黒幕現る、アグロス財団
王都・財務街。その中心に構える白亜の邸宅――それが、巨大ギルド《アグロス財団》の本拠である。
その会議室で、一人の老商人が報告書を静かに置いた。
「《カラス商会》、最新四半期で三割以上の成長率。物流拠点は北部三都市、さらに今月中に王都支部も設立予定です」
部屋の空気がピリ、と張りつめた。
「……また出てきたか革命屋が」
椅子の主が、低く唸った。
深紅のターバンを巻き、目を細めた中年男――ザカリー。
アグロス財団の実質的な総帥である。
「商人のくせに、理想を語りやがる。あんな若造一人に、既存の市場秩序を揺るがされてたまるか」
報告書には、こうも記されていた。
――教育制度の導入により、自律型人材の輩出を開始。
――空間魔法物流の実用化に成功。転送費は当社比六割。
――信用を軸にした分散型販売網の構築中。
ザカリーは舌打ちした。
「……あれは、危険すぎる。自由市場なんて言葉に惑わされた庶民が、誰でも起業できる時代が来たらどうなる?」
「貴族の投資が逃げますな。税制も形骸化するでしょう」
「我々が築いてきた信用の壁が崩れちまう」
その通り。
アグロス財団の強みは、金の力ではない。
既得権そのものだった。
巨大な資金力で市場をコントロールし、起業の芽を潰し、金融と物流を独占することで、表も裏も握ってきた。
それが今――一介の転生者によって、根本から揺らいでいる。
「そろそろ、手段を選ばない方がいいかもしれませんね、総帥」
横に立つ男が、口の端を歪めて笑った。
「……動かせ、ルードを」
ザカリーは短く命じた。
「財務庁の承認なしでは、奴の紙幣計画も物流拠点拡大もできやしない。市場から追い出せ」
そのころ、カラス商会・王都支部。
「……またか」
セイジが眉をしかめる。
昨日まで確定していたはずの納品契約が、次々と一方的に破棄されていた。
「しかも全部、アグロス財団と取引がある商会です」
ミリアが帳簿を手に報告する。
「裏で手を回されてるな。契約不履行でも訴えられないように、条件変更による再交渉という形を取ってやがる」
カルロの口調も険しい。
さらに、地方の支店から次々と異変の知らせが届いていた。
「転送拠点の魔力供給が止まりました。地元の魔法師ギルドが突然、契約を解除したと……」
「王都からの卸売業者が入荷価格を倍にしてきたわ!」
「在庫の買い占めが始まってる……! 村の市場が品薄で、苦情が……!」
それはまるで、見えない大洪水が襲ってきたかのようだった。
「これは――経済封鎖だな」
セイジは静かに断言した。
<逆転の鍵は「価値の源泉」>
商会の会議室で、セイジはいつになく重い表情で言った。
「俺たちは、便利な商会になりすぎた」
「……どういうことだ?」
バルトが眉をひそめる。
「取引先の商会も、卸業者も、すべて、上の意向で動く連中ばかりだ。今の俺たちは、彼らに依存してる……つまり、選ばれる立場ってことだ」
だが、それでは勝てない。
相手は、すべてを買える巨大財団だ。
「逆に問おう。俺たちが、相手に選ばせない立場になるにはどうする?」
「……まさか、自前で全部?」
ミリアが呟くと、セイジはうなずいた。
「そう。物流、仕入れ、販売、決済、すべて《カラス商会》の内部で完結する経済圏。商会ではなく国家として振る舞う」
「無理だよ! そんな巨大な投資、財団でもなきゃ……!」
「やるさ。鍵は――価値の創出だ」
セイジが手にしたのは、一枚の紙幣。
《カラス通貨》試作品だ。
「信用を数値化し、流通する信頼にする。通貨の発行権を握れば、経済圏の主導権はこっちのものだ」
その瞬間、空気が変わった。
「これは……経済戦争だ」
カルロがそう呟いたとき、セイジの目には、確固たる光が宿っていた。
<裏で嗤う影>
「ふふ……ようやく動いたな、小さき革命者」
別の部屋。影の中で、黒ずくめの女が笑う。
「通貨か……おもしろい。もしそれが破綻したとき、どれだけの命が路頭に迷うのか、わかってるのかしら?」
その女の名は――ヴィスカ。
闇ギルド《影の商会》の女主人であり、情報と裏取引を牛耳る、もう一人の支配者だった。
「でも……私、そういう危うい綱渡りが、大好きなの」
彼女はその唇に、血のように紅い笑みを浮かべるのだった。