闇ギルドとの取引
王都の南、地下に広がる迷宮のようなスラム街。
そこは地図にすら載らない、王国の影――その中心に《影の商会ヴィスカ》は拠点を構えていた。
「……なるほど、これはまた思い切った手を打ったな、カラスの坊や」
煙管から細く煙を吐きながら、ヴィスカの首領・ヴィスカ=グレイアッシュは微笑んだ。
「紙で商売をするだなんて、まるで絵本の中の話じゃないか」
セイジは動じない。
「そちらの情報網なら、すでに分かってるはずだ。俺の紙幣はもう、王都の第三市場まで届いてる」
「使える通貨ってのは、使う奴がいるかどうか……あんたの手下がすでに何人か使ってると聞いたが?」
ヴィスカの目が細くなる。小さな笑みが消えた。
「どうしてそれを……」
「俺たちは表の商会だが、情報収集だけは一流だ。お互い、手の内は見せた方が話が早い」
「ふふ、いいね……ますます気に入ったよ、坊や」
<提示された条件>
「物流が首を絞められてる。アグロス財団が倉庫を買い占めて、通常ルートはもう機能しない」
セイジは率直に語った。
「俺たちには闇ルートが必要だ。あんたの商会なら、それができる」
「代わりに、何をくれるんだい?」
ヴィスカが椅子に寄りかかり、細い指で煙管を弄ぶ。
「まさか、王女の名前だけじゃないだろう?」
セイジは、革袋から一枚の書類を取り出した。
「これは、《裏市場優先契約書》 第三市場が公式に、新物流指定エリアになったら、影の商会に優先配送権を渡す」
「つまり――合法化の道筋を約束する、ってことさ」
ヴィスカの目が見開かれた。
それは、影に生きる者たちにとって最も甘美な言葉だった。
合法――つまり、日の当たる場所。
「坊や……お前、本当にその道を通せると信じてるのか?」
「もちろん。俺の後ろには王女がいる。そして、市場がついてくる」
「俺は正義の味方でも悪の手先でもない。ただの商人だ。取引が成立すればそれでいい」
沈黙。長い沈黙。
やがて、ヴィスカは静かに笑った。
「――いいだろう。乗ったよ、その賭けに」
<闇物流、動く>
翌日。
王都の東門から、ボロボロの荷車がひっそりと通過した。
だがそれは、実は魔道遮蔽の荷車で、中には新鮮な農産物や高品質の薬草がぎっしりと積まれていた。
運搬に使われたのは影商会の透明馬車――特殊な結界で王国の監視をすり抜ける闇の輸送技術。
「……信じられない。本当にこの短期間で、流通が復活するなんて……」
バルトが驚きの声を上げる。
フィナが書類を見ながら頷いた。
「すでに第三市場、そして東門市場でも《カラス券》が、品物と交換できる状況になってます」
「物流が通れば、通貨の信頼は倍になる。逆に止まれば、即崩壊する」
セイジの言葉に、皆が真剣な表情を向けた。
「だからこそ、今が勝負時だ。裏も表も巻き込んで、この国の経済そのものを書き換える」
<財団の次の一手>
その報告を聞いたザカリーは、深く眉を寄せた。
「闇ルートを……抑えたか。やはり、このままでは面白くない」
「ですが、次の段階に移る時です」
背後に立っていたルード大臣が低く告げる。
「金融封鎖。――すべての銀行に、カラス券を受け取った場合は、資格停止を通告する」
「つまり、使えない通貨へ戻すわけだな」
「ええ、信用がどれだけ広がろうと、換金不能になればそれまで」
ザカリーの唇に、歪んだ笑みが浮かぶ。
「よし……次は通貨そのものを潰す」
<膨らむ市場の声>
一方、街では新たな動きが広がっていた。
「紙で取引するのはまだ怖いけど、あの券が使える市場では品物が安く買えるんだよな」
「農業ギルドの作物が入ってきて、値段も落ち着いてきた……あれが信用ってやつか?」
民衆のささやきが、通貨の価値を形作っていく。
そしてその波は、商人たちにも伝染していった。
「……王女様の刻印がある限り、少なくとも、信用は保証されてる。俺たちが黙って使えば、誰も咎められねぇ」
「だったら、この紙を信じるのは、賭けじゃない。選択だよ」
<セイジの確信>
夜。カラス商会の作戦室。
静かに広がる地図の上に、赤い印が点々と灯っている。
それは、物流が再開された信用の灯火。
「よし……これで、信用は死ななかった」
セイジは満足げに息を吐いた。
「次は、市場構造そのものを変える……」