NO48:死霊術師の不味いスープ
漆黒の森の奥深く、朽ちた古城の片隅に、忌み嫌われる死霊術師ネクロムの隠れ家はあった。
彼の名は村人から畏れられ、呪われ、そして何よりも「不味いスープ」の主として知られていた。
もっとも、そのスープを口にした者はネクロム自身以外には存在しないのだが。
「うむ……今日のスープも、なかなかの仕上がりだ」
ネクロムは、湯気の立ち上る土鍋を覗き込み、満足げに呟いた。
とは言っても、その顔はいつも土気色で、満足しているのかどうかも判別しにくい。
彼は大きな木製のスプーンで、どろりとした灰色がかった液体をすくい上げ、ゆっくりと口に運んだ。
「ぐっ……おぇえっ!」
案の定、ネクロムは激しくむせた。
目尻には涙が滲み、顔はさらに青ざめる。
「……しかし、この苦みがたまらないのだよな。生を実感させてくれる」
彼は震える声でそう言い訳し、再びスプーンを口に運ぼうとする。
その瞬間、隠れ家の扉が勢いよく開いた。
「ネクロム! お前、またそんなものを飲んでいるのか!」
そこに立っていたのは、ネクロムの数少ない友人……と本人は思っている……で、自称「正義の味方」を名乗る聖騎士、アルベールだった。全身を白銀の鎧で包み、眩いばかりの光を放っている。
「おお、アルベールか。相変わらず騒がしい奴め。見ての通り、私は今、至福の時を過ごしているのだ」
ネクロムは眉一つ動かさず、平然と答える。
「至福だと!? その腐ったような匂い、何度嗅いでも慣れんわ! 村人たちがお前のせいで食欲不振に陥っているぞ!」
アルベールは鼻をつまみながら叫んだ。
「ふむ、それは気の毒なことだ。だが、私の生命維持には必要不可欠なのだよ、このスープは。材料の選定から調理法まで、門外不出の秘奥義が詰まっている」
ネクロムは得意げに胸を張る。
「秘奥義だと? 材料は森で拾った謎のキノコと、どこの誰とも知れない骨、それに賞味期限切れのスライムの粘液だろうが!」
アルベールの言葉に、ネクロムはピクリと反応した。
「な、なぜそれを……」
「何度かお前の隠れ家を探索した際に、偶然目にしたんだ! それに、あのスライムの粘液は、森の生態系を乱すから使うなとあれほど……」
アルベールは呆れたように首を振る。
「ぐぬぬ……しかし、このスープ以外に私の生命を繋ぎとめるものはないのだ。以前、試しに村の食堂で食事をした際など、どうにも胃が受け付けなくてな……」
ネクロムは遠い目をして語る。
「当たり前だ! 普通の料理が食えない体になっているんだろ! それに、お前、最近顔色が良くなっているぞ。その不味いスープのせいではないはずだ」
アルベールの指摘に、ネクロムはごくりと唾を飲み込んだ。
「そ、そんなことはない! 相変わらず不味い! 不味くてこそ、私の魂は研ぎ澄まされるのだ!」
ネクロムは焦ったようにスープをかきこむ。
しかし、その顔は以前よりも明らかに生気が宿っていた。
「おい、隠し事をしているな? 白状しろ、ネクロム。お前、何か別のものを口にしているだろう」
アルベールは鋭い眼光でネクロムを睨みつけた。
ネクロムは視線を泳がせ、口を開きかけるが、言葉が出ない。
その時、隠れ家の奥から、か細い声が聞こえてきた。
「ネクロムおじちゃーん、今日のデザートはまだ?」
アルベールが振り返ると、そこには愛らしい少女が立っていた。
小さな花柄のエプロンをつけ、手には使い古された絵本を抱えている。
「あ、アリス!? なぜここに!?」
ネクロムは慌てふためき、土鍋を隠すように少女の前に立つ。
「おじちゃん、約束したでしょ? 今日はプリン作ってくれるって」
アリスは首を傾げ、ネクロムを見上げた。
「プリンだと!? ネクロム、お前、まさか……」
アルベールは驚愕の表情でネクロムとアリスを交互に見た。ネクロムは観念したようにため息をつく。
「……その通りだ。最近、このアリスという孤児を拾ってな。彼女、普通の料理しか食べられないものだから、色々と試行錯誤しているうちに、私も少しずつ普通食が食べられるようになってきたのだ」
ネクロムは気まずそうに目を伏せた。
「だから最近、顔色が良かったのか! まったく、お前という奴は……」
アルベールは呆れながらも、どこか安堵した表情を浮かべた。
「でも、おじちゃんのスープはやっぱり不味いよ。焦げた泥水みたい」
アリスは率直な感想を述べ、ネクロムはがっくりと肩を落とした。
「ははは! 見ろ、ネクロム! 子供は正直だな!」
アルベールは大笑いした。ネクロムは頬をひくつかせながらも、土鍋のスープをそっと遠ざける。
「だ、だが、このスープは私の原点……」
「もう十分だろう。お前には、もっと美味しいものが待っているはずだ」
アルベールはアリスの頭を優しく撫でた。
アリスはにこりと笑い、ネクロムの手を引いた。
「おじちゃん、早くプリン作ろう! 私、お手伝いするよ!」
「お、おお……分かった。では、今日は特別に、極上のプリンを作ってやろう」
ネクロムはぶつぶつ言いながらも、アリスに連れられて台所へ向かう。
その日、隠れ家からは甘く香ばしい匂いが漂い、アルベールは満足げに頷いた。
不味いスープは、土鍋の中で静かに、そしてひっそりと冷めていく。
もう、誰もそのスープを「ネクロムの生命を繋ぐ唯一の糧」とは呼ばないだろう。
なぜなら、ネクロムの生命を繋ぐ新たな糧は、すでにそこにあったのだから。




