反抗期
柊花は、そっと扉を開いた。音を立てないように気を付けたが、そんな頑張りは徒労に終わり、扉は容赦なくがちゃ、という音を立てた。それにより在宅していた家族に、柊花の帰宅が露呈した。リビングと、階段からどたどたと足音が迫る。
「柊花!帰ったんだな!」
リビングから、父がいの一番に駆けつけ、そう呼びかけた。次に階段を下りてきた母が姿を見せた。
「こんな夜遅くまで、何してたの?」
「心配してたんだぞ」
現在時刻は深夜零時を過ぎている。子供であれ大人であれ、外を出歩くには遅い時間だった。
「で、でも十八歳になったから・・・」
「だからって、この時間に外に出るのは危険だ。どうしても遅くなるなら連絡しなさい。父さんも母さんも気が気でなかったんだぞ」
誰もが考える両親像を体現するかのような、父親と母親。柊花は、この二人が世間的に良い両親だということを知っていた。
しかし、これは違う、と思った。そう思ってしまう自分は悪い子なんだ、という自覚もあった。
柊花は、玄関まで駆けつけた両親に「次からはちゃんとするよ」と言って、自分の部屋に入った。ベッドに倒れ込み、今日だけで蓄積した疲労を絞り出すように、深く息を吐いた。
枕に顔を埋めながら、柊花は考える。一体いつから、両親に対して好意以外の感情を抱くようになったのだろうと。
それは、はっきりしていた。高校受験を控えた中学三年生の時だった。当時の柊花は、高校に進学するにあたって、自ずと将来に思いを馳せる機会が多くなっていた。高校のこと、大学のこと、その先のこと。そうして思考を深めていった果てには自分の人生について考えることとなった。
何不自由なく普通に生きてきた自分は、これからも普通に生きていくことになるのだろう。高校を卒業し、大学を卒業し、就職して、良い人と巡り会って、家庭を築いて、普通に死ぬ。それは予測ではなく、確信に近かった。
そう思うと、腹の奥底がむず痒くなった。
嫌だと思った。『普通な自分』のまま終わるのが、嫌だと感じた。
そして考えた。どうして自分が普通なのか。
答えは、自分が両親に従順だったからだ。
これまで、両親の期待を裏切らないようにしてきた。だから言い付けを守っていた。自分のためにするはずの勉強には、両親のために取り組んでいた。
全ては、生みの親から見放されたくなかったから。一人になるのは、とても怖いことだから。
でも、現状に甘んじていれば、普通のままだ。
そう考えた時、柊花の胸には一つの決意が灯った。
「お父さんとお母さんの作った檻の中で終わりたくない」
ならば探そう。自らを満たすために、普通じゃない自分を。一人にならないために、かけがえのない人を。
それは反抗期と呼ぶに相応しい心情だった。
ただ、普通の反抗期と違うのは、一過性のものでは無く、延々と続く果てのないものだったこと。
そして柊花は、普通じゃない領域に踏み込んだ。
目を瞑れば、ほんの一時間前の光景が、ありありと浮かぶ。
人間に死をもたらす魔物が、他でもない自分めがけて迫ってくる。呼吸が乱れて、視界が左右に激しく揺れて、考えがまとまらない。そんな抜け殻のような体を動かしたのは、普通のまま死にたくないという願望だった。
引き金は、想像以上に軽かった。
「まだ、死ねない」
静けさで満たされた自室で、ひとりごちた。