったという。
そして、彼らは皮のスープを飲みながら、いつか本物のタマネギを腹いっぱい食べられる日を夢見て、今日も鶴嘴を振り下ろすのだった。
この金鉱で、あなたも黄金の皮のスープを味わってみませんか?




