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NO49:次元の狭間の糧食


 「またこれか……」


 エリスは呟き、手に持った銀色のパウチを軽蔑するように見つめた。

 中に詰まっているのは、この旅が始まって以来、何百回と口にしてきた「次元の狭間の糧食」。


 通称、「ディメンション・フード」だ。

 見た目はただの灰色がかったペースト。匂いもない。味も……。


 「文句言うなよ、エリス。これがあるだけマシだ」


 相棒のゼノンが、別のパウチを開けながら言った。

 彼は相変わらず無表情だが、その声には諦めが滲んでいる。


 ここは、とある滅びた文明の図書館の跡地。崩れかけた石柱が並び、風が砂埃を巻き上げる。

 先週は氷に閉ざされた極寒の惑星で、その前は燃え盛るマグマの星だった。


 次元を渡り、過去と未来、そして無数の可能性の世界を巡るのが、私たち「時空の旅人」の使命。

 この世界の崩壊を止めるための、唯一の希望だと、そう聞かされている。


 しかし、希望と引き換えに失ったものはあまりにも大きい。故郷、家族、そして何よりも……。


 エリスはスプーンで一口、ディメンション・フードを口に運んだ。

 無味、無臭。ただ、わずかに舌に残る、ひどく人工的な甘み。

 それが、この食料の唯一の「味」だった。


 「ねえ、ゼノン。たまにはさ、故郷の料理、食べたくならない?」


 エリスはパウチを閉じ、遠い目をした。

 ゼノンの故郷は、たしか海に囲まれた温暖な惑星だったはずだ。


 「……別に。食えれば何でもいい」


 ゼノンはそっけなく答えたが、その視線はなぜか、足元の石ころに固定されていた。

 彼のこういうところが、昔から気に食わない。


 いつも冷静で、感情を見せない。私だって不安な時や、辛い時があるのに。


 「嘘つき。あんた、昔は美味しいものに目がなかったじゃない。特に、あの海藻のスープ」


 私の言葉に、ゼノンの肩が微かに震えた。彼はゆっくりと顔を上げた。

 その目に、一瞬だけ、深い悲しみが宿るのを見た。


 「あのスープは……もう、存在しないんだ。あの星は、もう……」


 ゼノンの言葉が途切れた。

 そう、私たちが旅をする世界は、全てが失われた場所なのだ。


 故郷も、家族も、思い出の料理も。

 だから、このディメンション・フードしか食べるものがない。


 どんな環境でも、変わらない。

 変わることが許されない、唯一の「糧食」。


 その夜、私たちの次元船の狭い居住空間で、エリスは一人、ディメンション・フードの残りを眺めていた。


 なぜ、こんなにもこの味が嫌いなのか。


 それはきっと、希望のない未来を突きつけられているような気がするからだ。


 味気なく、ただ命を繋ぐだけの存在。


 「エリス、起きているか?」


 ゼノンの声がした。

 彼は普段、任務以外で私に話しかけることはない。


 「なに?」


 「これを」


 ゼノンが差し出したのは、小さな包みだった。

 中を開けると、そこには、乾燥したミミズのようなものが数匹。


 「これ……何?」


 「この前の砂漠の星で採れた。タンパク質が豊富らしい。……食べられるか?」


 ゼノンは目を合わせないまま言った。

 ミミズ。乾燥しているとはいえ、正直食欲はそそられない。


 しかし、彼の不器用な優しさが、胸に染みた。


 「ありがとう、ゼノン」


 エリスはミミズを一口、かじった。

 想像していたよりは悪くない。

 少し生臭いが、確かにタンパク質の味がする。


 ディメンション・フードとは違う、明確な「味」だ。


 「ねぇ、ゼノン」


 「なんだ?」


 「私たち、いつになったら、この旅は終わるんだろうね?」


 エリスの問いに、ゼノンは答えなかった。

 代わりに、彼は自分のディメンション・フードのパウチを開け、一口食べた。


 その横顔は、いつもと変わらない。

 でも、エリスには分かった。

 彼もまた、この無味乾燥な食料に、そしてこの旅に、疑問を抱いているのだと。


 数週間後、私たちは荒廃した都市の地下シェルターにいた。


 次の次元へのゲートを開くためのエネルギーをチャージする間、束の間の休息だ。


 「ゼノン、見て!」


 エリスは瓦礫の隙間から見つけた、錆びたブリキ缶をゼノンに見せた。


 「何だ? 放射能汚染されていないか?」


 「大丈夫。これは……たぶん、缶詰! この世界の古代の保存食」


 缶詰を開ける道具が見つからず、ゼノンが器用にナイフでこじ開けた。

 中から現れたのは、真っ黒に変色した、何かの塊。


 腐敗した匂いが、ツンと鼻を刺した。


 「うわっ……これは無理だ」


 エリスは思わず顔をしかめた。

 しかし、ゼノンは黙って、その黒い塊を指で少しだけ取り、口に運んだ。


 「ゼノン! 何やってんの!?」


 「……」


 彼は何も言わない。

 しかし、その瞳には、かつて見たことのないほどの、苦痛と絶望が浮かんでいた。

 そして、次の瞬間、彼は吐き出した。


 汚染されたのか、毒にあたったのか。


 「大丈夫!?」


 エリスは慌てて水を差し出した。

 ゼノンは咳き込みながら、小さく言った。


 「……大丈夫だ。ただ……」


 彼は言葉を選んでいるようだった。


 「ただ、なんだ?」


 「ただ、この味は……いや、これは味ではない。これは、この世界の、絶望の味だ」


 ゼノンは、缶詰に残された黒い塊をじっと見つめた。


 「これが、この世界に生きていた人々の、最後の……」


 彼はそれ以上言わなかった。

 だが、エリスには理解できた。

 この缶詰は、彼らにとっての「ディメンション・フード」だったのだ。


 希望の薄い中で、それでも生き延びようとした人々の、最後の糧。

 その味は、私たちが慣れ親しんだ無味無臭のディメンション・フードとは全く異なる、現実の、そして絶望の味だった。


 「……ディメンション・フード、食べる?」


 エリスは自分のパウチをゼノンに差し出した。彼は黙ってそれを受け取ると、ゆっくりと中身を口にした。


 「……うん」


 ゼノンは小さく頷いた。

 その表情には、いつも通りの無表情の中にも、どこか安堵の色が浮かんでいた。


 旅は続く。相変わらず、私たちはディメンション・フードを食べ続けた。

 しかし、あの缶詰の一件以来、エリスの心境には変化があった。


 あの無味乾燥な味が、以前ほど苦痛ではなくなっていたのだ。


 「いただきます」


 いつものようにディメンション・フードを開け、一口食べる。


 「……悪くないな」


 ゼノンが隣で呟いた。

 彼の声には、以前のような諦めや無関心は感じられない。


 「そうね。なんだか、この味、落ち着くようになってきたわ」


 エリスは言った。

 もしかしたら、このディメンション・フードは、私たちにとっての「救い」なのかもしれない。


 どんな過酷な世界でも、変わらない味。

 それは、私たち自身の心が、どんなに揺らいでも、変わらずに存在し続けることを教えてくれているようだった。


 絶望の味を知ったからこそ、この無味乾燥な味が、どれほど尊いものか、理解できたのだ。

 私たちは、この味を携え、また次の次元へと旅立つ。


 いつか、本当に美味しい故郷の料理を、心ゆくまで食べられる日が来ることを信じて。

 それまでは、この「次元の狭間の糧食」が、私たちの心の支えとなるだろう。


 無味乾燥で、何も語らないけれど、確かにそこにある、温かい、私たちのための味。




 それは、希望の味。

 そして、未来へと繋がる、確かな一歩の味だった。


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