NO28:地下シェルターの菌床料理
「またこれか……」
ハルトは、目の前の白い皿に乗った、ぼやけた茶色の塊を見下ろして小さく呟いた。
マッシュルーム状のそれは、地下シェルターでの唯一の主食、菌床キノコのシチューだった。
味付けはいつも塩と、ごく微量の保存されていた香辛料。無味乾燥とまではいかないが、決して美味とは言えない代物だ。
隣に座った幼いミライが、無邪気な顔で尋ねる。
「ハルトお兄ちゃん、キノコ嫌いなの?」
「嫌いじゃないさ、ミライ。ただ、昔の料理を知ってるから、少し物足りないだけだよ」
ハルトは無理に笑顔を作った。ミライは核戦争後に生まれた子供だ。
彼女にとって、このキノコこそが「食料」のすべてなのだろう。
シェルターの住民は皆、うっすらと諦めを帯びた顔でキノコを口に運んでいた。
太陽の光が届かない地下深くで、人間らしい生活を維持するのは容易ではない。
特に食料問題は深刻で、かつての豊かな食文化は、今や遠い記憶の彼方だった。
そんな中、ただ一人、食料研究室の扉に籠りっきりになっている男がいた。
彼の名は、アキラ。シェルターの科学者の中でも、ひときわ異彩を放つ存在だった。
ある日、ハルトが研究室の廊下を通りかかると、扉の隙間から微かな、しかし抗しがたい香りが漏れてきた。
それは、嗅いだことのない、それでいて懐かしさを覚えるような、甘く香ばしい匂いだった。
ハルトは思わず足を止め、扉をノックした。
「アキラさん、中にいますか?」
しばらくして、ガチャリと音を立てて扉が開いた。アキラは白い研究着を身につけ、その顔は疲労でやつれているものの、瞳だけは異様なほど輝いていた。
「ハルトか。ちょうどいいところに来た」
アキラは興奮した面持ちで言った。
「見てくれ、これが私の傑作だ!」
アキラが差し出したのは、小さな皿だった。そこには、こんがりと焼き色がつき、香ばしい匂いを放つ薄切りのキノコが乗っていた。
見た目は、ハルトが知る「肉」に酷似していた。
「これは……?」
ハルトは訝しげに尋ねた。
「菌床キノコだよ。ただし、特殊な培養液と環境で育てたものだ。私は、キノコの持つ潜在能力を引き出し、かつての食感を再現しようと試みていた」
アキラは熱弁を振るった。
「そして、この香り! 遺伝子操作で、ごく微量の香料成分を作り出すことに成功したんだ!」
ハルトは半信半疑で、一切れ手に取った。口に含むと、最初に広がるのは香ばしい香り。そして、程よい弾力のある歯ごたえ。
噛みしめるごとに、仄かな甘みと、今まで感じたことのない深い旨味が口いっぱいに広がった。
「これは……! まるで……まるで、牛肉を食べているみたいだ!」
ハルトは驚きのあまり声を上げた。記憶の奥底に眠っていた、かつて両親が作ってくれたステーキの味が、鮮明に蘇るようだった。
アキラは満足そうに微笑んだ。
「だろう? 私も確信したよ。このキノコは、私たちの食卓を再び豊かにする可能性を秘めている」
それから数週間、アキラは寝食を忘れ、キノコの培養と研究に没頭した。
そしてついに、シェルターの住民全員に振る舞えるだけの「肉キノコ」が完成したと発表した。
シェルターの中央広場に、長机が並べられ、その上には湯気を立てる「肉キノコ」のシチューが山盛りに盛られていた。
住民たちは皆、半信半疑の表情で集まってくる。
「本当に、キノコなのか?」
「こんなに良い匂いがするなんて……」
ミライも目を輝かせてハルトの隣に立っていた。
アキラが前に出て、マイクを握った。
「皆さん、これが私が開発した、新たな食料です。かつての地球の豊かな味を、このキノコで再現することに成功しました。さあ、どうぞ召し上がれ!」
最初は恐る恐るだった住民たちも、一口食べると、その表情は驚きと感動に変わった。
「これはすごい! 本当に肉みたいだ!」
「こんなに美味しいものを食べるのは、一体いつ以来だろう……」
歓声が広場に響き渡った。ハルトもミライも、夢中で「肉キノコ」のシチューを頬張った。
ミライの目からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「どうした、ミライ?」
ハルトが優しく尋ねる。
「だって、これ、おばあちゃんが昔作ってくれた、ビーフシチューの味がするの……」
ミライは嗚咽混じりに言った。
ハルトはハッとした。ミライはビーフシチューを食べたことなどないはずだ。
だが、彼女は確かに「ビーフシチューの味」を感じ取っている。
それは、アキラがキノコに込めた「豊かな地球の味」への情熱が、世代を超えて伝わった瞬間だった。
その夜、ハルトはアキラの研究室を訪れた。アキラは疲労困憊で机に突っ伏して眠っていた。その手には、一枚の古びた写真が握られている。写真には、アキラと、満面の笑みを浮かべた一人の女性が写っていた。
そして、テーブルには美味しそうな肉料理が並べられている。
ハルトはそっと写真を拾い上げた。
裏には、震えるような文字でこう書かれていた。
「いつか、この味をあなたにもう一度……」
アキラは、愛する人との思い出の味を、このキノコで再現しようとしていたのだ。
そして、その情熱が、地下シェルターに住む人々に、希望という名の「豊かな地球の味」を届けたのだった。
ハルトは静かに研究室を後にした。地下シェルターの暗闇の中、確かに一筋の光が差し込んだのを感じた。
それは、ただのキノコ料理ではなかった。失われた過去への郷愁と、未来への希望が詰まった、かけがえのない一皿だった。




