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NO5:非常食堂


 「いらっしゃいませ!」

 

 その声に、新米兵士のケンタは思わずたじろいだ。薄暗い地下の通路を抜けた先に広がる空間は、食堂というにはあまりに異様だった。

 錆びた鉄骨が剥き出しの天井、壁には無数の配管が這い、ところどころから蒸気が噴き出している。


 だが、そこには確かにテーブルと椅子が並び、どこか懐かしい出汁の匂いが漂っていた。

 ここは「非常食堂」。表向きは軍の緊急時用備蓄食料の消費と研究を目的とした施設だが、兵士たちの間では「どんな不味いレーションも美味くなる魔法の場所」として半ば伝説化していた。

 

 案内役の先輩兵士、タカシがニヤニヤしながらケンタの背中を押す。


 「ケンタ、ここが噂の非常食堂だ。今日の非常食はこれ」

 

 タカシが差し出したのは、無機質な銀色のパック。よく見慣れた軍用レーションだった。

 中身は乾燥ミートボールと脱水野菜のスープ。水で戻して温めるだけの、味気ない代物だ。


 ケンタはがっかりしてため息をついた。


 「えー、これですか。いつもと一緒じゃないですか……」

 

 すると、さっきの威勢のいい声の主、食堂の主らしき老人がこちらへ近づいてきた。

 白衣をまとい、白髪をきっちり後ろに撫でつけたその男は、見るからに頑固そうだが、どこか親しげな目をしていた。


 「坊主、見た目で判断するもんじゃない。今日の非常食は、今日の非常食なんだ」

 

 老人はケンタの手からパックを受け取ると、無造作に調理台へ放り投げた。

 その手つきは職人のそれだった。老人は無言で調理を始めた。ケンタは調理台に視線を固定した。

 

 まず、老人は銀色のパックを丁寧に開け、中身を鍋に空けた。そこまでは普通だ。

 だが、次に老人が取り出したのは、見たこともない瓶詰だった。ラベルには手書きで「万能薬味」と書かれている。


 老人はそれを惜しげもなく鍋に投入した。ジュワッと音を立てて、鍋から香ばしい匂いが立ち上る。


 さらに、老人は冷蔵庫から取り出した卵を豪快に割り入れ、かき混ぜる。

 そして、どこから取り出したのか、手のひらで練られたような不揃いな形をした謎の塊を鍋に加えた。

 それは何かのペーストのようだった。

 

 あっという間に、銀色のパックの中身は原型をとどめないほどに変化していった。

 老人は時折、鍋の中身を味見し、頷いたり首を傾げたりしながら、微調整を加えていく。


 その間、一切の無駄がない動きに、ケンタは目を奪われた。まるで、魔法でも見ているかのようだ。


 「はい、お待たせさん」

 

 数分後、目の前に置かれたのは、湯気を立てる温かい丼だった。

 見るからに美味そうだ。先ほどの無機質なレーションは、どこか遠い記憶のように思える。スプーンで一口すくって口に運ぶ。


 「――っ!」

 

 ケンタの目が見開かれた。口の中に広がるのは、複雑で奥深い味わい。

 ミートボールの肉汁と野菜の甘みが溶け合い、万能薬味のピリッとした辛さがアクセントになっている。

 そして、謎のペーストからは、食べたことのないようなコクと旨みが溢れ出してくる。


 それは、ただの非常食ではなかった。故郷で母親が作ってくれた、あの温かい料理を思い出させるような、“生きる”ための料理だった。


 「どうだ、坊主。美味いか?」

 

 老人が楽しそうに尋ねる。ケンタは無言で頷き、夢中で丼をかきこんだ。

 隣で同じように丼を平らげているタカシが、満足げな顔で言った。


 「ここの爺さんの料理はな、不思議と力が湧いてくるんだ。どんなに疲れてても、どんなに落ち込んでても、ここで飯を食えばまた頑張れる気がするんだよ」

 

 ケンタは初めて、その言葉の意味を理解した。この非常食堂は、単に腹を満たすだけの場所ではない。

 兵士たちの疲弊した心に、希望の光を灯す場所なのだと。

 その日以来、ケンタは訓練の合間を縫って、足繁く非常食堂に通うようになった。

 ある日、いつものように丼を平らげたケンタは、意を決して老人に尋ねた。


 「あの、おじいさん。この料理、どうしてこんなに美味しいんですか? あの瓶詰の『万能薬味』と、あの謎のペーストが鍵なんですか?」

 

 老人はにこやかに、しかし少し寂しげに答えた。


 「ああ、あれはな。俺がこの非常食堂を始める前、戦場で倒れた時に、ある村の婆さんが食わせてくれたものなんだ。故郷の味を真似て作ったんだが、どうにもあの味には届かなくてな。だから、俺はあの味を求めて、ずっと料理を作り続けているんだ」

 

 老人の言葉に、ケンタははっとした。老人の料理には、単なる技術だけではない、深い想いが込められていることを知った。

 それは、故郷への郷愁であり、命の尊さを伝える想いだった。

 

 数年後、ケンタはベテラン兵士として、多くの後輩を率いる立場になっていた。

 激しい任務の合間、ケンタは後輩たちを連れて非常食堂を訪れた。


 しかし、そこに老人の姿はなかった。代わりに立っていたのは、見慣れない若い料理人だった。


 「すみません、この食堂の主は?」

 

 ケンタが尋ねると、若い料理人は寂しそうな顔で答えた。


 「はい、先月、急に体調を崩されて……。今は私が代わりを務めています」

 

 ケンタは言葉を失った。あの老人が、もうここにいない。心にぽっかりと穴が開いたような気がした。

 後輩たちは、出されたレーションを前に戸惑っていた。以前の老人の料理とは、明らかに異なるものだったからだ。

 

 その日の夜、ケンタは自室で考え込んでいた。あの老人の料理は、ただ美味いだけでなく、兵士たちの心を支えるものだった。

 その味が失われてしまうのは、あまりにも惜しい。

 

 

 次の日、ケンタは再び非常食堂を訪れた。若い料理人は、困り果てた顔で調理台の前に立っていた。


 「あの、先輩……。正直、どうすればいいのか分からなくて。この食堂のレシピ、ほとんど残ってないんです。あの瓶詰も、あのペーストも、もう作れないんです」

 

 ケンタは若い料理人の言葉を聞きながら、ある決意を固めた。


 「俺に、手伝わせてくれ」

 

 若い料理人が驚いた顔でケンタを見た。


 「あの爺さんが言っていたんだ。『今日の非常食は、今日の非常食なんだ』って。つまり、あの爺さんの料理は、ただのレシピじゃなかったんだ。その日その日で、兵士たちの状況に合わせて、心を込めて作っていたんだ。だから、俺たちはその心を受け継ぐんだ」

 

 それから、ケンタは訓練の合間を縫って、若い料理人と共に非常食堂に立つようになった。二人は試行錯誤を繰り返した。

 あの「万能薬味」の味を再現しようと、様々な香辛料を調合した。あの謎のペーストの正体を探ろうと、何種類もの食材を組み合わせた。

 

 時には失敗し、時には喧嘩もした。しかし、二人は諦めなかった。老人が残した「“生きる”ための料理」という言葉を胸に、兵士たちの心に寄り添う料理を目指した。

 

 ある日、二人が作った料理を口にした兵士が、ふと呟いた。


 「あれ……なんか、昔の爺さんの味に似てきたな」

 

 その言葉に、ケンタと若い料理人は顔を見合わせ、そっと笑みをこぼした。

 非常食堂は、今もそこにあり続ける。老人が作った「万能薬味」や謎のペーストは、完全に再現されたわけではないかもしれない。


 しかし、その根底にある「故郷への想い」と「命を慈しむ心」は、ケンタと若い料理人によって確かに受け継がれていた。

 非常食堂の暖簾をくぐる兵士たちは、今日もまた、“生きる”ための料理を求めてやってくる。



 


 そして、その温かい料理が、彼らの明日の糧となることを、ケンタは知っている。


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