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NO12:彗星カレー作戦


  「もう駄目だ……」


 ガリガリに痩せた兵士、イチローが膝を抱えて呟いた。彼の向かいでは、同じくやつれた顔の隊長、タナカが缶詰の残りカスをスプーンでかき集めている。


 ここは、荒廃した前線基地の地下壕。外には常に砲声が響き、ここ数週間まともな食料は配給されていない。


 士気は地の底を這い、兵士たちの目には絶望の色が濃く宿っていた。


 「隊長……俺、もう動けねぇっすよ……」


 別の兵士、マサトが震える声で訴える。彼の顔色もひどい。

 タナカは深くため息をついた。彼の脳裏には、部隊を率いてきた日々が走馬灯のように駆け巡る。確かに食料は尽き、兵士たちは飢えと疲労で限界だった。

 

 このままでは、戦わずして部隊は崩壊するだろう。

 

 その時、無線機がガガッと音を立てた。


 「こちら司令部。タナカ隊長、聞こえるか?」


 タカシは慌てて受話器を取る。


 「タナカです! 辛うじて生きてます!」


 司令官の声は、いつもより厳粛に響いた。


 「タナカ隊長、君たちに最後の、そして最も重要な任務を命じる。『彗星カレー作戦』だ」


 「彗星……カレー?」


 タナカは思わず聞き返した。疲労困憊の兵士たちも、その奇妙な作戦名にざわめき始める。


 「そうだ。我々の最後の希望。詳しい説明は後だ。今から君たちの座標に、特別輸送機で物資を投下する。絶対に確保しろ。そして、それを使い、香辛料で勝つのだ」


 「香辛料で……勝つ、ですか?」


 タナカは困惑した。兵士たちは互いに顔を見合わせる。


 「そうだ。質問はなしだ。作戦の成功を祈る。健闘を!」


 通信は一方的に切れた。タカシは受話器を置き、呆然と立ち尽くす。


 「香辛料で勝つ……一体どうしろっていうんだ?」


 数時間後、夜闇に乗じて特別輸送機が基地上空に飛来し、パラシュートで包まれた巨大なコンテナを投下した。

 兵士たちは最後の力を振り絞ってコンテナを回収し、地下壕へと運び込んだ。


 「これ、本当に食料なんすかね?」


 イチローが不安そうにコンテナの蓋を開ける。

中には、様々な袋がぎっしりと詰め込まれていた。しかし、期待していたレーションや缶詰ではない。


 「なんだこれ……全部、香辛料じゃないですか!」


 マサトが叫んだ。


 クミン、コリアンダー、ターメリック、カルダモン、シナモン、グローブ……見たこともないほどの大量のスパイスが、袋いっぱいに詰め込まれている。


 その隣には、乾燥豆や米、そして見たこともない巨大な圧力鍋が一つ。


 「司令部は、何を考えているんだ……?」


タナカは頭を抱えた。

 その時、コンテナの隅から小さな封筒が見つかった。中には一枚の手紙が入っている。


 タナカ隊長へ


 この作戦は、奇策中の奇策だ。

 敵の士気はすでに崩壊寸前。我々も同様だ。

だが、飢えと疲労で限界に達した兵士の士気を回復させるには、栄養だけでなく、強烈な心理的刺激が必要だ。


 この中に、最高の香辛料と、我々が持てる最高の食材を詰め込んだ。

 君たちはこれを使って、究極のカレーを作るのだ。

 

 その香りは、敵の心を揺さぶり、我々の士気を極限まで高めるだろう。

 これは単なる食事ではない。心理戦だ。


 健闘を祈る。

 

 司令部


 手紙を読み終えたタナカの顔に、ゆっくりと笑みが浮かんだ。


 「なるほど……そういうことか!」


 彼は兵士たちを見回した。


 「みんな、聞け! これが俺たちの最後の任務だ! カレーを作るぞ!」


 兵士たちはポカンとした顔をしている。


 「カレーって……そんなことして、何になるんすか?」


 イチローが訝しげに尋ねる。


 「イチロー! いいか、これはただのカレーじゃない! 究極の、戦場カレーだ! この香りで、敵の度肝を抜くんだ!」


 タナカは立ち上がって声を張り上げた。


 「マサト、お前は薪を集めろ! イチローは水を確保! 他の奴らは、俺が言う通りにスパイスを混ぜろ!」


 兵士たちは戸惑いながらも、タナカの指示に従い始めた。


 暗闇の中、圧力鍋が火にかけられる。香ばしい油の匂いが漂い始めた。

 タカシは手紙に書かれていたレシピを頼りに、指示通りにスパイスを鍋に投入していく。


 クミンとコリアンダーが炒められると、一瞬で地下壕いっぱいに香ばしい匂いが充満した。


 「うわっ、すげぇ匂い!」


 マサトが目を輝かせる。


 「これ……食欲そそるな……」


 イチローもゴクリと喉を鳴らした。

 タナカはさらにターメリックやカルダモンなどを投入し、炒め続ける。

 熱で揮発した香りが、地下壕の隅々まで行き渡り、兵士たちの疲弊した顔にわずかながら生気が宿っていく。


 「これ、本当に食べられるんすか?」


 「いや、これはもう匂いだけで十分だ!」


 数時間後、圧力鍋から湯気が吹き出し、地下壕全体が甘く、スパイシーな香りで満たされた。

 

 それは、飢えと絶望の中にいた兵士たちにとって、これまで嗅いだことのない、脳を直撃するような刺激だった。


 「よし、できたぞ! 彗星カレーだ!」


 タナカが鍋の蓋を開けると、熱気を帯びた深い茶色のカレーが顔を覗かせた。

 兵士たちは、その湯気から立ち上る香りに吸い寄せられるように鍋の周りに集まってくる。


 「う、うおおお……」


 タナカは一人一人に、深皿に盛られたご飯と共にカレーをよそっていく。

 イチローは震える手でスプーンを取り、一口食べた。途端、彼の目が大きく見開かれた。


 「な、なんだこれ……! 辛い! でも、美味い! うますぎる!」


 マサトも無言でカレーを口に運ぶ。そして、彼の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


 「うめぇ……こんな美味いもん、食ったことねぇ……」



 兵士たちは、まるで餓鬼のようにカレーをかき込み始めた。

 一口食べるごとに、彼らの顔に生気が戻っていく。枯れていた会話が戻り、諦めていたはずの瞳に力が宿る。


 カレーの熱が、冷え切った体と心を温めていった。


 「隊長! 俺、もう一皿いけます!」


 「私もです! 力がみなぎってきた!」


 兵士たちは食料だけでなく、失われていた希望を取り戻していた。


 「よし、みんな! これが俺たちの力だ! このカレーの力を、奴らに見せつけてやろう!」


 タナカは高らかに宣言した。


 翌朝、夜明けと共に総攻撃が開始された。

驚くべきことに、敵陣からはほとんど抵抗がなかった。

 兵士たちは戸惑いながらも前進し、敵の拠点に到達する。


 そこには、奇妙な光景が広がっていた。敵兵が、皆憔悴しきった顔でうずくまっているのだ。


 「一体どうしたんだ?」


 タナカが尋ねる。

 すると、敵兵の一人が震える声で答えた。

 

 「昨日の夜から、ずっと変な匂いがするんだ……」


 「そうだ! 甘くて、スパイシーで……腹の虫が鳴りっぱなしで、全然眠れなかった!」


 「俺たちは、この数ヶ月、まともな飯を食ってないんだ! あの匂いは拷問だ!」


 敵兵たちは、もはや戦意喪失していた。彼らは昨夜、彗星カレーの香りを嗅ぎ、極限の飢えと空腹に耐えられず、一晩中苦しんでいたのだ。


 香りが食欲を刺激し、飢えが募るばかりで、士気が完全に崩壊していた。

 

 タナカはにやりと笑った。


 「司令部……まさか、これほどの効果があるとはな……!」


 部隊は戦わずして敵を制圧した。まさに、香辛料で勝ったのだ。

 飢えと疲労の底にあった部隊は、彗星カレーによって士気を取り戻し、そして敵の士気を完全に打ち砕いた。



 後日、この作戦は「彗星カレー作戦」として、伝説になった。


 戦場にスパイスの香りが漂い、勝利をもたらした奇跡の作戦として語り継がれることになる。


 タナカと兵士たちは、基地に帰還した。彼らの顔には、以前のような絶望の色はなかった。満ち足りた笑顔で、兵士たちは口々に言う。


 「隊長、またカレー作ってくれませんか!」


 「あのカレーのおかげで、俺たち生きて帰ってこれたっす!」


 タナカは笑顔で頷いた。


 「ああ、もちろんだ。今度はもっと美味いカレーを食わせてやる!」


 平和な日常が戻った基地で、タカシは時折、兵士たちに特製のカレーを振る舞った。


 





 それは単なる食事ではなく、困難を乗り越えた彼らの絆の証であり、未来への希望の香りだった。


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