こんな世界に生きる意味
「この人、笑ってました……」
トラックから降車した柊花は、死体の傍でそう言った。その呟きを、黎人は彼女の後方から聞いていた。
「そんなに、死にたいと思うものなんですか‥‥‥」
そう口にする彼女は、さながら人の愚かさを嘆く聖職者のようだった。彼女は振り返り、背後の黎人に答えを求めた。
「一人ひとりに、事情ってものがあるのさ」
黎人は、はぐらかした。答えは知っているが、言わなかった。
黎人は、柊花の前では努めて明るく振舞っていた。
しかし、この質問に真っ当に答えようものなら、仮面は剥がれ、鬱屈とした現実に目を向けることになる。黎人の個人的な願いとしてそれは避けたいことであり、また先輩としての体面を保つためにも、やはり避けたいことだった。
そんな黎人の思いとは裏腹に、柊花の顔はまだ答えを望んでいた。はぐらかすな、と訴えるような目つきで、黎人に視線を送り続けていた。
それを受けて、黎人の心は徐々に波立った。
一体どうしてこんなことを聞くのか。
そもそもこの世界で生きていて死にたい理由が分からないとは、それほどまでに両親に守られてきたというのか。それとも単に鈍いだけなのか。
そんな苛立ちを、言葉としてではなく、ため息にして吐き出した。
そして、黎人は口を開いた。
「この世界には、死にたいと思う理由が多すぎるんだよ」
黎人は、柊花の求める答えを口にしたつもりだった。
だが、彼女はそんな短い言葉では納得できないようだった。なおも答えを問いかけるように、真っすぐな視線で黎人を見つめている。
黎人は、後ろ暗さを覚えながら、さらに言葉を続けた。
「大気汚染のせいで、滅多に太陽は顔を見せなくなった。AIの技術革新で、多くの職業が人工知能に取って代わられた。人口の増加によって、資源枯渇と食糧難が深刻になった。自国の領地拡大を望む権力者は、武力をちらつかせて、新たな大戦の勃発が危ぶまれている」
黎人は、そこで言葉を区切った。次に語る問題が、最も深刻であるということを伝えるためだった。
「それらに加え、俺たちは異世界の脅威に晒されている。社会に殺される前に死にたいと思う人間っていうのは、存外に多いものなんだ」
柊花は、反応を見せることなく、ただ耳をそばたてるばかりだった。
そんな柊花に、黎人は訊いた。
「転生者がどうやって選ばれるか、話したっけ?」
柊花が首を横に振ったのを見て、黎人は語り始めた。
「転生者は、自殺志願者から選ばれる。志願者の中で素質ありとされた者が、俺たち『リバース』の手によって転生させられる」
黎人は両手を大きく広げて見せた。
「みんな死にたいと思ってる。だけど、自分で死ぬことは出来ないから、それらしい大義名分を縫い付けて、死ぬことを正当化しようとしてる。そんな人たちにとって、俺たち『リバース』は神様のようなものだ。だから死の間際に笑うんだ」
それは、黎人が五年間働き続けて知った人の本心だった。
黎人が話し終えたところで、柊花が口を開いた。
「でも、それだと樽老さんは辛くないんですか?」
悲哀を帯びた声だった。
「辛いよ。でも俺なんてまだマシな方だ。メンタルに傷を負って辞めたやつ、仕事中に自分を転生させようとした奴。いろいろ知ってる」
その痛ましい話に柊花は顔をしかめた。これまで両親に守られてきた彼女は、身近にこんなにも残酷な話があることを知らなかったのだろう。恐怖しているに違いない。
黎人は、その恐怖を掻き消すように「でも」と口にする。
「辛くないと駄目だ。人生の最後を請け負うのに、それが簡単だなんてことは、あっちゃいけない」
黎人は、自分に言い聞かせるように告げた。その言葉はある種の励ましでもあり、同時に脅迫でもあった。
柊花はそこでようやく得心した様子を見せたが、直後には物悲しい表情を浮かべた。
黎人は、意識を切り替えるように、一つ息を吐いた。胸の内に渦巻いているどす黒い感情から目を背けた。
「とりあえず、遺体を運ぼうか」
二人は、遺体を片付けた。納棺し、合掌することで弔う。黎人が新人の頃から行っていたその手順を、飽きもせず今回も行った。
それから黎人は、周囲を見渡した。変わらず、人気のない道だった。そこが普段からあまり使われていないことを、なんとなく察した。なぜなら、そこには人を寄せ付けないような不吉な雰囲気があるからだ。通りがかったら不遜な輩に絡まれてしまいそうな、そんな安っぽい不吉な雰囲気だ。
しかし、黎人はそれを好都合だと解釈した。
そして柊花に言った。
「陸奥さん、これ」
そう言って手渡したのは、ライフルだった。
彼女の顔には困惑が浮かんでいた。彼女が、こういった武器の類には慣れていないことは一目瞭然だった。
そんな柊花の困惑を差し置いて、黎人は構え方を教えた。腕の高さ、頭の位置など、基本的な姿勢を伝えた。
伝え終わると、柊花は教えられた姿勢のまま、問いかけた。
「あの、これって‥‥」
言いたいことをうまく言語化できなかったようだが、言葉の意図は黎人には伝わった。
「ここなら人は来ない。魔物を少しの間なら放置しても被害は出ないはずだ。だったらこの機会を使って、戦い方くらいは理解してほしいと思ってね」
そう言うと、黎人は銃を構えたままの柊花の傍を離れ、トラックの荷台に向かった。転生装置を操作し、先ほどの男の魂を転生させる。それを終えると、黎人は自分用にライフルを準備し、再び柊花の傍へと向かった。
「魔力濃度が上昇してる。そろそろ来るよ」
そう告げると、柊花が見つめる方向に、黒い靄が現れた。
「あれって」
不安そうに声を出す柊花に、黎人は何も言わなかった。どんな言葉をかけたところで、魔物が現れるという事実を覆すことは出来ない、すなわち何を言っても無駄だからだ。
やがて、靄の中から二体の術師が姿を見せた。術師は空中に不気味に佇み、辺りを彷徨うようにしていた。まだこちらには気付いていないということを示していた。
「陸奥さん、狙いを定めて、そして引き金を引くんだ」
ひそひそと、黎人は囁いた。
しかし、黎人の言葉が届いていないのか、柊花は構えた銃を小刻みに震えさせていた。次第に呼吸が乱れ始め、しまいには体を収縮させるようにして息をしていた。
恐怖しているんだな。それは分かった。黎人は、無理もないと思った。
しかし、それに励ましの言葉を贈ったり、鼓舞したりはしなかった。彼女の恐怖は、彼女自身が打ち勝たなければいけないものだったからだ。仮にここで黎人が手を貸したところで、それは彼女のためにはならない。
そうしていると、事態に変化が訪れた。術師が、彷徨うのを辞めた。こちらを見ていた。そして、当然の成り行きで、こちらに向かってきた。音もなく、滑らかに、黎人と柊花めがけて飛んできていた。
「撃たないと死ぬよ?」
追い詰めるように、そう一言加えた。言われた柊花は、変わらず銃を震えさせていた。
黎人は、まあこの子には無理だろうなと思った。両親に守られてきて、ハンバーガーも食べたことのないお嬢様には、この仕事は難しいだろうと、事前に分かっていた。
ため息を吐きながら、黎人は自分のライフルを構えた。狙いはもちろん、術師だった。そしてトリガーに指をかけた。
その時だった。
「死ぬのは……嫌だ」
か細い、ともすれば聞き逃してしまいそうな、弱々しい声だった。
しかし次は確固たる意志として吐き出された。
「死ぬのは嫌だ。私は、変わるんだ」
黎人に言ったのではない。柊花が、自身に向けた言葉だった。黎人はそのことをなんとなく感じ取った。
そして、隣から一筋の青い閃光が走った。
柊花が撃ったのだ。それを理解するのに、黎人は数秒を要した。
魔力を圧縮したレーザーは術師のどてっぱらを穿った。二体のうち、一体が霧散した。
しかし、残された一体は、そのことを嘆いて立ち止まりはしない。勢いを緩めず、二人に肉薄した。そして、顔と思われる部分に、赤い光が灯った。
それを見て、黎人は柊花の前に躍り出た。
赤い光が、光線となって黎人の左肩を貫いた。
肉を焼かれる苦痛に顔を歪めながらも、黎人は右手に持ったライフルを術師に向け、そのままトリガーを引いた。
一筋の青い光が術師を貫通し、そして葬った。魔物二体を打倒すると、その場は嘘のように静まり返った。
魔物を退けた黎人は、傷を負った左肩を抑えて、片膝をついた。
「だ、大丈夫ですか⁉」
後ろにいた柊花が、黎人の傍まで駆け寄ってきた。黎人は、顔をしかめるあまりおぼろげになった視界で、彼女の焦りに満ちた表情を認めた。痛みに占拠された脳みそで、このことが彼女の傷になってはいけない、と考えた。
じんじんと主張を続ける痛覚に耐えながら、その顔に精一杯の笑みを浮かべた。
「大丈夫、だから。心配しないで」
声が僅かに震えていた。それでも平静を装うため、その場に立ち上がった。
「とりあえず車に乗ろう」
来るときと変わらず、黎人が運転席に、柊花が助手席に座った。
柊花が未だに不安そうにこちらを見つめているのを知りながら、黎人はトラックを発進させた。
「どこに向かうんですか?」
助手席から、弱々しい声が尋ねてきた。
「病院、かな?」と黎人は答えた。