NO18:始まりの果実
「また、アイツらが来たわね……」
ミオは乾いた土を蹴り上げ、遠くに見える埃の柱を睨んだ。
そこには、飢えた獣のように力を求める人間たちの姿があった。
彼らの目的はただ一つ、この地に自生する**「始まりの果実」**。それを口にすれば、常人では考えられない超常的な力を手に入れられるという、禁断の果実だ。
「じいちゃん、本当にこのままでいいの?」
隣に立つ老いたハルに、ミオは問いかけた。ハルは白くなった髭を撫でながら、静かに答える。
「仕方ないさ、ミオ。あれが彼らの『力』だからな」
始まりの果実の力は絶大だ。一つ食べれば岩をも砕く剛腕を、二つ食べれば空を飛ぶ翼を、三つ食べれば時間を操る秘術を得られるとさえ言われていた。
だが、その代償もまた大きい。摂取量に比例して精神が不安定になり、やがては自我を失い、ただ力を求めるだけの存在へと変貌していく。
そして何より、果実は一度収穫すれば次の実りがいつになるか分からないほど、成長が遅いのだ。戦争のたびに消費され、その数は年々減少していた。
「でも、このままだと全部なくなっちゃう! そしたら、みんな……」
ミオの言葉に、ハルは深い溜め息をついた。
「わかっているさ。だが、止める術はない。人は力を求めずにはいられない生き物だからな」
その時、地面が大きく揺れた。埃の柱が近づき、武装した兵士たちが姿を現す。
彼らの目は血走り、ただ果実を求める狂気に満ちていた。
「果実を渡せ! さもなくば、この村を焼くぞ!」
先頭に立つ男が、がなり立てる。ミオは震える足を叱咤し、ハルの前に立った。
「渡さない! これは、私たちの大切なものよ!」
「ほう? 小娘が粋がるな。力もないのに、何を言っている」
男が嘲笑し、兵士たちに指示を出す。彼らは一斉にミオたちに向かってきた。
ハルはミオを庇うように前に出る。
「ミオ、逃げろ! ここはワシに任せろ!」
「嫌よ! じいちゃん一人になんかさせない!」
その瞬間、一人の兵士がミオに向かって飛びかかってきた。ミオは思わず目を閉じる。
だが、衝撃は来なかった。目を開けると、兵士は地面に倒れ伏している。
ハルが、その手にした杖を構えていた。杖の先からは、微かに光が漏れている。
「じいちゃん、まさか……」
ハルは、過去に始まりの果実を少量だけ摂取したことがあった。それは、この果実の力と危険性を知るためだったという。
その力は、微弱ながらも彼の身体に残っていたのだ。
「心配するな、ミオ。ワシが時間を稼ぐ。お前は、この村の者たちと、この最後の果実を……」
ハルは懐から、手のひらに収まるほどの小さな包みを取り出した。
中には、わずかに残された始まりの果実が一つだけ入っていた。
「これを、遠くへ。誰も、手の届かない場所へ……」
ハルの言葉の途中で、新たな兵士が襲い来る。ハルは杖を振り回し、その身を挺してミオを守ろうとする。
だが、相手は多勢だ。ハルの身体に、次々と攻撃が浴びせられる。
「じいちゃん!」
ミオは叫んだ。ハルの身体が、ゆっくりと地面に倒れていく。
その手から、最後の果実の包みがこぼれ落ちた。兵士の一人が、それを拾い上げようとする。
その時だった。
ミオは、無我夢中でその果実に手を伸ばした。兵士の手が、果実に触れる寸前。
ミオの指が、その表面に触れる。
「……ッ!」
身体中に、激しい電流が走ったような感覚。脳裏に、様々な情報が流れ込んでくる。
始まりの果実が持つ力、その代償、そして……。
次の瞬間、ミオの身体から、まばゆい光が放たれた。兵士たちが目を眩ませ、後ずさりする。光が収まった時、ミオの姿は変わっていた。
身体からは力が溢れ、瞳には今までになかった強い光が宿っている。
「これが……始まりの果実の力……」
ミオは静かに呟いた。手のひらを見つめる。そこには、何の変哲もない、ただの土が握られていた。
「そうか……そうだったんだ……」
ミオは、ハルが倒れている傍らに駆け寄る。ハルの意識は朦朧としていたが、ミオの顔を見て、かすかに微笑んだ。
「ミオ……お前は……」
「じいちゃん、もう大丈夫。わかったわ、この果実の本当の力……」
ミオは立ち上がり、兵士たちに向き直った。彼女の瞳は、もう迷いを持っていなかった。
「あなたたちが求めているのは、この果実ではないわ」
ミオは、地面に落ちたハルが持っていた最後の果実の包みを拾い上げた。
中には、まるで宝石のように輝く果実が一つ。ミオはそれを、兵士たちの目の前で握りつぶした。
「な、何を!?」
「莫迦な! そんなことをすれば、力が……!」
兵士たちが動揺する。だが、彼らの予想に反して、ミオの力は衰えるどころか、さらに増幅しているように見えた。
「これは、ただの媒体よ。力を引き出すための、ね」
ミオは、地面に散らばった果実の破片を指差した。
「あなたたちが求めている力は、あなたたちの心の中にある。それを引き出すきっかけが、この果実だっただけ。でも、これからはもう必要ない」
兵士たちは呆然とミオを見つめている。理解できない、という顔だ。
「この果実は、私たち自身の『可能性』を具現化するものだったの。だから、食べ続ければ自我を失う。自分の内にある力を、制御しきれなくなるから」
ミオは、静かに語りかける。その声は、村全体に響き渡るようだった。
「戦争で果実が枯渇していくのは、力の源が外にあると錯覚していたから。でも、本当は違う。力は、私たち一人ひとりの心の中に、最初から存在していたのよ」
その言葉を聞いて、兵士たちの顔から、少しずつ狂気が薄れていく。
彼らは、初めて自分たちの内側にあるものに目を向けた。ミオの言葉は、彼らの心に直接響いていた。
それは、始まりの果実を摂取したことで、ミオが他者の心に直接語りかける能力を得たからだった。
兵士たちは、武器をゆっくりと地面に置いた。彼らの目には、もう果実への執着はない。
ただ、困惑と、そして微かな希望が宿っていた。
「私たちは……何をしていたんだ……」
先頭の男が呟いた。その声には、力が失われた後の虚しさではなく、新たな道を見つけ出したような清々しさがあった。
ミオの言葉は、やがて世界中に広まった。始まりの果実の真の力が明かされ、人々は外に力を求めるのではなく、自らの内なる可能性を探るようになった。
戦争は終わり、果実を守る必要もなくなった。
あの時、ミオが摂取した始まりの果実は、彼女に他者の心に語りかける能力を与えた。
それは、力を求める愚かさから、自らの内なる可能性に気づかせるための、最後の贈り物だったのかもしれない。
ミオは今も、あの村で暮らしている。彼女の周囲には、穏やかな笑顔の人々がいる。
もう、誰も力を求めて争うことはない。始まりの果実は、ただの美しい植物として、静かにこの大地に根を下ろしている。
そして、ミオは知っている。本当の力とは、誰かを傷つけるためのものではなく、誰かの心に光を灯し、未来を紡ぐためにあることを。
始まりの果実が教えてくれたのは、超常的な力ではなく、人間本来が持っていた、無限の可能性だったのだ。