NO11:味見役は元社畜
「おい、新入り! てめぇの仕事は分かってんだろうな!?」
耳をつんざくような怒声が、俺、佐々木健太の鼓膜を激しく揺さぶる。
異世界に転生して早三日。
元々しがないサラリーマンだった俺は、気がつけば見慣れない甲冑をまとった兵士たちに囲まれ、なぜか「毒見役兼味見役」なるものに任命されていた。
しかも、ここは最前線。剣と魔法が飛び交う戦場の真っ只中だ。
「は、はい! 毒見と味見、ですよね…!」
情けない声しか出ない。前世では残業と上司のパワハラに耐える日々。
やっとの思いで退社したと思ったら、今度は剣と槍の嵐の中、命がけで飯を食わされる羽目になるとは。
人生とは、かくも不条理なものか。
「そうだ! てめぇの命はカスみてぇに軽いんだ。だがな、その舌だけは命より重い。敵さんの差し入れだろうが、野で拾ったキノコだろうが、まずはてめぇが食え! そして、その味を正確に伝えろ!」
隊長のギルバートが、俺の目の前に不気味な色の液体が入ったコップを突き出す。
胃がひっくり返りそうだ。しかし、断れば即刻、首が飛ぶのは目に見えている。
「…いただきます」
意を決して一口飲む。舌に広がるのは、酸味と渋み、そして微かな甘み。不思議な風味だ。
「どうだ、死ぬか!?」
ギルバートがギラついた目で俺を睨む。
「いえ、大丈夫です。少し…ベリーのような風味と、ハーブのような爽やかさがあります。これは、果実酒でしょうか」
「なんだと? 毒じゃねえのか!?」
俺の言葉に、兵士たちがざわめき出す。どうやら、彼らはこれを毒だと思っていたらしい。
その日以来、俺の「味見役」としての生活が始まった。
戦場の合間に運ばれてくる得体の知れない肉、見たこともない野菜、怪しげな液体。前世ではカップラーメンとコンビニ飯で人生を終えるかと思っていた俺だが、なぜか異世界の食材には好奇心を刺激された。
「今日の獲物はこれだ! 食ってみろ!」
ギルバートが、巨大なトカゲのような生物の肉を突き出す。焼かれてはいるが、見た目はグロテスクそのものだ。
「うっ…」
思わずひるむ俺に、ギルバートはため息をつく。
「なんだ、ビビってんのか!? 味見役のくせに!」
「いえ、違います! ただ、この肉、少し獣臭いので、香草と一緒に煮込むと美味しいかもしれませんね。それか、柑橘系の果汁をかけて焼いてもいいかも…」
俺は前世で培った「食べログ」で鍛え上げた食への執着を、この異世界で発揮し始めた。
兵士たちがゲテモノと呼ぶ食材も、俺にとっては未知の味覚の宝庫だった。
ある時は野草を混ぜてスープを作り、またある時は捕獲した魔物の肉を独自の調理法で加工した。
最初は訝しんでいた兵士たちも、俺が作る料理の美味しさに次第に舌鼓を打つようになる。
「おい、佐々木! てめぇの作ったスープ、最高だったぜ! 疲れが吹っ飛んだ!」
「この肉、こんなに美味かったのか…!」
俺の料理は、殺伐とした戦場の兵士たちの唯一の癒やしになっていった。
そして、俺自身も、死と隣り合わせの生活の中で、新たな味を探求することだけが唯一の生きがいとなっていた。
ある日、敵軍との小競り合いの後、俺たちは捕虜を数名捕らえた。捕虜の中には、まだ年端もいかない少年兵もいた。
彼らは疲弊しきっていて、俺たちの差し出す食料にも怯えて手を付けようとしない。
「佐々木! こいつら、飯を食わねぇぞ。どうにかしろ!」
ギルバートに言われ、俺は温かいスープと焼いた肉を彼らの前に置いた。
「大丈夫だよ。これは毒じゃない。君たちと同じ人間が作った料理だ」
少年兵は怯えた目で俺を見つめる。その目は、前世の俺が上司の目を気にして生きていた頃と、どこか似ている気がした。
俺はゆっくりと、自分の分として盛られたスープを一口飲んで見せた。
「ほら、美味しそうだろ? 体も温まるよ」
少年兵は迷った末、恐る恐るスープに口を付けた。そして、一口飲むと、その目が見開かれた。
「…美味しい」
少年兵の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。それを皮切りに、他の捕虜たちも恐る恐る食事に手を伸ばし、皆、涙を流しながら食べ始めた。
彼らは、飢えと恐怖の中で、ただ温かい食事に飢えていたのだ。
その夜、ギルバートが俺に語りかけた。
「佐々木、お前は不思議な奴だな。てめぇの飯のおかげで、捕虜どもが少しだが心を開いたようだ」
ギルバートの言葉に、俺は少しだけ胸を張った。食は、言葉や文化の違いを超えて、人々の心を繋ぐことができる。
それは、前世では気づかなかった、この異世界で俺が得た新たな発見だった。
数週間後、戦況は膠着状態に陥っていた。敵も味方も疲弊しきり、互いに決めてを欠く日々が続いていた。
そんな中、敵国から一通の使者が訪れた。和平交渉の申し入れだった。
俺は、なぜかその交渉の場に同席させられることになった。ギルバートは「お前の飯が役立つかもしれねぇ」と、よく分からないことを言っていた。
敵国の交渉団は、俺たちが捕虜に与えた食事の噂を聞きつけていた。
彼らは、俺が作った料理を「不浄な国の者が作ったもの」と罵りながらも、どこか興味津々な様子だった。
交渉は難航した。お互いの主張は平行線を辿り、一触即発の空気が漂う。
その時、ギルバートがニヤリと笑って言った。
「佐々木、例のアレを出せ!」
俺の前に運ばれてきたのは、俺がこの異世界で最も自信のある料理だった。
それは、この土地で採れる様々な野菜と、珍しい香辛料、そして魔物の肉をじっくりと煮込んだ、俺特製のシチューだった。
「これは…?」
敵国の交渉団の一人が、訝しげな目でシチューを見る。
「これは、我らが誇る『味見役』が腕によりをかけて作った料理だ。まずは、召し上がれ」
ギルバートが促すと、敵国の交渉団は警戒しながらも、一口シチューを口にした。
その瞬間、彼らの表情が変わった。
「これは…!」
「美味い…!」
彼らは無言でシチューを食べ続けた。その顔には、先ほどの敵意は微塵もなく、ただただ、料理の美味しさに舌鼓を打つ純粋な喜びが浮かんでいた。
シチューを平らげた後、敵国の交渉団の代表が、深々と頭を下げた。
「我々は、貴国の食文化を侮っていたようだ。この料理は、我々の想像をはるかに超えるものだった。この味は、憎しみと争いだけでは決して生まれない。我々は、貴国との真の和平を望む」
俺は呆然とした。まさか、俺が作った料理が、戦争を終わらせるきっかけになるなんて。
それから、和平交渉は驚くほどスムーズに進んだ。俺は、両国の間に立ち、料理を通じた交流を深めていった。
互いの国の食材を持ち寄り、共に料理を作り、食卓を囲む中で、人々の間にあった壁は少しずつ溶けていった。
数年後、俺は異世界で「食の賢者」と呼ばれるようになっていた。前世では残業に追われるだけの社畜だった俺が、まさか異世界で料理の腕一本でのし上がるとは。
人生とは、本当に何が起こるか分からないものだ。
しかし、俺の心には、一つだけ変わらない思いがあった。それは、美味しいものを食べている時の、人々の笑顔を見ること。
あの殺伐とした戦場で、初めて誰かのために料理を作り、その笑顔を見た時の感動は、今でも俺の原動力だ。
今日も俺は、異世界のキッチンで、新たな味の探求に没頭する。
この世界には、まだまだ俺の知らない美味しいものがたくさんあるに違いない。
「さて、今日のまかないは何にしようかな…」
俺は、鍋から立ち上る湯気を吸い込みながら、満足げに微笑んだ。
元社畜の異世界転生は、食を通じて、最高の結末を迎えたのだった。