NO17:徴用された食堂車
昭和19年、冬。雪がちらつく薄暗いプラットホームに、徴用された鉄道の食堂車が停車していた。
本来ならば賑やかな喧騒に包まれるはずの車内は、重苦しい静寂に支配されている。
テーブルには白い布ではなく、無造作に新聞紙が敷かれ、食器も簡素なものに置き換えられていた。
「おい、まだかよ。腹減って死にそうだ」
若い兵士が苛立ちを隠せない声で言った。向かいに座る年配の兵士が、疲れた顔で応じる。
「我慢しろ。どうせ碌なものも出やしねぇ」
その言葉通り、配給されたのは握り飯が二つと、水ばかり。
それも、いつまで続くかわからない。列車は兵士や物資を前線へと運ぶ、重要な役割を担っていた。
しかし、戦況の悪化とともに食料の供給は滞り、乗客たちの食卓は日に日に貧しくなっていった。
数日後、食堂車の食料はついに底をついた。乗務員が申し訳なさそうに頭を下げる。
「皆様、誠に申し訳ありません。食料が尽きてしまいました」
車内にどよめきが走った。しかし、すぐに諦めと絶望が入り混じった空気に変わる。
「くそっ、このままじゃ飢え死にだ!」
誰かが叫んだ。その時、最前列に座っていた一人の老人が、ゆっくりと立ち上がった。
痩せこけた顔には深い皺が刻まれているが、その目は力強く輝いている。
「皆さん、諦めてはいけません。まだ、手持ちの食料があるはずだ」
老人の言葉に、乗客たちは互いの顔を見合わせる。そして、おずおずと自分の持ち物を広げ始めた。
乾パン、干し芋、塩漬けの梅干し。どれもこれも、僅かな量だ。
「これしかありませんが……」
ある兵士が差し出したのは、小さな袋に入った米だった。別の女性は、大事に持っていた味噌を差し出す。
「これで味噌汁くらいなら……」
食堂車の調理員は、差し出された食材を見て目を見張った。そして、ゆっくりと頷く。
「皆様の温かいお気持ち、確かに受け取りました。最高の食事を作ってみせます」
調理員は、限られた食材と知恵を絞って料理を始めた。米は粥になり、梅干しは風味付けに、味噌は薄く伸ばして味噌汁になった。
そして、誰かが持っていた少量の干し肉は、細かく刻んで粥に混ぜられた。
簡素な食事だったが、その日の夕食は、今までで一番豪華なものに感じられた。
皆、黙々と粥をかき込む。誰もが空腹を満たしながら、不思議な連帯感に包まれていた。
「うまい……こんなにうまい飯は初めて食った」
若い兵士が涙を流しながら言った。その言葉に、周りの乗客たちも深く頷く。
極限状態の中で、食を通じて人間本来の尊厳が呼び覚まされた瞬間だった。
列車はその後も走り続けた。日ごとに食料は乏しくなり、乗客たちは手持ちの食材を出し合い、分け与えながら旅を続けた。
ある日は煎り豆を分け合い、またある日は、誰かが持っていた貴重な砂糖で甘い湯を沸かした。
そして、ついに列車は終着駅に到着した。疲弊しきった乗客たちは、それでも互いに助け合い、支え合って列車を降りた。
プラットホームには、救援物資が山と積まれていた。
「ああ、やっと……」
安堵の声が漏れる中、食堂車から降りてきた一人の少年が、地面に膝をついて泣き出した。
彼の両手には、食べ残された最後の一粒の米が握りしめられていた。
「もう、お腹が空かないんだね……」
少年はそう呟くと、その一粒の米を、ゆっくりと土に埋めた。
小さな命が、再び大地に還っていく。それは、極限状態の中で芽生えた人間の尊厳と、未来へのささやかな希望の証だった。
食堂車は、兵士や物資だけでなく、人間の絆と尊厳を運び続けたのだ。